2012年12月20日木曜日

入院というシステムはある意味限界にきている

「体力が回復するまで入院させて下さい」
と、患者さんから頼まれることが時々ある。

しかし「体力が回復するまで入院」なんてことが、それほどにあるものだろうか?

そもそも、感染症が主たる「病気」の原因だった頃、
「入院」というシステムは世間からの隔離や、集中管理、という意味で有効な手段であった、と思われる。
そして、そのシステムを運用する場として「病院」は発達してきた。

しかし現在、従来の「病院に頼るシステム」は、以前ほどの重要性を成していない、むしろ害悪である一面もある。
もちろん感染症やその他様々な疾患において「入院」と「病院」は依然として必要なシステムではある。
しかし、入院はあくまでも本人の体力を元に、薬物や手技を用いて病を治療する場である。長く滞在すればするほど、体力的にも社会的にも、機能の衰えは止めることができない。

特に、私が中心的に診ている、がんや、高齢に伴う機能低下による疾患については、入院の意義は限定的になってきていると感じる。
入院が必要でも、入院のその時から退院を考える。
そうでないと、ベッドに寝たきりになり、結局自宅に戻るのが日に日に難しくなってくるからだ。

高齢の方であれば、元々の疾患で体にストレスがかかっていることに、入院したことによる環境変化が加わり、精神的に混乱をきたす「せん妄」を起こすこともよくある。
そうなると、点滴を引きちぎったり、医療スタッフに噛みついたり、暴れ回ってベッドから転落、などということもある。病気を治療するためには、ある程度の安静は必要であるし、体に入っている管を抜かれたりすると治療が進まない、または命に関わることもあるので、場合によっては拘束具を用いて身体抑制をしなければならないこともある。身体抑制をされると、混乱して状況がわからなくなっている患者さんでは余計に興奮して、拘束具を引きちぎることすらある。そうなると、より強く拘束されて・・・という悪循環に陥る。
もちろん、ご家族の同意を得て行うのだが、それでもやはり、自らの家族がベッドに縛られている姿を見るのは忍びないものがある。医療従事者も好きでやっているわけではないのだが、治療を行わなければならない、ということもあるし、何が医療訴訟の原因となるかわからない現状では、例えば「かわいそうだから」と、身体抑制をせずにいて、ベッドから落ちて骨折などした場合、「病院に入院させているのにケガをするとはどういうことだ!ケガをさせたのは病院の責任だからこれから先の入院費は払わない!」と言われる例もあったりするわけなので、過剰に対応せざるをえない。
一部では、拘束具外し運動やおむつ外し運動などで、一定の効果を上げている施設もあると聞いているが、病棟の半分以上が介助が必要な重症患者さんで、次から次へと新しい入院患者さんが来て、患者さんの生活リズムを把握する余裕も無く、朝から夕まで止まらないナースコールに走りっぱなしのスタッフを見ていると、とても無理である、と思ってしまう。
結果として、病院に入院すると、自由はある程度制限されるし、体力は衰えるし、場合によっては精神的にも変調をきたすこともあり(私自身も昨年3日間入院、個室隔離されたが、それだけでも最終日はかなりきつかった)、「病院に入院して元気になる」は幻想であると思う。
できることならなるべく入院なんてしないほうがいい。

結局のところ、もっとも体力が回復できる場所は「自宅」であることが多い。
自宅であれば(元々全介助なら別だが)、ある程度のことは大変でも自分でしなければならないので、それを何とか工夫しながらやっていくことで、体力がついてくる。

それであれば、いっそのこと、自分の家で、好きなように過ごしながら、治療をするほうが幸せではないか?とも思う。
しかし、在宅医療は在宅医療で、様々な問題がある。
その一番は、家族の負担である。
少なくとも現在の日本の制度で、在宅でどんな方でも十分に介護体制が敷けることはあり得ない。
家族は、ある程度犠牲を強いられるのは避けられない。
場合によっては、仕事を辞めなければならないかもしれないし、体力的に無理が出る場合もあるし、精神的に病んでしまう場合もある。

例を挙げてみよう。
入院するたびにせん妄を起こす方がいたとする(家では落ち着いている)。
本人は「家が一番」と言うが、家族は大変である。
自分の仕事の他に、本人の身の回りの世話もしなければならない。病状も不安定なので、それも不安である(病状不安定なので施設入所なども不可)。
家族は「早く入院させてくれ、具合も悪そうなのに、なぜダメなのか」と言う。
医療者側は「本人が希望していない。在宅で診させて欲しい。しかも入院すれば絶対に状況は悪くなる」と言う。
お互いにつらいのである。
この状況を誰もが満足いくように解決する策が、従来の医療システムの中にあるだろうか?私はないと思う。

これら問題の一部は、人手とお金の問題に帰結するのだが、今回はそれについては述べない。
ひとつ大事なことは、病院中心の医療は、限界に来つつあるということ。
21世紀の医療を形成していく上で、これまでの常識から脱却した、新しい医療の形を考えていく必要がある。

・病院が全てではない。病院に入院した方が状態が悪化するパターンがある、ということを市民の皆さんに知って頂く。
・医療安全に対する過剰反応はお互いに改める意識を、医療者側・市民側双方が持った方がよい(特に双方の話し合いで)。
・なるべく入院しないで済む方法を考える。それはセルフケアや予防もそうだし、在宅医療もひとつ。
・在宅医療を希望しても家族が犠牲にならないようなシステムを整える(地域全体の横のつながりを強化していくことが必要)。

それでも、先ほど出したような例が、すぐに解決できるわけではない。
ただ、「病院という医療システムはもはや絶対ではない」ということに、より多くの方が気づいてもらえること、そして「では、どうしたらよいか」とひとりひとりが考えはじめること。
それが大事だと思う。

わたしも、考える。

2012年12月9日日曜日

業績集には載らない業績

日本では、あえて口に出さないという美徳もあると思うが、
「業績集に載らない業績」は口に出して言っておかないと、
他人からは見えないし、下手したら自分も忘れてしまうかもしれないので言っておく。

私は、今の病院と以前に働いていた室蘭の病院で、
「いまはフツーにされているけど、私が初めてやった」
というものがある。

それは「皮下点滴」である。

「皮下点滴」とは、点滴の針が腕の血管から入りにくくなったときに、普通は足の付け根とか首周辺の大きな血管に管を入れて点滴(IVHといいます)をするところを、お腹とか胸に針を刺して「皮下から」点滴を吸収させるという方法である。

今ではどこの病院でも普通にされていることかもしれないが、私が研修を始めた6~7年前までは、腕の血管が取れなくなれば「じゃ、IVHね」か「頑張って、血管取れるまで刺しましょう」が普通だった。
結果、高齢で、血管ももろい患者さんの腕だけではなく、足も、場合によっては指の血管なんてのを使って点滴していることもあった。もちろん、そんな細い血管が一発で刺せるわけはないから、成功するまでに3~4回も刺されることになるし、もとがもろい血管だから1日で血管が破れて点滴が漏れてくることもある。そうすれば、また一からやり直し。血管を探して、刺して、失敗して・・・が毎日続くのである(せん妄の患者さんでは、点滴を自分で抜いてしまうこともある。そうすると1日に何回も刺しなおし、ということも)。
IVHだって楽ではない。体の上に布をかけられ、管を入れる医師もオペ室のような完全防備。場所こそ病室だが、患者さんにとっては「何をされるんだ」という恐怖はある。また、刺すべき血管は体の深くにあるので、体表からみても血管は見えない。今でこそ「エコーガイド下穿刺」といって画像でみながら針を刺す技術が広まってきたので、IVH挿入も早ければ10分程度で終わるが、私が研修医のときはそのような方法は一般的ではなく、言うなれば「ここに血管があるはず」という、解剖学的な知識で刺していた。しかし、もちろん全ての人が同じような体のつくりばかりではないので、穿刺に失敗することもある。そうすると、1時間も格闘する羽目になったり、誤って肺を刺すなどの合併症の危険も高かったのである。

私自身も、2年目の研修医の時に、患者さんのあざだらけの腕を見て、
「何とかならんかなあ」
と思っていた。
看護師さん達(+自分自身)が、毎日、点滴を刺す仕事にかなりの時間を割かれている現状も、改善したいという思いがあった。

そこで見つけたのがAmerican Journal of Family Medicineに載っていた「皮下点滴」だったのである。
私は「これだ!」と思った。
皮下なので、絶対に針を刺すのは失敗しない。抜けたって刺し治すのは容易だ。

しかし、さっそく、これを患者さんにしようとしたところ、思わぬ抵抗に遭う。

病棟からの抵抗である。
看護師さん達が「そんな、やったこともない方法をやって、管理するなんて嫌です」と言うわけである。
初めは私も、「なんて非協力的な。それじゃあ何か他に代わりになるいい方法があるのか?」と怒ったが、冷静になって考えると、なるほど、病棟管理の面からは当然の言い分だ。
何て言ったって、見たことがないのだから。
しまいには「先生がご自身で24時間365日管理してくれますか?」と。いやいやさすがにそれは難しい。

では、見たことがあればいいんだな、ということで、私はまず生理食塩水100mLと、点滴の針(翼状針)を用意してもらった。
そして、病棟の看護師さん達を集め、
「いいですか、皮下点滴の方法は、こうやるんです」
と、おもむろに自分の腹を出し、そこに翼状針を刺したのである。

「あーっ!」
びっくりしたのは見ていた看護師さん達である。
なにせ、医者がいきなり自分で自分の腹に針を刺したのだから
「先生、痛くないんですか?」
「うん、痛くない(本当は痛い)。でも、簡単にできるということがよくわかったろう。では、これから私は、この皮下点滴を落とし終わるまで、この状態で仕事をする」
と、唖然とする看護師さんを残し、病棟でカルテを書き始めた。
点滴棒を横に置きながら、カルテを書く医師。しかも、その点滴の先は腹につながっている・・・。
病棟の皆からは奇異の目で見られたし、「もう止めてもいいんじゃないですか」と言う方もいたが、これは私なりのパフォーマンスだった。

先生は本気なんだ、という覚悟と
皮下点滴は安全なんだ、という点を示すためである。

結果、看護師さん達も根負けしたのか、患者さんに皮下点滴をやることを認めてくれた。
喜んだのは患者さんである。
本当にやって良かった。
他の病棟へ広めるのは比較的楽で「あの病棟でやってるからノウハウはそこで聞いてね」とやれば、あまり大きな抵抗はなかった。

そして、今の病院でも、研修医として赴任していたときに、同じように抵抗に遭い、同じように腹に針を刺し、同じように驚かれ、同じように病院へ広めた。

これは、決して業績集に書ける内容ではないものの、私にとって、かなり誇り高い業績のひとつである。
室蘭ではいまどれくらい皮下点滴がされているかはわからないが、少なくとも今の病院では、あれから多くの患者さんが皮下点滴を受け、無用な針刺しやIVH挿入を免れている。

改革には痛みを伴うものがほとんどだ。
これまでやってきた日常を、なぜ壊さなければならないのか?という人間の心理を崩すのには、相当のエネルギーがいる。
そんなときに、自分は痛みを感じない安全なところにいて、当事者だけに痛みを強いるのでは、通るものも通らないし、権力で通しても遺恨が残る結果になるだろう。
改革をしたいならば、その覚悟を見せろ!というのが私の基本姿勢であるが、この「皮下点滴」の件は、その思いを代表する業績としても愛着が深いのである。

もちろん、私がやらなくても、誰かがやったかもしれないし、そもそも私が編み出した技法でも何でもないから、この件で私の名がどこかに残ることはない。
それでも、皮下点滴が病院中でオーダーされているのを見るにつけ
「その手技をこの病院で整えたのは自分ですよ」というのは、誇らしく思えるし、
何より、多くのムダに苦しめられる患者さんを見ないで済む、というのが緩和ケア医として何よりの喜びである。

2012年12月1日土曜日

「ほっとサロンいだ」開設準備中



2013年1月から、新棟7階の展望ラウンジが「ほっとサロン いだ」として生まれ変わります。

これまでは「がんサロン」として、月に2回(第2木曜14:00~、第4木曜18:00~)を開いてきましたが、外来の開催時間と合わなかったり、もっと気軽に利用できる場が欲しい、という声も上がっていました。

また、患者さんが求める情報がひとつに集約されておらず、どこにいけばパンフレットなど、病気に関する情報が手に入るのかわからない(あっても不十分だ)という声も上がっていました。

そこで、来年から、患者図書館+情報センター+ケアサロンを融合させた「ほっとサロン いだ」ができることになりました。申請は7月から出していたので、本当にようやくといった気持ちです。
常設化サロンですので、基本的には誰でもご利用頂けます(夜は消灯されますが)。
写真ではまだものが揃っておらず、やや殺風景ですが、これから1ヶ月かけて徐々に整えていきたいと思っています。

コンセプトは
「病院の中にあって病院の中ではない場所」
「自分の生きる力を取り戻すための場所」
「とりあえずここにくれば、探していたものが見つかる場所」

マギーズセンターを参考にしているという話は、前回のブログにも書きました。
できれば、このサロンもマギーズのように患者さんの支えになるひとつの場になることを望んでいます。
ただ、色々な面で、作れば作るほどマギーズのコンセプトからは離れていくような気もします。そもそもが院内併設ですし、マンパワーも、資金も何もかも及びません。本当に勉強するほどに、マギーズセンターのすばらしさを感じます。
ただ、そうは言っていても、お金が降ってくるわけでもなし、私財を投じるにも限度もあり、贅沢なものを求めればそれこそ際限もないわけで、まずは小さな一歩からはじめていこう、と、考えています。
そして全くの真似ではなく、当院独自のオリジナルな部分も入れていければと考えています。
もう一度「看護覚え書き」も読み直してヒントを得たいと思います。

もうひとつマギーズを参考にしたいところは、患者さんのサポートプログラムです。
マギーズでは情報提供やピアサポートの他に、心理プログラムやヨガなどのプログラムもあります。
当院でも、そういったことを担当して頂けるボランティアの方がいれば、例えば太極拳とか、アロマセラピーとか、そういうものをプログラムとして提供できれば、と思っています(とりあえず、今のところ決定しているのは「がんサロンプログラム」のみです)。
ただ、中原区の図書館とのコラボレーションで、図書館からサロンへの本の貸し出し、といった企画も浮上しており、そういった自治体病院ならではだよな~、でも自治体病院だからこそこれまでは難しかったよね~というプラン(行政機関同士の横の連携)は中々面白いのではないかな、とも思っています。

とにかく、夢見ていた企画を現実のものとして進めていく作業は、とても楽しい、というのだけは確かです。
連日、家具の組み立てをやっているので体中が筋肉痛ですが・・・。

あと1ヶ月でどの程度のものができるのか?
乞うご期待!

 

2012年11月7日水曜日

ボランティア募集/マギーズセンターについて

川崎市立井田病院ではボランティアをして頂ける方を募集しています。

病院の運営に、ボランティアの皆さんのお力は必須です。
私個人としては、がんサロンの運営に、ボランティアの方々の援助が非常に助かっていますので、これからも色々な方に是非一緒にがんサロンを支えて頂ければ嬉しいと思っています。

さて、今後、がんサロンはこれまでの第2、第4木曜日の開催に加え、平日日中に「常設化」をすることを計画しています。
場所は、これまで通り、病院のラウンジを利用しますので、がんの患者さん家族限定の利用、というわけではありませんが、個人的には「マギーズセンター」を模したサロンにしたいと思っています。

マギーズセンターは、以下のサイトを参照頂きたいですが、

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/cancernavi/report/201003/100458.html
http://hibari-clinic.com/shiryo_box/index.html (このページ下部「ホスピス関連資料」のところにPDFがあります)

日本でのコンセプトで言えば、相談支援センターとがんサロンがひとつになったような機能を基本としていますが、そのほかにも様々な支援プログラムや「環境全てが人の心に希望をもたせる」といったコンセプトなど、その根本となる哲学に違いがあります。
日本のように、病院内に併設されず、独立した建物・組織であることも特徴でしょう。

また、私が個人的に感銘を受けたのは「マギーズセンターの全ての活動は、研究に裏打ちされたものである」「全ての活動は外部からの監査・研究により常に評価されている」という点です。
日本であれば、誰かお偉いさんが「これはいいことに違いない」と、何の根拠もなく始めたプロジェクトが、評価されることも無く延々と続けられる(それが患者さんのためになっているのかわからないのに!)、という事例が後を絶たないのと対照的でしょう。

日本で、これをそのまま持ち込むのは難しいでしょうが(秋山さんの「暮らしの保健室」はあるにせよ)、そのコンセプトを一部分だけでも取り入れられないか、そして必ず質を評価することにしよう、と考えています。
何をしていくか、という計画はこれから決めていくことになりますが、いずれにせよ、常設化となるとこれまで以上にボランティアさんの協力が必要となります。

ですので、最初の話に戻りますが、ボランティアさんを本気で募集しています!
がんサロンに関わって頂くのは主に「図書ボランティア」になると思います(サロンには「患者図書」も整備する予定になります)。

詳しい案内は
http://www.city.kawasaki.jp/33/cmsfiles/contents/0000037/37855/ida/volunteer/index.html
になります。
11/28にはボランティア講座もあるようです(院内にも掲示されています)。


是非、ご参加頂ければ嬉しいです!一緒に、患者さんのための「場」をつくりませんか?
何卒よろしくお願い申し上げます。


2012年10月28日日曜日

がんサロンはDrも参加すべき!

「私、病気になってもいいんだ、と思えるようになりました」

先日のがんサロンで患者さんのひとりから言われた言葉。
これは究極の言葉だ、と私は思った。なぜか。

市民にとっては、「病気になりたくない」「病気は予防しないと」と考えるのが普通だろうし、いざ病気になれば「早く治してくれ」「どうしよう」というところだろう。

その患者さんが言うには、
この病院にかかれば優しいスタッフがいる、苦しくてもケアをしてくれるシステムもある。
だから、「病気になってもいいんだ」と。
これはつまり、病気になっても「何とかしてくれる(必ずしも絶対に治してくれる、というニュアンスではない)」という信頼と安心から出る言葉で、それは医療の目指すある意味究極な姿じゃないかな、と。

病気(になった状況)を、意識していないから怖さを感じていないということと、
病気(になった状況)を、意識してもしなくても、特に怖くないと思える、ということ。

どちらも普段は特に何も感じていないという点では一緒だが、実際には大きな違いがあると想像できるだろう。病気になっても、治っても、治らなくても、私はみんなに支えられて精一杯生きられる・・・そう思えるコミュニティって、すごいんじゃないかな、と。
そして、そう思える助けをできたのが自分の病院だと思うと、それは涙が出そうなほど嬉しい言葉だったのである。

こんな言葉が聞けるのも、がんサロンの醍醐味である。
普段、診察室や病室の中でしか患者さん・家族に接することのないDrは、是非こういう場に参加してみると良い。
ないなら、作ったほうがいい。
毎回参加するたびにとても勉強にもなる。医療は患者さんから学ぶ、という大原則を改めて実感できる。
そして、サロンにDrも参加する意義は、サロン側にもある。
自然、Drが司会役をしたり、アドバイザー的な役割を果たすことになるが、サロンの会話が暴走しないようにできることや、医学的知識が必要な場面は、やっぱりある。そんなときに、Drがちょっと一言挟むだけで、場の不安感が和らぐ印象がある。ただし、Drが参加するときの心構えとしては、必ず「一市民として」参加することが必要である。

「俺は、医者なんだぞ!」と言いたいのなら、他へどうぞ。
また来月も、美味しいお茶を頂きながら、患者さん・ご家族の素晴らしい言葉にじっと耳を傾けたいと思う。

緩和医は家庭医からなるべきか?~Cheng先生の講演から

昨日までの癌治療学会の中で、緩和医療学会とのジョイントセッションにて緩和医療の教育や研究を考えるシンポジウムがあった。

その中で、台湾のCheng先生から、台湾の緩和医療の現状をお話し頂いたが、台湾では緩和ケア医の6割が家庭医出身なのだという(2割が内科医、後の2割でその他)。以前に、オーストラリアに留学した緩和ケア医の話を聞いたときにも、同様な話を聞いた。その理由としては「家族を含めてのケア、在宅、包括的プライマリ・ケアのスキルなどが緩和医に求められるスキルとしてみんなが思っているから(家庭医のバックグラウンドが適切だ)」と。

考えることは2つ

①家庭医が本当に緩和ケアのベースであるべきか

Cheng先生がおっしゃる台湾の考えも納得できるし、他にもそういう国があることからもそうだが、家庭医のスキルが緩和ケア医にとって大切であることは間違いない。研修を受けた方がいい、というのは確かである。しかし、「ベースとするべき」というほどか、と言われると疑問は残る。第一、現在の日本で家庭医療を修めようと思ったら初期研修後にさらに3年はかかるので、そこからまたOncologyを勉強して・・・とやっていると医師8~10年目くらいにならないと緩和ケア医の本格的な研修に入れないことになるが(緩和ケア医はある程度人間的にも成熟してからの方が良いという意見もあるだろうが)、それほど長く全ての医師に研修医の身分を強いるのもどうかと思うし、緩和ケア医になりたいと思っていたモチベーションを維持するのも難しいかもしれない。日本の今のシステムからは難しいのではないかと思う。

②緩和ケア医だけではなく、家庭医も不足(ついでに腫瘍内科医も不足)

もちろん、人手が余っている科など、どこにもないのだが、少なくとも「ベースにするべき」と言われるほどOverlapしている分野でお互いに小さなパイを奪い合う必要はあるまい。私はとりあえず、医師が全体に不足している現状では、アメリカのようにひとつの専門性に特化した人材を養成していくことよりも(そういう人材も少数は必要だが)、ある程度ハイブリッドな医師を養成していくしかないと思う。つまり「抗がん剤もできて、緩和ケア全般に通じ、かつプライマリ・ケアや家族も包括的に診られる医師」である。サイコオンコロジーも、IVRも、神経ブロックもできたらなおさらいい。真の意味での「がん総合内科医」である。
ただ、そんなことを全ての医師に求めるのは不可能だ。
私は、研修の段階では上記について全ての研修を受けるべきと思う。例えば、初期研修後、総合内科1年を経験した後、腫瘍内科1年、緩和ケア1年、家庭医療1年、他IVR・サイコオンコロジー・ブロック・病理・放射線など選択で1年で5年のプログラムなど。
そしてその後、それぞれ興味があるところで「抗がん剤中心にやるよ(でも緩和も在宅もできるよ)」「緩和中心にやるよ(でも抗がん剤もやるよ)」「在宅中心にやるよ(でも病院でも診療するよ)」といったDrで、ひとつのチームとして総合的に診療する、という体制である(ひとつの科でというところが重要)。そのためには、ある程度の人材の集約化が必要なのであるが、がん診療の専門性を高めるためには、少なくとも日本の現状では、地域単位での集約化、そして再分散(センター化で人材を集め、研修・教育・研究を行い、育った人材を地域に派遣。必要に応じて地域施設への「往診」も考える)、というシステムが必要と考えている。

私の意見は、極端で机上の空論的であろうが、実際にはこのような意見を出し合い、「緩和ケア医に求められるスキルは何なのか」「どのような医師を養成していくべきなのか」「そのためにどのようなシステムが必要なのか」ということを喧々諤々議論していくべきなのである。私の意見も、そのような中でもまれていく中で、一部の地域には適応可能かもしれないし、もっと現実に即した形に改善できるかもしれない。そのための議論の場がないこと、つくろうという気運もないこと、それが一番の問題と思う。

2012年10月21日日曜日

井田病院のホスピタリティ

ホスピタリティとは

「思いやり」「心からのおもてなし」という意味

だそうです。
井田病院は、5年前、私が来たばかりのころは、立て直し前で建物が暗かったせいか、なんとなく職員も
「暗い」
「つっけんどん」
といったイメージを禁じ得ない感じでした(私の主観ですよ)。

しかし、今年戻ってきて、さらに新しい建物になったことで、だいぶ感じも変わってきたような気がする(私の主観ですよ)。
それでも、まだまだ全国の一流病院には及ばないとは思うが、ここでいくつか、井田病院のホスピタリティと呼べるもの、そしてそのなかでももしかしたら皆さんがよく知らないのではないの?というものをご紹介したいと思う。

【患者さん用無料シャトルバス】
井田病院は、東急東横線の日吉と元住吉の境にある「井田山」という山の上にあり、実はとてもアクセスの悪い病院である。
徒歩で、と思ったら日吉駅から15分、そして最後の5分くらいはずーっと坂を登らないとならない。
バスは日吉、元住吉、武蔵小杉、武蔵新城などから出ているが、日吉発のもの以外はどれも本数が少なく、そしてえらく時間がかかるので、使いにくい。
では自家用車で、といっても、井田山は昔は城があったといわれるくらいで、山へアクセスする道は少ない上に狭い。そして現在工事中の敷地内には駐車場も少なく、毎日大混雑だ。
そんなことで中々来にくい・・・と思っているアナタ!
是非、武蔵小杉から出ているシャトルバスを利用して下さい!
本数は多いとは言えないが、武蔵小杉から20分で着くので、かなり早い。途中も、元住吉近辺の停留所にいくつか止まるので、周囲の方々には是非利用していただきたい。


詳しい時刻表や停留所は以下参照。
http://www.city.kawasaki.jp/33/cmsfiles/contents/0000037/37855/ida/about/koutsuuannai.html

【病院廊下で展覧会】

これは、美術館・・・ではなく、井田病院の廊下ですよ!
しかも「ギャラリー」と銘打っているわけでは無く、患者さんの待合に普通に並んでいます。
常設展示というわけではなく、市民の方々からご提供頂いた作品などを定期的にギャラリーとして展示しているのです。
これは、昔ある先生が「入院して、もうそろそろ退院なのだから、ベッドに横になっているだけでなく、少し歩く練習でもしたらどうですか」と声をかけたところ「先生、病院の廊下なんて歩いても何もありませんぜ」と言われて、ハッと気づき、このように歩いて楽しい廊下にしようと考えた、という文化が新築後も残っているというところです。
そのように、患者さんに言われて、気づいたらすぐ実行という精神、見習いたいです。

【コンシェルジュ】
実は、井田病院の正面玄関入ってすぐのところには「infomation」があり、そこに1~2名のコンシェルジュがいます。
スチュワーデスさんのようなスカーフを巻いて、いつも笑顔で立っていますのですぐにわかります。
院内の案内や予約や受付機の操作、困ったときのお助けなど、患者さんにとって頼りになる存在です。
コンシェルジュさんは新築前の病院にはおらず、新しく配属された方々ですが、我々スタッフに対しても「お疲れですね、気をつけて下さい」と声をかけてくれる、優しい存在です。

他にも、色々と紹介したいところもあるのだが、これくらいにして。
また逆に、これはちょっと・・・というところもまだまだたくさんある。
新築されてから半年、ようやく色々なことが軌道に乗ってきた当院ではあるが、より一層職員がひとつになって、市民の皆様によい医療・サービスを提供できるよう努めなければならない。

2012年10月16日火曜日

新陳代謝する町、元住吉と共にある


 元住吉~井田は移り変わりの大きい町である。
以前に武蔵中原に住んでいた頃はあまり感じなかったが、こちらに移ってからは至る所で壊しては建て、が行われている。武蔵小杉周辺からの再開発の影響もあるのだろうが、町が少しずつ生まれ変わっていく様は、「町が生きている」という感じがして私は好きである。
井田周辺。壊された建物の奥で新しい建物も
上の写真から100mくらい。新築2軒。


その一方で、昔からの旧家、というか地主さんの家などもあり、新旧様々、新陳代謝を繰り返している、といった印象である。
あるひとに聞いた話だが、このように町が少しずつ入れ替わっていくのは、その町が健全な証拠、ということらしい。
つまり、一度に新築がどどーんと建って(ニュータウンみたいなところね)、同じような世代の方々ばかり(特に、新築を買う世代である40代くらい)が入るような町だと、隣近所が皆若いうちはいいが、年を取ると、町全体が年を取るため、インフラが失われるリスクを負うのだと。
その意味では、元住吉は「変わりつつ、変わらない」という好循環をもつ地域と言える。

元住吉は、町自体がひとつのブランドである。
自由が丘や二子玉川といった洗練された感じは足りないものの、町全体の暖かさとパワーは、他のどこにも負けないのではないかとすら思う。
元住吉駅前にある、住吉書房で、こんな本を買ってみたが、
 

特に、『武蔵小杉Walker』は、こんなローカルな本、売れるのか?というくらいの本であるが、それが発行できるのだから、この地域のブランド力、恐るべしである。
内容もかなりマニアックであるものの、面白い。
それを店の一等席で売り出す住吉書房も、町のブランドをよく理解しているなあ、と思う。

町(地域)のブランドを生かす、というのは簡単なようで難しい。
東横沿線、活気ある地域、増え続ける人口、という好条件に乗って、単に店を構えるだけでは、愛されず消えていく。
元住吉のブランドは、町の文化と共にある。
そのあたりは、「町の本屋」が消えていく中で、しっかり愛されている住吉書房はじめ、この地域で長く生き残っている店から学ぶことは多い。

井田病院も、長くこの地域で生きてきているが、これまでは本当に「地域と共に」あったか、と言われると疑問もあるところである。
先日、元住吉で飲んでいたときに、この町で育ったという客に「井田病院?どこでしたっけ?山の上にある病院?」と言われるくらいだし。

元住吉から学び、数々の店から学び、「地域と共に」生きる工夫をもっとしていく必要がある。
病院だからといって、患者さんが来るのをただ待っている時代では無くなってきている。
医療が「地域と共に」ある、というのはどういうことかを本気で考えていかないとならない。

でも、件の『武蔵小杉Walker』に「地元自慢ベスト50」の22位に、当院が載っているのはちょっとした喜びではある。





2012年9月26日水曜日

川崎市立井田病院緩和ケア後期研修医募集!

 
 
 
 
 
川崎市立井田病院総合ケアセンターは研修医を募集しています。
 
川崎市立井田病院総合ケアセンターの主役は研修医が担っています。
患者さんに対するホスピタリティ、がんサロンや在宅ケアなど様々なサービスを維持できるのも、研修医の先生がたのパワーがあってこそ。
私たちスタッフも、その分、研修医の先生方が短い時間で多くのものを学べるよう、研修環境の向上を図っています。
 
当院では、緩和ケア病棟(ホスピス)での緩和ケアに加え、Acute Palliative Care Unit(急性期緩和ケア病棟)の機能を持つ一般床での急性期対応、緩和ケアチームとして他科へのコンサルテーション、在宅緩和ケアなど、緩和ケアについて幅広いフィールドで学ぶことができます。またさらに、がんだけではなく非がんの緩和ケアに関わることもでき、今後は腫瘍内科の研修の機会も作っていく予定です。抗がん剤治療から緩和ケア、そして在宅ケアまで、ひとつの課で幅広く研修できる、つまり、自分が外来で診ていた患者さんを、緊急時には入院させ担当医となり、さらに通院困難になれば在宅に自分で診に行くことができる、こんなことができる施設は全国でもそうそうありません。そのことで、より包括的に患者さん、そして地域を診る目が養われることは間違いないです。
 
研修医が受け持つ症例は、ケアセンター全員でフォローし、毎朝のカンファレンスで問題点を確認します。週に1度のレジデントミーティングでは、診察の様子を撮影するビデオレビューや、研修医が担当するCase of the week・Short Lectureなどで、態度やEBMの手法、プレゼンテーション(教育)の技術も学んでいきます。学会発表や多施設での共同研究、論文の指導も行い、緩和医療専門医として求められる臨床・教育・研究のレベルを達成できるよう支援します。
 
研修期間は3ヶ月~2年くらいの間で自由に設定できます。ただし、研修期間の長さなどによって、契約が若干異なりますので、詳細は病院ホームページ(http://www.city.kawasaki.jp/83byoin/ida/index.html)および以下をご覧ください(申し込み方法なども病院ホームページをご参照頂ければ幸いです)。
 
【1年~2年の通常コース】
将来は緩和ケアを専門に行っていこうと考えている方にお勧めのコースです。もちろん家庭医、外科医、腫瘍内科医など、緩和ケアに深く関わっていく必要のある科の先生方にもお勧めいたします。それぞれの先生方の研修形態の詳細につきましては、病院ホームページに詳しいのでご参照ください。また、個人の希望に応じて研修内容や勤務日などもある程度アレンジが可能ですので、是非見学に起こしいただき、相談頂ければ幸いです。緩和専門医取得には2年以上の研修が必要になります。
【3ヶ月~半年間の短期コース】
他院での研修を主としているが、緩和ケアについては当院のシステムで学んでみたいという方にお勧めです。将来は緩和ケアを専門にしていくわけではないが、緩和ケアを自らある程度実践していく必要がある方、が対象になります。
こちらのコースはホームページにあまり記載が無いので詳細に説明しますが、このコースの場合、当院の規定上、申し訳ありませんが給与の支払いが当院から行うことができません。主として研修を行っている施設から頂くか、当院その他の当直などで給与をまかなっていただくスタイルになります。その代わり1年コースよりも、短期でもより純粋に緩和ケアだけを学びたい、というニーズに適うよう工夫されており、来て頂く価値を提供できるよう努力しています(まずは是非見学に来てください!)。また、より効率的に研修を進められるように、短期コースの先生方には緩和学会の各種ガイドラインやオピオイド換算アプリなどを搭載したiPod touchを優先的に貸与します(4台しかないので早い者勝ちですが…)。1年コースよりも全体に自由度も高いコースですので、是非、皆様のニーズお聞かせ頂き、実りある研修のサポートができればと考えます。
 
現在、1年以上の研修医が6名(ローテート中の研修医も含めて)、3ヶ月の研修医が2名、研修中です。来年度も今年からの引き継ぎも含めて、4名の研修が予定されており、スタッフは3名ですのでとても賑やかで、研修医同士で悩みなどの相談もしやすい環境と言えます。それだけ研修医の先生がいても、当科では病棟に常時50名以上、チームに20名以上、在宅に50名以上の症例があり、それぞれの研修医が10名前後の担当医となるので、症例の取り合いには決してなりません。むしろ、新患が毎日2~3名も紹介されてくる現状では、現在の人数でも不足しているくらいです。
 
私たち、井田病院スタッフは皆様を必要としています。そして、皆様に当院での研修プログラムを体験してほしいと願っています。是非、皆さんも当院で研修してみませんか?
 
 

2012年9月17日月曜日

患者の行き場所が無い現状、いつ解決?


患者の行き場所がなくなる、というケースが後を絶たない。
 
私が、緩和ケアを専門に研修しはじめた頃は、そういうケースが多くあった。
これまでの主治医から見放され、緩和ケアを受けられる病院は見つからず。「がん難民」という言葉が流行ったりもした。
それからもう5年がたち、もちろん全国的には昔より状況は改善してきているのかも知れない。
しかし、少なくとも個人的には実感できるレベルでの状況の改善があるようには思えない。
 
「緩和ケアに関する基本研修(PEACE)」は相当数のドクターが受講し、基本的な緩和ケアは多くのドクターが提供できるように、名目上はなっているはずなのに「自分は緩和ケア専門ではない、抗がん剤治療をしないならうちに定期通院する理由はない、何かあったら来ても良いけど、早く緩和ケアが受けられる病院を探して転院しなさい」と言い放たれ、次回予約なしで終診、である。「治療の適応がないから緩和ケアの病院に行きなさい」と門前払い、というケースもある。
 
 その一方で、緩和ケアを提供する病院に相談すると、「緩和ケアの外来は入院審査の外来だけで2ヶ月待ち、その後も入院まで外来通院はありません」と言われる。つまり、院外から紹介された患者さんを、定期的にフォローするための外来を置いている病院が圧倒的に少ないのだ。外来はあっても、院内にそもそも入院していた患者さんをフォローするための外来のみ、ということだ。
 
「自分は緩和ケア専門ではない」といって診療を拒否する一般科のドクター、そして「緩和ケアの外来は入院審査の外来だけで2ヶ月待ち、その後も入院まで外来通院はありません」という緩和ケア側、双方に問題がある。

「緩和ケアがふさわしい患者には専門的な緩和ケアを受けてもらうのがベスト」という一般科ドクターの言い分はよく分かる。肺の病気なら呼吸器科が診るべきだし、心臓なら循環器科が診るべき、なら、緩和ケアなら緩和ケア医が診るべきだろうし、患者さんにとってもそれが一番幸せなことだ、という理論だ。しかし、緩和ケアは、そもそも「肺の病気」や「心臓の病気」というような臓器別の診療科ではない。そうなると、どこからが緩和ケア科の専門領域と言えるのだろうか。抗がん剤をやらなくなったら緩和ケア科?痛みが出てきたら緩和ケア科?少なくとも、「当科での治療が無くなったから緩和ケア科でも行きなさい」というのは無しじゃないかなと。
 
 一方で、緩和ケア医の言い分。緩和ケア医は、臓器別専門医とその患者数に対して圧倒的に数が足りない。少なくとも、全ての「抗がん剤治療の適応のない」患者さんを受けてしまうと、マンパワー的にパンクするのは間違いない。なので、その外来にも何らかの制限を設けて質を保つ必要がある。しかし、かと言って、本当に緩和ケアが必要な患者さんに対して診療を制限するという姿勢はいかがなものか。そもそも、外来で診てもらいたい、という患者を医療者側で制限して、「診ません」「いずれ診ますよ、そうですね2ヶ月後に」なんて言える科はそうそうない。「いつでも、どこでも、受けたいときに」緩和ケアを受けられるように、というのは数年前の緩和学会総会のテーマだが、いつまでたっても患者さんにとって距離の遠い存在のままだ。早期からの緩和ケアなんて、どこにあるというのか。
 
当院も、昔はそうだった。患者さんの受け入れ制限をかなりしていたところがあった。
しかし、今年から、なるべく多くの患者さんを受け入れるよう、みんなで議論を進めている。
外来枠の工夫やがんサロンの活用なども含め、一応、全てのケースで漏れが無いように対応(必ずしも外来通院でフォローする、という意味ではないが)できそうである。複雑なパターンもあるが、それは相談員や医師で話し合った上で対応をお返事するようにしている。
ただ、そうするとどうしても一人一人にかけられる時間に制約があるため、十分なケアができない部分もある。批判もあるだろう。しかし、今ある痛みをコントロールするとか、通院するところを失って困っているとか、そういうニーズをまず満たす、ということがとりあえずは大切なことで、その選択肢がある、ということが必要なのだと思う。

2012年8月4日土曜日

Love!もとすみよし

元住吉。
5年前からずーっと住みたくて、栃木から川崎に帰ることが決まったとき、絶対に元住吉近くに住もうと思っていた。
いつ行っても活気があり、毎日がお祭り?みたいな。那覇の国際通りに行ったときにもそう思ったが、ここも決して劣ってはいないね。
食べるの大好き、お酒大好きの私にとっては、何度でも行きたいお店がたくさんあることも嬉しい。
何を頼んでも美味しいお店、感動を与えてくれるお店。
そういう店で過ごすことで、自分も明日から頑張らないとな、と思える。
そういうパワーをもらえる町なのだ。元住吉は。

ぶらぶら歩いて、唐揚げやソフトクリーム、ワッフルなんかを食べながら、散策をするのも楽しい。

現時点で、私のお勧めのお店をご紹介(雑誌に載っている店が多いけどね)。

○萱 KAYA
日本食が美味しいお店(外見はイタリアン風だが)。メインストリートからはちょっと遠いけど、何を頼んでも美味しいし(料理のセンスがいい)、日本酒談義ができるのも楽しいお店。
オープンして1年ちょっとくらいらしいので、これからも育てて、みんなに知ってもらいたいお店。

○Pizzeria fabbrica 1090
ここも、何を頼んでも美味しいお店。いつでも混んでるので予約がほぼ必須だけど、並んでも食べたい店。薪の窯で焼くマルゲリータは絶品!

○いくみママのどうぶつドーナツ
以前はフロレスタの店名で営業していたが、どうぶつドーナツを軸に独立。味はもちろんのこと、うさぎドーナツや猫のドーナツなど、見た目にも楽しい。チェーン店のドーナツと違って、中身がきっちりつまった、どっしりしたドーナツなので、食前に食べるには要注意?店員さんがフレンドリーなのもマル。

○FRESCO
駅からはやや遠いが、こちらも連日満員のイタリアン。ポルチーニ茸のソースがかかったバゲットは毎回食べても飽きないおいしさ。

○しゅおん
こちらも日本酒の美味しいお店。料理もおつまみ系が多いが、何頼んでも美味しい。雰囲気もとてもよく、通いたくなるお店。ブログなんかもオーナーの素の姿が書かれていて面白い。

○やぶ久
こちらはオズ通り側のそば屋さん。そばももちろん美味しいのだが、だし巻きなどのサイドメニューも美味しいし日本酒もいい。店構えも雰囲気が非常に良い。一見さんにとっては入りにくいかもだが、実際には店員さんは非常にきさくでよく気がつき、とても満足できる。

○富士見庵
こちらはブレーメン通りのそば屋さん。特に鴨南蛮は絶品(ちょっと塩辛いが)。ほかにもブレーメンカレーせいろも、美味しく、いつも満席である。こちらも日本酒うまし。

○idacafe
我らが「井田」の名を冠したカフェ。古アパートを改修して作られたカフェで、その奮闘記がオーナーのブログに書かれており、一気にファンに。今年開店してから毎週のように通っているが、行くたびに色々と成長しており、面白い。レンタルカフェやレンタルスペースなどの、変わったサービスも展開している。

他にも紹介したい店が現時点でもたくさんあるのだが、また次の機会に書くとして。
これからも元住吉、楽しみまくるぞ!
皆さんも是非元住吉へ!

2012年7月30日月曜日

井田病院に念願のカフェ!

7/30、井田病院に念願のカフェがオープンしました!

見てのとおり、ドトールさん。
あの井田病院にドトールが入るなんて・・・と、ちょっと感動。

井田山周辺には、カフェどころか実はコンビニもほとんどなかったので(山の麓までおりればあるんですけどね)、近隣の方々にも朗報ではないかしら?と思います。
近隣の方々もお気軽にお越し下さい。
コーヒーだけではなく、ティーもあるようです。

私はまだ買えていないので、明日朝に病院ついたらカフェラテでも買おうかな~と思ってます!

井田病院、夜のがんサロン盛況!

7/26に、初の(たぶん全国でも初の)「夜のがんサロン」が開催されました!
結果、6名のかたにご参加頂き、とても盛り上がりました!
「夜だと、仕事終わってから駆けつけられるのでよい」
「夜の方が、来るのに涼しくていい」
「夕日を見ながら、という雰囲気がいい」
など、ポジティブな意見をたくさん頂きました。

ボランティアさんも、わざわざ夜まで残ってサポートして下さいました。
感謝!

8月以降も、夜のがんサロンは続けていく予定ですので、今後とも皆様よろしくお願いします!

【川崎市立井田病院 がんサロン】
第2木曜日 14:00~16:00

第4木曜日 18:00~20:00
川崎市立井田病院 新棟7F展望ラウンジ

8月の勉強会テーマ「緩和ケアってなんだろう?」:緩和ケアって知っていますか?終末期のケア?いえいえ、そんなことはありません。緩和ケアは、がんと診断されたそのときから皆様の「生きる」をサポートするケアです!

2012年7月18日水曜日

ムダな会議はやめたまへ

最近、いろいろな会議に出席したり、出席した人の話を聞いている中で感じた違和感を綴る。

ムダな会議っていうもんがある。
私はムダな会議が嫌いだ。
そもそも会議自体が嫌いなのかもしれない。

会議の内容は別にわざわざ集まらなくてもいいような内容では?
メールやSNSで議論すればよかったんでないの?という。

ブレインストーミングやワークショップ形式の会議は、時として有用である。
それはお互い顔をつきあわせて、議論することでできる「熱」のようなものが、議論をさらに促進させていくから。これはさすがにネットでは難しい。
しかし、ブレインストーミングは何かプロダクトを生み出す手法ではない。ブレインストーミングで出た内容を収束させ、結論に近いものを生み出す過程が必要だが、それも正確に言えばプロダクトではない。

会議のプロダクトは、それが単なる連絡事項の会議や勉強会でもない限り、実践につながる戦略である。
時々、実践につながらない結論(のようなもの)を出すことで満足するような集まりや、本当にブレインストーミングのみを行って次回につなげない会議なども見るが、本当に時間の無駄である。
会議の中で話し合われた内容は、参加者の心の中に残るから、それが次につながっていく・・・だから有意義だ・・・と思われる方もいるかもしれないが、得てして、そういう場合、次回の会議でも同じようなところをぐるぐると繰り返し、一向に戦略が進まないことが多いものだ。気がついたら数年前と同じような内容を議論しているようなこともある。「まだそんなテーマで話しているの?」っていう。
我々の時間は有限であるし、時代はめまぐるしく変化し、我々の遅々とした歩みを待ってくれない。
自分の領域で言えば、2025年はすぐに来る、ということだ。
も少し言えば、会議が1時間行われればそれ相応のコストが発生しているわけだから、それを回収できるプロダクトを生産できないならそれはリストラの対象である(それぞれが別の仕事をしていた方が利益率が高いかもしれないし、会議にかける時間を削減することで残業費が減るかもしれない)。例えば時給1000円のスタッフが10名集まって1時間会議をすれば1万円、その結果得られた結論はきちんとした「商品」となっているか、ということなのである(もちろん1万円かけてつくったプロダクトは1万円以上の価値が無いとならない)。1回ではプロダクトが得られない場合は1年間かけて、ということも多いとおもうが、その場合はコストはさらに膨らむ、ということも考慮すべきだ。

とても細かい点に拘泥して、本質的な議論・進むべき方向性が忘れ去られたり、歩みが遅くなるような会議も嫌いだ。幕末の薩長同盟が結ばれるまでの各藩の対応と、坂本龍馬の考えの相違が良い例かもしれない。あくまで何のために会議をしているか忘れてはならない。そういう意味ではブレインストーミング的なディスカッションはよほど上手に司会し、次に進めるための方向性や何のために意見を出し合っているのか、を参加者に意識させ続けないと、議論は絶対に収束していかないし枝葉の(ある意味どうでもいい)意見が増えていく要因になる(ブレインストーミングのみならそれで成功、とも言えるかもしれないが)

何度も言うが、ブレインストーミング系の会議は「何かを生み出したような気になる」から、本当に注意して欲しい。自らがそういうのに参加していると、それが素晴らしいことだ、これからも何度もやるべきだ、と思えてくるから不思議だ。
まあ、人間は話したい動物だ。話して自分を理解して欲しいという欲求がある。その意味ではブレインストーミングはその欲求を満たす美酒のようなものなのかもしれない。珠玉の言葉の中で酔っていてもそれは内輪の自己満足かもしれないと自省すべきだ。珠玉の言葉たちだって醒めてしまえば夢のごとし、である。プロダクトとして残さなければ(もしくは何かにつなげなければ)それぞれの記憶の中で消えてしまうし、社会には届かない。ブレインストーミングをして、その後に何につなげていくかを(各々ではなく会議の中で)考えない限り、会議としての意味は無いし、組織も地域も社会も、何も変えることはできない。

2012年7月15日日曜日

緩和ケア指導者講習会

PEACEプロジェクトの指導者研修会が終わりました。

PEACEプロジェクトとは「がん診療に携わるすべての医師が、緩和ケアについての基本的な知識を習得し、がん治療の初期段階から緩和ケアが提供されることを目的に、これら医師に対する緩和ケアの基本的な知識等を習得するための研修会」を行うプロジェクトで、全国で10万人の医師に緩和ケアの基本教育を行うことを目指しています。
もちろん、教育するためには指導者が必要、ということで、昨日から2日間、指導者になるための講習を受けてきたわけです。

講習を通じて、私は「ピアノのレッスンみたいだなあ」という印象をずーっと抱いていました。

指導者の卵たちは、1日目に講義やファシリテーターの見本講義を受け、2日目はPEACEで使用するスライドを用いて、自ら模擬授業をします。
スライドは見本講義と同じものを用いるため、自ずと内容は似たようなものになりそうですが、講演者が変わると内容も全然変わってしまうから不思議です。
まるで、同じ楽譜を見て演奏していても、初学者とプロが奏でる音楽が全く異なるように・・・だなあ、と感じたわけです。
スライド作成者が、一枚一枚に込めた意味。それを解釈し、ある部分は強調し、ある部分では言葉を足す・・・、それはまるでバッハやベートーベンが曲に込めた意味、その中でこの1音は何を意味しているのか、と解きおこしていく作業と一緒なのではないかなあ、と。
普段は、我々は講演など行うときには大抵は自作のスライドを用いるので、それはいわば作曲をしている、ということです(もちろん作曲の能力が高い方もいればそうでない方もいます)。普段、自作自演に慣れてしまっているので、完全に他の人が作った曲を弾く、なんていうことに慣れていないわけで、うまく解釈できなければ楽譜に書いてある音符の通りにただ鍵盤を押すだけ、という演奏になってしまいます。これはとても新鮮な感覚でした。

また、指導者になる、ということは、今後は演奏するだけではなく、指揮者にもならないと、ということ。
PEACEという楽曲に込められた思いは何か?考えて伝えなければなりません。

私が、PEACEの最初の定義に対して疑問を抱くところとしては、
我々が講義をして、
初学者に緩和ケアの基本を教え込んだとして、
彼らが次の日から緩和ケアを実践できるか、と言われると、ちょっと疑問ではあります。
そもそも緩和ケアに興味はないけど、義務だから受けた、という医師や、
知識は得たけど、それほど担当している患者さんの中に緩和ケア対象の方が多いわけではない(と思っている)から、記憶が定着しない、などもあるのではないかと。
PEACEを10万人に受けてもらって、それだけで「がん治療の初期段階から質の高い緩和ケアを提供できる社会になっているか」というのには不安が残るところであるわけです。

だとしたらPEACEの意義はどこにあるのか。
私は、一番は「緩和ケアの基本的な考え方を知ることで、医師の緩和ケアに対する抵抗感を減らす」ことではないかな、と思っています。
やはり、以前は、緩和ケア=終末期ケアだから、自分の受け持ち患者さんに緩和ケアについての話はできないし、モルヒネへの抵抗感がある、という医師は少なくなかったと思います。
それが、誤解であるということが段々と広がり、診断時から必要に応じて専門的緩和ケアサービスが入れる素地ができてきたことが非常に有用だったのではないかと(我々専門医が治療医と隔絶されなくなり、結果として早期から緩和ケアが患者さんに届くようになってきた、もしくはその準備段階にある)。
もうひとつは、今後、緩和ケアに興味を持ってもらうための入り口、という機能です。
知らないものには興味を持ちようがない。
でも、研修会を通して一端を知ることで「面白そうだからもっと勉強してみよう」という医師が現れるだろう、という期待です。それはいずれ、独学で勉強することでもかなり本格的な緩和ケアを提供できる医師に成長するかもしれませんし、さらには全国の専門施設に出て未来の緩和医療を背負う人材になるかもしれません。

さて、そう考えると指導者の指導の仕方、今後の研修や院内体制の持って行き方、というのが見えてくるのではないでしょうか。
これまでもいくつかの緩和ケア研修会に参加しましたが、「研修会を開くこと」そのものが目的化していているのでは?と思われるような会もあります。
少なくとも、オタク的な専門知識を羅列するような研修会にしてはいけませんし、そもそもそんなこと言っても参加者の頭に残らないでしょう。
それよりも
コンサルテーションを行うタイミングを特に強調するとか、
早期から関わることが普通という行動変容を促すとか、
とにかく緩和ケアって楽しいんだよ!患者さん・ご家族にとっても喜んで頂ける仕事だよ!と強調するとか、
でしょうか。

PEACEの目指すところは、もちろんもっと高いところにあると思いますが、
理想と現実のバランスを取らなくては、指導者の自己満足で終わってしまいます。
理想は見据えつつ、現実として押さえるべきところは押さえる、ということを考えながら、徐々に高みを目指して行ければと思っています。

2012年7月13日金曜日

がんサロン「夜の部」開催

7/26(木)18:00~20:00 川崎市立井田病院にて、がんサロン「夜の部」が開催される。
がんサロンの開催形式は色々あり、常設型や時間限定型が多くを占めると思われるが、ここまで遅い時間に開催するサロンはまれだろう。
もしかしたら全国で初めての試みかもしれない。

そもそもは、若い世代・仕事をしている世代のがん患者さん、家族、の方が、平日日中だと仕事を休まないと来られない!という声から生まれたものである
もしかしたら、子育て世代のママさんたちも、家事を終わらせて・・・、帰ってきたダンナに子供を預けて・・・というところで来られる、という方もいるかもしれない(それもハードル高いかもだが。院内に託児所があればいいのだけど・・・)。

しかし、そうは言っても正直、今回の企画は一種のチャレンジである。
どれくらいのニーズがあるかもわからない。
特に、井田病院は患者さんの年齢層が比較的高く、若い患者さんは少ない印象があるからなおさらだ。
そんな状況でも、夜遅くまで残って一緒にがんサロンを運営してくれると言ってくれたスタッフに感謝したい。

一方、昼のがんサロンは低調である。
初回こそ7名の参加者がいたが、2回目は2名、3回目はゼロ、と確実に参加者は減っている。
特にリピーターが少ないことが問題点であり、それはつまり「次も参加してみよう」という魅力的なコンテンツを提供できていない可能性を示唆している。
もちろん、まだ3回目であるから、たまたま参加できなかった可能性、天候が悪かった、2ヶ月に1度くらいの参加にしようと思っていた・・・など、様々な要因もあるのかもしれない。
他にも、勉強会のテーマが面白くなさそう、宣伝が不足/不適切、など改善の余地もあると考えるので、色々と試行錯誤しながら、ニーズを探っていくことが重要である。

まず、7/26の夜のがんサロンは、隠れたニーズを探る第一歩である。
数ヶ月は少なくとも継続して続けてみて、昼と夜、どのようなニーズの違いがあるか?そもそも本当に夜のニーズはあるのか?話し合われるテーマの違いは?参加者の世代の差はあるか?など観察していきたいと思う。

そしてまた患者さん達から色々なご意見を頂き、意義のあるサロンにしていきたいものである。

【川崎市立井田病院 がんサロン「夜の部」】
7/26(木) 18:00~20:00
川崎市立井田病院 新棟7F展望ラウンジ
勉強会テーマ「がん治療総論」:がんの基本的治療である手術、放射線治療、抗がん剤について、簡単に解説します!
※今後しばらく、第4木曜日は18:00~の夜の部、第2木曜日が14:00~の昼の部となります(勉強会テーマは両方とも同じです)。

2012年6月23日土曜日

緩和医療学会所感

今年は神戸にて行われた緩和医療学会。今回は学会以外の会議やら打ち合わせやらで、聴講できたものがあまりなかったのだが、記憶の確かなうちに振り返っておこう。

・非がんの緩和ケア
心不全の緩和、ALSの緩和の発表はとっても興味深く拝聴した。在宅看取りの発表は一症例の物語の「語り」で、一昔前の緩和学会を思い起こさせるような。関根先生の話も総論、また症状緩和の面では納得できるものだった。しかし、ディスカッションの時間がちょっと短い印象で、じゃあどうやって日本に非がんの緩和ケアを広めて行くの、というところに至らなかったのが残念。私も、心不全やALSの突然死とその説明について質問したが、もう少し全体を考えた質問すれば良かったと反省。

・ポスターセッション
今年は昨年と違い貼りっぱなし、ではなく座長が立っての発表形式だった。やはり、この形式の方が私は好きである。限られた演者の発表しか聞けない、というデメリットもあるが、きちんと話を頭に入れるにはこちらの方が勉強になる。自分の発表もまあまあ盛況であったが、私の次に発表した放射線の先生の発表(モーズペースト使う前に放射線治療考えろよ!という)が痛快だった。緩和ケア医はホスピスに来たらついつい積極的治療の選択肢を忘れがちだが、緩和的照射の適応をもっと考えるべきだね。2日目の低活動生せん妄を見逃すな、という発表も面白かったな。ただ、皆さん声は大きく、楽しそうに発表しましょうね。CARTの発表がやたら増えたように見えたのも気になったなあ。

・医師の卒後研修
序盤はPEACEと指導者研修会、あとは研修医が困っていることについて、診療所への教育、SHAREの教育についての発表。ディスカッションは35分程度と結構あったのだが、序盤のPEACEについての話が結構メインになったところで、「このシンポジウムは卒後教育について話し合う場じゃないのか」と怒って帰る先生もいて…。確かに35分でも議論足りない感じでしたね。私の質問も意図が不明確であまり良くなかったのかも(私は、PEACEにしても指導者研修会にしても、継続して何回も出るような作りになっておらず、1度出れば十分、という参加者が多く、現行のセミナーではその後、スキルアップするためのセミナーが不足しているのでは、だから何度でも毎年参加したくなるようなセミナーが必要だよねという意図だったのだが、PEACEにも何度でも出ていいよ、という返答が帰ってきたので…。指導者研修会のブラッシュアップセミナーがあるという話しを聞けたのは収穫)

・若手緩和医フォーラム
自分が主催したフォーラムだったので、かなり緊張したが盛況のうちに終えることができて良かった。本当にファシリテーター、参加者の皆様のおかげ。内容はまだ細かくは書けないけれども、みんな同じようなことで悩んでいるんだなー、結構孤独感あるんだよね~、やっぱり横のつながり作って行くことが大事だよね…、という感じであった。このような会を企画してくれてありがとう、という声をいただけたことも嬉しかった。その後の、夜の飲み会も良かったです。

・モーニングセミナー:緩和ケアチーム
順天堂大、奥野先生の講演。奥野先生とは、神奈川がんセンター時代に色々と一緒に働いたこともあったので、相変わらず話上手だな~、というのが第一印象。チームの個性を殺さないように、チームが成長して行くためには、という話でためになった。緩和チームの発表、というと自院での活動報告して終わり、なんていう発表も多々あるからね。これは聞いて正解。

・早期からの緩和ケア
海外演者の発表を交えたPDであったが、日本人演者の自施設、疾患に偏ったバイアスいっぱいの発表の連続に閉口。まあ、それはそれとして、総合討論は45分程度時間があったにも関わらず、座長がフロアーを無視すること30分。座長からの質問のテーマは「結局のところいつから緩和ケアを導入すべきか」と聞いて「やはり診断の時(Stage1も含めて!)からでしょうなあ」「精神的な不安を解消すべきでしょうな〜」「治療医と患者の教育が大事ですな」とボヤ~っとした議論に終始。そう思うなら、具体的に実現にはどういう問題があってどう行動すればそれが実行できるの?人員の確保は?といったような深いところに一向に踏み込まない。あとは「乳がんでは~」「外科では~」と偏った意見を言うのみで大極的な議論にもならなかったり、「疼痛や不安の解消というニーズを探ることが大事、そのニーズが出た時にそこにチームがいる、という体制がいい」なども(私は個人的には、患者さんが主治医などに対しニーズを表出するなんてのはかなりのバリアーで、はじめニーズはなさそうでもずっと関わることで支えになる場面があるはずと考えている)。しまいには「化学療法の副作用とかに対応する必要もあるでしょうな。最近の分子標的薬はほとんどが経口になっていますが、そうすると日本は院外処方だから管理が大変と思いますが、その点はどう思います?」と、それ今話すテーマか?といった内容も。ようやくフロアにふられたので「先生方のお話はとても理想論的ですが(本当にこう言いました)、現実には日本で早期から緩和ケアを導入するには様々なバリアーがあると思います。具体的にどんなバリアーがあって、どう解消すべきでしょうか。もうひとつ、不安や疼痛などの症状(ニーズ)がない患者さんには介入しなくとも良いのでは、というご意見のようでしたが、本当に我々ができることはないのでしょうか」と質問したが「バリアーがあるなんてことはみんなわかってるんですよ!」と座長に一蹴され、「具体的に先生の考えるバリアーを挙げて下さい」と、こちらが言わされるハメに。治療医からの紹介が遅れがちなことや、患者さん自身もサポートの体制を知らないことなどをとりあえず挙げましたが、「そうそう、だから医療者と患者の教育が大事ということですよね~」と結論。後者の質問は無視。その教育が難しいから困ってるんじゃない…と思ったが、後ろに質問者が立っていたため再質問は断念。その方は「緩和医が治療中から関わるとなっても腫瘍内科領域の知識は乏しいのでどうしたら良いか」という質問だったが、それも「まあ、それは、連携で…」とご回答。あーもうダメだ~、とプリプリしながら会場を後にしたのでした。まあ、後から頭を冷やして考えると私の質問も抽象的かつ挑戦的で良くなかったかな~とも。もう少し大人にならんと(じゃあ、ブログにも書くなよ、とお叱りを受けそうですが)。

総括
全体的には非常に有意義な二日間で、得られるものも大きかったと思う。ただし、いま日本で話題になっているような重要なテーマの話し合いをするのには、今回の形式のようなシンポジウムやパネルディスカッションでは時間が足りなすぎる気がする。発表の内容も、それが国内の施設中で飛び抜けて先進的な取り組みをしている、もしくはディスカッションテーマにつながっていくような広がりのある内容なら発表の価値があるが、いち口演発表レベルの内容をされても時間の無駄である(口演としては面白いのかもだが)。本気で、今後の日本の方向性を議論する気があるのなら、ディスカンサントでもっと意見をぶつけ合うような趣向も必要だし、時間ももっと必要と思う。それともこれがパネルディスカッションの限界?パネルディスカッションの運営下手?どちらなのでしょう。これならワークショップ形式のディスカッションの方がよほど参考になる意見出るさね。今後の学会での運用の課題と感じる。ポスター発表は今回のような発表形式を来年も期待したい。今年は看護師さんや企業の方も結構質問したりしていて面白かったね。緩和学会にもまだまだ課題は多いが来年も期待したい。自分も、質の高い発表や、会場全体のためになるような質疑を心がけたいと思う(このへんはまだまだ)。

2012年6月15日金曜日

緩和コンサルタントと主治医との差

緩和コンサルタントとして仕事をはじめて2ヶ月ちょっと経った。
コンサルタントの仕事は岩田健太郎先生の『コンサルテーション・スキル』を参考にし、
「主治医となるべく直接または電話でディスカッションする(カルテを交換日記にしない)」
「自分が行った診療内容を根拠を含めて詳細に書く(根拠が不明だと主科が混乱する、というのと教育効果を期待)」
「コンサルタントは主治医ではないが、きちんと患者さんの診療に責任をもってあたる」
など。

しかし、岩田先生はあくまで「感染症コンサルタント」であり、それは「緩和コンサルタント」とは少し違うのではないかなーと最近感じるようになってきた。
それは、院内の他の「チーム」、例えばNSTやICTの活動スタイルと、自分たちの活動スタイルが全く異なる、というところからもわかる(当院だけでなく、他の病院のチーム活動を含めても)。
つまり、NSTやICTは、それぞれ「栄養」や「感染」という専門性で動いているが、その業務のほとんどは、その「専門」となる部分「のみ」であり、主科の大本となる治療方針や患者さんの人生に踏み込んでいくことはほとんどない。
一方、緩和チームの活動は、それだけでは済まない。
患者さんの人生に踏み込んでいく必要があるし、場合によっては主科の方針を変えるように動かなければならないこともある。
それは緩和コンサルタントが患者さんのQOLを上げる、ということを至上命題にあげている以上、仕方がない(中には痛みだけとるのが自分たちの仕事よ~という緩和チームもあるのかもしれないが)。

そうはいっても緩和コンサルタントは主科の主治医や担当医とは違う。
緩和コンサルタントは患者さんからみれば、やはり補助的な立場、ということになろう。
しかし、その立場を逆手に取ると、新しい存在意義があるな、ということに気づいたのである。
それは「意志決定支援」。
これは、海外の論文ではすでに言われていることであり、先進的な緩和チームではすでに当たり前なのかもしれないが、自分はいまいちピンときていなかったので、今回自分の仕事を通して少しずつわかるようになってきた気がする。
例えば、Temelの論文で「早期からの緩和ケア」はQOLや不安、抑うつが改善し、生存期間が延びる可能性が指摘されているが(NEJM. 2010;363:733-42)、そのうち早期からの介入群(EPC群)では化学療法60日以内死亡が少ない、ということや(J Clin Oncol 30:394-400. 2011)、治療開始前には自分の病状が正確に理解できていなかったのがEPC群ではそれが改善する、といったことが報告されている(J Clin Oncol 29:2319-2326.  2011)。これはつまり、緩和チームが関わることにより、自分の病状を正確に理解し、体力が落ちてくる時期に無駄な抗がん剤治療をしないことが予後改善につながる可能性を示唆する。
主治医はえてして、患者さんに正確な病状を伝えることを躊躇する。
医師も人間、患者さんにとってつらい話をすることは、「信頼関係が崩れるのではないか」「患者を傷つけるのではないか」と、話をぼかしてしまうこともある。情に流されて無駄とわかっている抗がん剤を投与してしまうこともあるのだろう。
また、担当医は主治医ではないから、「方針や病状については主治医に聞いて下さい」となる。
しかし、コンサルタントは何しろ補助的な立場なので、主治医のように「信頼関係」が重視されるわけではなく(軽視して良いということではないが)、かといって担当医とも違い立場は独立している。
そのため「患者さんにとってつらい話」を、自分が憎まれてもいいから、ある意味捨て身の覚悟で話すこともできる。
生死にかかわる話はときとして残酷である。心優しい主治医、これからも関係を一生続けていかなければならない主治医にとっては、それは大きなストレスになる。また、それをゆっくり話し合うほどの時間も主治医にはない。
しかし、生死に関わるからこそ、真摯に話し合わなければならない。
緩和コンサルタントは、そこに関わることができる。「言葉」は緩和医の最も得意とする薬、という点もある。時にはナイフを用い、時には包帯を巻くように。主治医の曖昧な言葉を翻訳することもできる。

緩和コンサルタントとしての仕事は、やる前はあまり有用と思っていなかったが、
その本質をつきつめていくと実は奥が深そうである。
まだまだ自分の知らない世界がありそうでワクワクする。

井田病院がんサロン1回目

6/14にリニューアルした1回目のがんサロンが開催された。
参加者はなんと7名!で昨年の参加者ほぼ1年分を1回で集められたことになる(というか去年までが少なすぎ)。

今回の勉強会のテーマは「がんのサポート体制」。
以外と知らないであろう、がん患者さんやご家族をサポートする体制、制度、スタッフなどについてお話させて頂いた。
例えば、がんサロンにしてもそうだし、サポートチーム(緩和ケアチーム)やケースワーカー、がん相談員などなど・・・。「がんになっても一人で悩まないで!」というメッセージをこめて・・・。

その後のサロン(意見交換)も、最初はこちらがわも初めて、ということで緊張、どうなることかと思ったけれども、いろいろ話していくうちに皆さん打ち解けられて、自分の中の思いや中々相談できなかったこと、などワイワイ話せてよかったかな~、と。
特に最初に心配していたのは、サロンの目的は「ピアサポート」で、患者さんやご家族が、それぞれの体験や悩みをお互いに話し合うことで考えを整理したり、癒やしを得たり、というところが建前なのであるが、医療スタッフも輪の中に入ることで「医療スタッフ対患者さん」という感じで、「サロン(ピアサポート)」というよりは「集団相談会(個別面談が複数ある)」みたいになるんじゃないかな~、というのがあった。かといって、初対面の患者さん同士にお任せして「さあ、どうぞ!」とやっても気まずいだろうな~というのもあり・・・今回はスタッフも輪の中に入り参加させて頂いた。
でも、途中からは普通のおしゃべり会みたいに、患者さん・ご家族同士でもワイワイ話せていたので、ちょっとほっとしたところである(まあ「集団相談会」に終始するならそれはそれで、と思っていたところもあるが)。

いろいろと改善すべきポイントもある。
例えば、
・平日日中の時間帯では仕事をしている人は参加できない。夜か土日にもやってほしい。
・アクセスがよくない。駅前のカフェなどでできないか。
・宣伝がまだまだ足りない。
・・・などなど

改善できるところは改善し、まずはひとつずつやっていきたいとおもう。
7月からはとりあえず「夜の部(18:00~20:00ころ?)」ができないかどうかを検討中。
次回は6/28(木)14:00~16:00で、テーマは「がん情報の集め方」。
またよろしく~。

2012年5月21日月曜日

井田病院のがんサロン

がんサロン、といえば、
「がん患者や家族などの方々が病院の会議室や保健センターなどに集まって、お互いの療養体験を語り合ったり、がん医療の最新情報などを学習したりする場」
であるが、がん診療拠点病院では、この「がんサロン」の設置が推奨されている(義務ではない)。

平成18年に拠点病院となった井田病院でも、いち早く、がんサロンの設置をしたのだが・・・
「場所がわかりにくい」「いつやっているのかわからない」
などなどの理由で、年間10名前後の参加者しか得られず(月に2回もやっていたのですよ!)、
その目的からはほど遠いものになっていた。

さて、このたび緩和ケアチームも私とがん看護専門看護師のTさんが来てくれたことで(実はTさんは、川崎市初の専門看護師なんだそう!)、新たにスタートしたことを機に、
「がん相談支援室」の新規設置と、「がんサロン」の立て直しを仕事として取り組むこととした。

「がん相談支援室」についてはまた別の機会に書くとして、
がんサロンについては、とにかく人を集められる、そして来た人に「また来たい」「役に立った」と思ってもらえるものにしないとならない。
そのためには「どこでやっているかわからない」ような場所でやってはいけない。

最初は、すごく狭い部屋や、病棟の細い廊下の先の部屋なども提示されたが、
「最上階」「エレベーター下りて目の前」という好立地に「展望ラウンジ」なる普段使わない空間があったため、そこを何とか!とお願いしたところ、幹部の先生方のご尽力により、使わせてもらうことが可能に!
いや~嬉しい!



あとは内容だ。
単に「お話ししに集まりましょう」と言っても、中々集まりにくいだろうから、イベントも組み合わせていくのも良いかもしれない。
これからみんなで考えて、新しいものをつくっていく。
すべては患者さんと家族のために!

緩和ケア専門医に求められるもの?

先日、緩和ケアの先生方数名と話す機会があったとき、
「これからの緩和ケア医には何が求められるか」
という話になった。

ある先生は
「化学療法による副作用対策も対応しないとならないのか」
と言い、またある先生は
「心不全などの末期状態の管理も任されることがある」
と。
まとめて言えば「終末期に向かおうとしている方の全ての状態に対応できることが求められている」
で、それはつまり「スーパーマン」を求めていると言うことで、理想を追求すればきりがないと言うことだ。

確かに、心不全やCOPDの緩和についても対応したほうが良いこともあるし、
がんに至っては「診断時から」関わることが求められるようになってきている以上、化学療法などの支持療法も、病院によっては受け持たなければならないだろう。
しかし、実際の研修は、それを充足するだけのものにはなっていない。
例えば、当院でも(もちろん緩和学会の認定教育施設であるが)、化学療法の支持療法については緩和ケアチームについて研修しない限り、触れる機会はないし、それは必修とはしていない。
非がんの緩和については当院では学ぶことはできるが、それが困難な施設もあるだろう。
しかし、それも全て「認定教育施設」である。

どのような緩和医を育てていくか、という議論が、現状に追いついていない、ということかもしれない。
それはつまり、緩和ケアの業界も徐々に成熟してきていることの現れなのかもしれないが。
数年前までは、とにかく緩和ケアという概念、緩和ケアを扱える医師を、増やし広めていく、ということが最大のテーマだったと思われるため、それでも良かったのだろうが、
現在では「いつでもどこでも」「早期から」「疾患を問わず」というところが求められ、緩和の専門性は高めつつ、よりジェネラルに対応できる能力も求められているような気がする
もちろん、施設によって「うちは支持療法は腫瘍内科医がやってくれるから」とか、違いはあるだろうが、研修医・若手医師は永遠にその施設で働くわけでもないだろうから、ある程度どの施設に行っても緩和医として働けるような研修を受ける必要がある。
しかし、そのためにはどのような研修体制を整えるべきか、という議論はまだあまりされていないように思う。

そんな事を言っていると、ある先生から
「若手の多くは、まだまだ『口をあけて待っているヒナ』状態なんじゃないの?」
と言われ、それもちょっとショックであった(まあ、自分もそういう節がないわけでもない)。

自分も含め、ヒナ鳥の目を開ける仕事を、これからやっていかないとならない・・・。

2012年5月9日水曜日

コンサルタントの難しさとやりがい

緩和ケアチーム(当院では「がんサポートチーム」)とは、呼吸器科、外科、泌尿器科・・・など、がん診療に携わっている科のがん患者さんに、緩和ケアを提供するチームである。
自分が主治医になるわけではないので、最終的に診療の責任を負うわけではないが、主科の先生ががん診療に集中できるよう、サポートしていくのが仕事である。
仕事の内容は多岐にわたり、疼痛や吐き気などのコントロールから精神的ケア、抗がん剤の副作用対策、緩和ケア病棟や在宅部門との橋渡し・・・などなどである。

このようなコンサルト業務をはじめて1ヶ月近くたち、仕事もようやく軌道に乗ってきたが、意外と難しいのが「自分が主治医では無い」ということからくる診療のしにくさである。

つまり、業務の対象となるのが「患者さん(と家族)」だけではなく「主治医」でもあるため、そのバランスを取らなければならないということである。
多くの患者さんは主科の治療方針があるため、その治療方針を阻害するような方針はたてられない、ということである。
慎重になりすぎて、時間をかけることもできないし、
一方で、性急にやりすぎては患者さんに問題が起こるかもしれない。
また、緩和ケアで使う薬は副作用のある薬もいくつかあるが、
薬の副作用が出て、それが遷延すれば、治療方針が台無しになることもある。
かといって、副作用のリスクがあっても症状緩和のためにどうしてもその薬を使いたいときもあり、自分が主治医で診療しているとき以上に神経を使う。
しかも、緩和ケアはいつでも100%の結果が出せるとは限らないため、常に、自分の診療を毎日他者(しかも大抵は自分よりも年長のDr)に評価され続ける、というプレッシャーもある。

しかし、担当患者数が増えてくると、自分たちチームが院内で信頼されている気にもなり、やりがいがあるのも事実である。
患者さんが良くなって、笑顔になるときのうれしさは変わらない。
そして何より、自分がやりたいと思っている「早期からの緩和ケア」に関われるのが楽しい。
Advanced Care Planningも限られた患者さんだが少しずつはじめようと考えている。

患者さんの中には、私たち緩和ケアチームの存在を知らない患者さんもいるし、
DrやNsの中にもいまだに「緩和ケアは末期になってから紹介するもの」と考えている方もいる。
そのため「こんなチームからケアを受けられると知っていれば、もっと早く紹介してもらったのに・・・」という声を患者さんやご家族から頂くこともある。
これからも患者さん、ご家族、そしてスタッフのために、緩和チームの実態を宣伝し、緩和チームは診断時などの早期から関わっていくべきことを知って頂き、チームが関わるといいことがある、と信頼して頂けるように実績を積み重ねていく必要がある。

2012年4月22日日曜日

緩和医になるには

今年3月に「医学生・研修医のための緩和ケアセミナー」という企画があり、私はファシリテーターを務めた。
そこで「参加者にメッセージを」という依頼があったため、自分が緩和医を目指したきっかけと「まず何科から堅守すべきか」という問題への意見をちょっと書いてみたのだが、その文章を公開する。

「痛い、今日も痛い。痛み止めも効かない…」
私が初期研修医のころ、麻薬の使い方を知らなかったころ、がん患者さんの苦痛を取るすべはほとんどなかった。指導医の指示通りに薬を投与し、点滴を行い、苦痛のなかで患者さんを看取っていかなければならなかった。わずか7年前のことである。しかし、そんな状況でも、当時必修科であった緩和科をローテートするのは面倒と思っていた。緩和を回るくらいなら救急科や、麻酔科などのローテートをもっと長くしたいと思っていたくらいだ。緩和科で何が学べるのかわからなかったし、その診療内容が「医療」と呼べるのか疑問だった。いや、それよりも死にゆく患者さんにどう向き合うか、怖かっただけかもしれない。
 
(毎日が感動、緩和ケアローテート) 実際に緩和ケア科をローテートし、私の考えは大きく変わった。痛みで寝たきりの患者さんが、緩和病棟へ移って症状が取れ「もう一度歩きたい」と立ち、景色を見られた時の笑顔。生きる意欲を取り戻し、もう一度仕事に戻って行った患者さんの姿。毎日が感動の連続で「こんな医療もあるのか」と驚愕した。自分が、それまで見てきた「死」と全く別の生き方がそこにはあった。私は、この医療をもっと極めてみたいと思うようになったのである。
 
(まず、何科から?) 緩和医療を研修するとき、「何科をベースに研修していくのがいいのか」という点は悩ましい。精神科?麻酔科?色々な選択肢があるが、私のお勧めは、とにかくまず緩和ケアの専門研修を受けること、つまり緩和ケアを受ける患者さんたちにまず向き合うこと、である。その中で、色々な壁にぶつかり、悩むだろう。その上で私は緩和ケア医はオンコロジーを学ぶ必要性があると考え腫瘍内科の道を選んだが、ペインクリニックの道や精神科の道もあると思うし、そのまま専門研修を続けていく道もあると思う。ただ、最初に緩和ケアがどういうものか、自分に足りないものは何か、を知ることで、何を目標に研修を進めて行けば良いか、患者さんに求められているものは何か、自分が診てきた患者さんたちに問いかけながら、その道標を自ら考えていくことができるようになる。自ら担当医として患者さんと向き合い、少なくとも数ヶ月以上緩和医療の現場で研修を受けることをまずはお勧めする。
 色々な迷い、色々な壁。緩和ケア医を志す医師は未だ少なく、どのように研修を進めていくか、相談できる仲間は大切な存在と思う。私たち一人一人が、その仲間である。お互いに支え合い、高め合い、患者さんにとってより良い緩和医療の提供体制を作っていければ幸いである。


この「まず、何科から?」という部分は実は多くの他科出身の先生に遠慮して書いた部分が多々ある。
緩和ケアの現場をまずは知ってほしい、というのは本当だが、私はやはり自分が研修してきたように、内科の知識、そしてオンコロジーの知識を身につけられるように研修することを勧めるだろう。

しかし、実際、そのセミナーでは多くの先生方が「まずは内科医としての力をつけること」を強調されていたことに驚いた。
緩和医療は、全ての病態がとても複雑で、言うなれば内科的な「応用問題」の連続である。
そのため、総合内科医としての力量が試される場面も多い、ということなのである。
ある先生などは「医師として『デキる』やつでないと緩和医はとてもつとまらない」とまで言い切っていた。
自分が医師としてそんなに「デキる」とは思っていないが、少なくとも論理的思考が好きではないと、確かに緩和医はやってられない。
侵襲的な検査はほとんどできない(仕方が無いときにはやるが)ので、問診や身体診察で苦痛の原因を探っていくしか無いからだ。
痛みの性状を理解するために、痛みについてだけでも問診を1時間かけて行うこともある。

このときの痛みとあのときの痛みは違いますか?
この薬を使って取れた痛みと、この薬を使って取れた痛みに違いはありますか?それでも残っている痛みは?
そのそれぞれについてどのような痛みですか・・・
などと、痛みをひとつひとつ解剖していく、という作業。
まあ、そこまでしつこい性格のほうが、この仕事には向いているのではないかなあ、と思う。
あっさりと「痛い=麻薬」としか考えない自称緩和医もいますのでね。
緩和医になることは容易ではない。
でも、是非その現場をまずは見に来てほしい。そうすればここに書いた言葉たちの意味が目で、耳で、心で、理解できると思う。

2012年4月15日日曜日

鎮静と医療者の価値観

患者さんが亡くなった後に、
「いい死だった」とか「あまり良くない最期だった」という医療者が時々いるが、
それが自分たちのケアを評価しての言葉でない限り、私はあまりそういう表現は好まない。
患者の生き方の善し悪しは他人が評価できる類いのものではなく、
あくまで本人(と家族)の主観的なものであると思うからである。

死は生と直結している。
死を多く見る私たちは、そのぶん、患者さんのそれまでの人生や、そこで形成された価値観にも間接的に関わっていくことになる。
一方で、我々も自分たちが生きてきた過程と、それぞれの価値観を持っている。
医療者は、ともすれば自分の価値観の枠内に患者の人生を当てはめて見てしまいがちだが、その結果が冒頭の「いい死、悪い死」の言葉となって出てくる。
終末期の患者さんに、一昔前では死の直前まで2L近い点滴を流すなんてことは当たり前だった。
仮に、全身がむくみ、肺には水がたまり、「陸で溺れさせる」と揶揄される状態になったとしても。
それが、少しでも患者の予後を延ばすかもしれない、栄養を入れなければならない、処置を中止してはならない、という我々の価値観であった。

今でこそ、緩和ケアの概念が広まってきたから、終末期に患者さんを苦しめるような処置は減ってきたが、それでも我々の価値観が患者さんを縛る場面というのは確実にある。
例えば、鎮静に関する場面。
鎮静は、いかなる処置を行っても耐えがたい苦痛があるときなどに、意識レベルを下げて(眠っている状態にして)、本人が苦痛を感じないようにする処置であるが、一度深い鎮静になった場合、その後は家族と会話したりもできなくなるわけなので、慎重に開始する必要があるし、また医療者側にも「まだ何かできることがあるのではないか・・・」と葛藤を生み出しやすい処置といえる。
その葛藤を解消するために、事前に医師、本人、家族、スタッフが入念に話し合い、皆の同意が得られたところで開始するのが常だが、それでもスタッフの心が揺れるのは避けられない。

特に、
「これ以上生き続けている価値がない」
「朝起きて、つらいのを我慢して、夜が来て寝て、また同じ朝が始まるのが耐えられない」
など、身体的な苦痛もないわけではないが、どちらかといえばスピリチュアルな苦痛が強くて鎮静の希望が強い場合など、
健常者の視点で見ると
「まだご飯も食べられる楽しみがあるのに」
「家族と会話もできるじゃない」
と思ってしまいがちなのだが、それはあくまで我々の価値観の枠で患者さんを見ているだけに過ぎないんじゃないか、と思うこともある。
今日この処置をすれば、明日には症状が軽くなるかもしれないから試してからもう一度考えましょう、というのも、このような状況においては傲慢なことなのかもしれない。
ケアをしても無駄だ、と言っているわけではないが、それはもっとこのような訴えが出る以前の、もしくは出てから早期のアプローチが重要なのである。

もちろん、安易な鎮静は私も否定的である(嫌いな方だ)。
ただ、「眠ってしまいたいほど苦痛だ」というのと「苦痛だから眠ってしまいたい」というのには大きな差異があり、後者には実際に鎮静の手段をもってあたらなければならない場面も多い、と感じている(前者はいわゆるスピリチュアルペインに対する支持的なアプローチでケアできることも多い)。

これは、私が5年前に緩和医になってから、ずーっと考えている命題であるが、
このようなスピリチュアルペインが強く、鎮静を強く望む場合に、それを否定するだけの大義が我々医療者側にあるか、ということである。
このような苦痛をもつ患者さんに粘り強く付き合い、ケアを続けることこそが、緩和ケア医のあるべき姿だろう、という声もあるかもしれない。
しかし、そのつらい明日を迎えるのは我々医療者ではなく、患者さんなのである。

患者さん、家族の価値観は我々とは異なる。
私たちはその前提を忘れてはならないし、私たちが了解不可能なことであっても、人生上の重大な決定を、単に我々の価値観だけで覆したり躊躇してさらに患者さんを苦しめたりするようなことがあってはならないと思う(法律上問題のあることやスタッフを危険にさらすことなどは別だが)。
ただ、これはずーっと悩み続けている命題なので、これからも悩み続けるだろう。
少なくとも、鎮静が必要なほどスピリチュアルな苦痛で苦しむ患者さんを、一人でも減らせるよう考えながら、この命題にも取り組んでいこうと思う。

がん・主治医のないつらさ

「がん難民」という言葉があまり聞かれなくなってから久しいですが、
まだまだ実際には「難民化」する患者さんたちはいます。

マスコミでよく取り上げられていたのは、抗がん剤治療などがなくなったら、これまでの主治医から見放されて行き場所がなくなる、という方でしたが、
それとは別に、「行き場所がたくさんありすぎてさまよう患者さん」という方々もいて

例えば、
免疫療法は○○クリニック
漢方薬は××診療所
食事療法は△△病院
ペインクリニックは□□医院・・・
などなど

いろんな医師が関与はしているものの、結局誰が患者さんの人生に対する方針をたてていくのですか?となると、それは誰もいない。
みんなが「この治療をやるときっとよくなりますよ」「効いてくるまでの辛抱です」
など耳障りのよい言葉を言い、ちょっと都合が悪くなると
「当院の専門は○○なので、それは他のクリニックの医師と相談してください」
と逃げたりする。
そしていくら具合が悪くなっても自分のところでは絶対に入院させない(そもそも入院施設自体持っていないことが多いのだが)。
あげくに「○○先生はこう言っていた」「××先生はこうだった」といろんな医師からいろんな方針を吹き込まれ、どうしていいかわからなくなっています。

これは宗教にはまってしまった方といっしょなのです。
「主治医」が不在の状態で、物理的に最期を診る医師がいなくなってしまっただけではなく、心理的にも「難民化」してしまっているのです。

腫瘍内科医は、進行再発がんの患者さんに抗がん剤をはじめるときに
「この病気は治ることはありません。抗がん剤の効果には限界があります」
という話をします。
患者さんにとってはつらい話ですが、それは
「あなたの人生に私がずっとおつきあいさせていただきます」
というメッセージであり、医師としての覚悟の表明でもあります。
私をあなたの「主治医」にさせてくださいと。

耳障りのいい言葉だけを伝えて、ずっとそれでやっていけたらどんなに楽なことか、と思います。
医師によっては「本当のことを伝えるなんてかわいそうだ」という方もいるでしょう。
しかし、現実問題として、抗がん剤でその時間を延ばせたとしても、いずれそのときは来るのです。
そのときになって「こんなはずではなかった」「何も準備していない」と思わせることのほうがよほど残酷でかわいそうなことではないか、と私は思います。

しかし、患者さんの心理ももちろん単純なわけではありません。
腫瘍内科医から、そのように伝えられたとして、
医師を信頼していないわけではない。
抗がん剤に限界があるだろうことも、他の治療法も効果が乏しいだろうことも、いずれ自分が最期を迎えるのだろうことも、理解はできる。

しかし

診察室から出て、家族の笑顔を見たときに、心は様々に揺れ動き
「自分の小さい子供のために(夫・妻のために、もしくは不安のために)、とにかく可能性がある治療ならば試してみたい」
と思うのが患者さんたちの心理ではないでしょうか(違ってたらすみません)。

私は、上記のようなクリニックに行くことを、ことさらに否定はしません。
もちろん、医師としてそのようなビジネスライクな医療を提供する業種は許せないと思っていますし、患者さんから意見を求められれば全力で否定していますが、
その上で、上記のような心理から、患者さん個人がそのようなクリニックへいくこと、それ自体は否定できないと思うのです。
ただし、それは「主治医」あってこそ。
必ず「還ってくる場所」があってこそ、だと思います。物理的にも心理的にも。

患者さんには、「一緒に一生歩きますよ」という医師がいれば、その人を失わないで頂きたいのです。
※クリニックの「来院さえしてくれれば一生治療しますよ」ではありません。
一生をつきあう覚悟だから、時には厳しいことも言う。しかし逃げたりもしません。
腫瘍内科医かもしれませんし、緩和ケア医かもしれない。また、小さい頃からかかりつけの家庭医の先生、という場合もあるでしょう。

是非、そのような医師を見つけて、あなたの「主治医」としてほしいものです。


※上記文章中では「抗がん剤の限界」について書きましたが、それは多くの進行・再発の固形癌一般の話であって、抗がん剤で治る癌や患者さんの状態もありますので、ご注意ください。

2012年4月13日金曜日

新しい井田病院

明日、井田病院は竣工式、そして地域への内覧会。
そして5月からは新しい病院での診療である。
小杉地区は今後1万人の人口増が予測されるにもかかわらず、当院の病床数は若干減少することもあり、これまで以上にいろいろな工夫をして診療にあたる必要がある。

ケアセンター在宅の理念のひとつは
「高齢社会を支える地域ケアの拠点となります」
だ。
1万人増えた人口を、どうすれば30年後に支えられるか。どのようなシステムをつくっていくか。
病院だけではなく、地域全体で、というのはキーワードだが、具体的にどうしていくかはまだ模索状態である。
長いようで短い道のり。
今すぐにでも一歩一歩歩いて行かなければならない。

コンサルタントとして

4月から、緩和ケアチーム専従として、働いている。

緩和チームは、基本的には他科の先生から「こんな症状で苦しんでいる患者さんがいるんだけども、見てくんろ」と依頼を受け、依頼者(コンサルティー)の希望に応じてアドバイスをする、コンサルタントである。

まあ、これまではそんな仕事したことないわけで、やれどうしたものか、と悩んでいたときに勧められたのが

岩田健太郎先生の「コンサルテーション・スキル」という本

いや、これは普通に読み物として面白い。
後半はコンサルテーションとは関係ないんでないの?という話題も多々あるが、読みものとして面白いからアリ。

で、その本の内容を参考にしつつ、私が現在心がけていること

・依頼が来たらできるだけ早く病棟へ向かうこと
・コンサルティーの希望をまずは確認すること
・できればコンサルティーと直接話をすること
・自分が出した処方やアドバイスの根拠をカルテに丁寧に書くこと
・自分が行ったことによる効果や副作用の予測を書き、さらにそれぞれの対処法も記載すること
・緩和病棟や在宅サービスへの橋渡しをすること

などである。
特に、最後の項目は、コンサルタントが陥りがちな「傍観者的視点」に偏らないような配慮である。
つまり、自分が主治医ではない、というところから、患者さんのゴール設定は主治医任せで、自分は症状緩和だけよ、というふうにはしないよう心がけよう、という戒めでもある。
ただし、かといって入り込みすぎると主治医の領分を侵したり、逆に「チームへお任せ、自分は知らない」の、どっちが主治医?状態になるので、バランスも大切だが。

2週間たってようやくこのコンサルテーション業務が少し面白くなってきた。

ただ、私自身もこの「緩和ケアチーム」の必要性について色々疑問を抱くところがあったりするので、そこはもう少し考えていきたいのと、批判は色々と受けていかないとならないだろうなと思っているところである。

2012年4月9日月曜日

内科症例検討会で腫瘍内科を語る

17:00からの内科症例検討会で、「栃木で勉強してきたことをしゃべれ」というお達しだったので、つくりましたよ、スライド50枚!

日頃の鬱憤を晴らすべく、腫瘍内科というか現在のがん治療を取り巻く問題をぶちまけました。
標準治療が普及していない、患者さんや家族への説明がきちんとされていない、巷に情報があふれていて患者さんも医療者も混乱している・・・などのテーマについて熱く語らせて頂きましたが、伝わったかな?

私は、標準治療をきちんとやること、副作用と効果のバランスをみながら上手にコントロールしていくこと、患者さん・家族と一緒に(あるいは一歩下がって)歩いていくこと、が大事だと思うのです。
標準治療といえども乱暴に成されればそれは暴力になりえます。心ない説明をされれば傷つきもするでしょう。
その反動で、知らないうちに医療者は「標準ではない治療」に患者さんを送っている側面があると思います(医療者は「あんな治療に手を出して!」とよく言いますが)。

がんの治療はとても繊細な一面をもっています。
患者さんは人生の危機に直面し、様々な面で非常にナイーブです。
私たちは患者さんの気持ちを本当の意味で理解することはできませんが、寄り添っていくことはできます。
患者さんにとって、何が大切なのかを常に考えながら、プロフェッショナルとしての技術をもって、患者さんの生き方をサポートしていく必要があると、改めて考え直す良い機会でした。

2012年4月3日火曜日

新体制2日目

昨日から新体制が始まり、ケアセンターの医師はなんと10名!に増えた。
非常に活気があふれるセンターになり、指導する宮森先生にも熱が入っている。

(画像には写っていないがカメラの後ろにあと3名ほど医師がいる)

しかし、緩和ケアをこれまで実践した経験があるのは私と指導医の宮森先生のみであり、まだまだ2日目、手取り足取りの状況である。
しかし、来てくれた先生方が揃いもそろって全員非常に熱心で優秀であるので、これまでのところ大きな問題なく、非常に頼もしい。

私自身が緩和チームにほぼかかり切りのこともあり、あまり病棟の指導はできていないのだが、これから色々と壁にぶつかっていくのだろうなあ、と思われ、いつでも相談を受けるようにしないと…というところである。
明日はまた8時集合。がんばろう。

2012年3月25日日曜日

かわさきへ異動、そしてブログも

本日をもって栃木を離れ、川崎へ移動してきました。
これまで勉強してきたことを生かし、これから地域のために頑張りたいと思います。
それに伴い、指導的立場になるので、「ヒヨコ日記」はちょっと・・・ということでタイトルもかっこよく(?)変えてみました。
これからはもっと情報発信していきたいと思っています。
今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。

2012年1月4日水曜日

2012年の抱負

半年近くブログを更新していませんでしたが、2012年、転機の年に際して、今年の抱負をまとめてみます。

まず、2012年は職場も住居も変わります。
これは、3年前に栃木に来たときから決めていたことで、3年間で腫瘍内科医としての修行には一区切りをつけ、緩和医療を中心とした仕事に戻るつもりでいました。

ただ、3年が経とうとしている今年、その思いは微妙に変化しています。

そもそも、腫瘍内科を勉強しようと思ったきっかけは、緩和医療で研修をしていて、自分が診ている患者層がいかに限定されたものかを痛感していたためです。
実際、緩和医が扱う患者さんは、全てのがん患者さんのうち、わずか数%と言われています。それ以外は、緩和専門施設などに紹介されて来る前に亡くなったり、PCUの空き待ちをしている間に容態が急変したりしているわけです。
「こんな狭い領域でずっと勉強していては、がん診療の全体を診ることなど到底できない」
と考え、緩和に紹介されて来る前の診療を知らなければ、と考えて腫瘍内科の研修を始めたのです。

【日本における緩和医療のあり方を考える】
腫瘍内科医として、他科ローテート研修の期間を除いた1年半ほどの間で、私が当初抱いていた思いは微妙に変化しました。
それは、自分が化学療法を行った後、抗がん剤治療を行わなくなっても、結局自分が主治医として診る患者さんがいかに多いかと実感したことが一番大きな要因かも知れません。
私は、自身が緩和医療の研修医であったこともあり、できる限り自分で最後の看取りまで診療する、ということを栃木に来てからも実践していましたが、PCU登録をしたとしても転棟するまでに間に合わず、一般病棟でお看取りをする方が大半でした。
また、抗がん剤治療中止後は全て緩和ケア科の先生にお任せする、というスタンスの先生もいましたが、それでも結局はその先生が最後まで看取る、ということも多々ありました。
これは、人的資源・PCUの病床数などがニーズに追いついていないことを意味します。

また、実際診ている患者さんで「抗がん剤治療が終わったら先生とお別れかい」とおっしゃる方がとても多かったことも事実です。
私の上司の先生は、緩和ケアに移行する患者さんにとって越えなければならない3つの壁、ひとつは「療養場所が変わる(一般病床からPCU、がん専門施設から地元の病院、など)」、ふたつめは「抗がん剤治療が終了になる、という事実」、そして最後が「主治医が交代になること」を挙げられていました。そして、「私がそのまま診療することも可能ですし、緩和ケア科の先生に代わって診てもらうこともできますよ」と選択肢を与えることで、その壁をひとつでも取り去ることができるのでは、と述べられていました。

そう考えていくと、日本において理想的な緩和医療の提供体制は何なのか、という命題にぶつかりました。
つまり、栃木に来た当初、3年後にはまた緩和医療の世界に元通り戻ろうと考えていたのが、「本当にそれでいいのか」と考えるようになったということです。
緩和医療を中心にやっていくことは変わりありませんが、その提供体制は、既存のスタイルでは無いものの方が、患者さん中心の、ニーズに沿った医療なのかも知れないと考えています。
では、どのようなスタイルがニーズに沿い、理想的な緩和医療のあり方なのか。
「緩和医の数をとにかく増やし、ニーズに応じられるだけの人数を確保し今以上にきめ細やかな対応をする」というのが一番の解決策ですが、医療界全体が医師不足である現状において、これは非現実的であり、医療資源の有効活用という観点からも、緩和にだけ重点的に医師を配置させるのは不可能です。
腫瘍内科医が主体となって緩和医療をシームレスに提供、必要に応じて麻酔科や精神科など、専門家へ紹介をして、戦略をコーディネートしていく、というのはひとつの策ですが、デメリットもあり最善かどうかはわかりません。
研究や思索、議論などによってそれを検討していくのが今年の一番の命題と位置づけています。

【緩和医療におけるプロジェクトおよび研究の遂行】
上記に関連して、緩和医療に関わる現場の声はどうなっているのか、緩和医療の将来をどのように考えているのか、という意見を集約するプロジェクトを2~3つほど検討しています。
詳細についてはまだ明らかにできませんが、それらを成功させることが今年前半の大きな仕事になります。
また、そのプロジェクトにともなう研究も計画しており、色々な先生方から協力を頂き、私自身も勉強になっています。
研究については、本当にひとりの力では何もできないことを痛感しており、人とのつながりの大切さを感じています。
時間(とお金)があれば、日本全国の緩和医療の施設を色々と見学したり、多くの先生方に会って見識と人脈を広めることも計画しています。

【転居先における足場固め】
このブログを書いている時点で、4月以降の異動先は実は決まっていません。
ただ、川崎に家を買ってしまったので、川崎に移ることだけは決まっています。
次に移った場所では、地元に密着した活動(それは医療だけではなく、地域に関わる全てのことにおいて)をしていくことが夢だったし、武蔵小杉周辺ですが、ずっと住みたいと思っていた憧れの場所なので、かなりワクワクしています。
特に、武蔵小杉周辺はこれからの数年間で劇的な発展を遂げる可能性があり、人口も若い世代を中心に数千人単位で増加することが予測されます。医療の面から言っても、その方々の健康を支えるリソースを整備していかないとならないわけです。
ただ、ここでもいきなり自分のしたいことをやる、というよりはまず地元のことをよく知り、ニーズを把握していかなければならないので、2年程度は地元の情報を足で集め、人を知っていく必要があります。
転居したら、勤務後および週末の地域散策がとりあえずの日課です。
たくさんの人とも会わないとならないでしょう。自分は決して社交的とは言えないのですが、地域の方々は、お互いの夢を共有できうる身近な仲間ですので、積極的に交流していく機会を持ちたいものです。
そして、勤務先が決定した場合は、その病院の地域における役割や住民ニーズの把握をしていくことも必要になります。

【まとめ】
2012年は転勤や大プロジェクトなど、自分にとっては大きな転機となる年です。
それは、逆に言えば新たな生まれ変わりを意味する年でもあり、5年ほど前から温めてきた数々のアイディアを実行に移すべく、準備をしていく時期が来たと、心が躍るのを感じています。
いずれ、世界をちょっとでも良くすることに自分が貢献できるよう、今年その一歩を踏み出そうと思います。