2011年3月25日金曜日

ツイッター:メディアとしての危険

フォロワーの多いユーザーは、もう既にひとつのメディアである、ということを自覚すべきである。
何気ない発言が、多くの人に拡散され、影響を与える。

例えば、医療に関することで言えば、
ある人(Aさんとする)が、フォロワー4万人とかいたとする。普段は、自らの仕事や、世の中の出来事の解説などしており、人気の人物。
しかしある時、Aさんの親が癌になり、Aさんはパニックになってしまった。
ネットで情報を集めると、ナントカ注射、という方法が癌に効く、治る、という情報があった。
Aさんは、自分の親にもこの治療を受けさせよう、と考え、ツイッターで報告をする。
フォロワーのうち500人から否定的な意見が届く一方、100人から肯定的な意見も届く。
Aさんは迷うが、やはりこの治療にかけてみたい、何故なら~の理由がある、と力説。
結果、5000人のフォロワーからリムーブ。ただ、残りの35000人は何らかの影響を受け、またあまり深い意図もなくその発言を拡散する。
結果、医学的に間違った情報が広まっていく可能性もある、ということ。

いま既存のマスコミは、倫理観の欠如や、専門知識の勉強不足などに起因する情報の質低下が問題視されている。
ネットはそれに代わるメディアであるとも。
確かにツイッターは情報も早く、様々な専門家と自由に意見交換ができ、世界を透明化する素晴らしいツールである。
しかし、本当にツイッターが既存のメディアになり変わるとしたら、問題が起きうることに留意する必要がある。
つまり、専門知識を何も持たない素人が、既存のメディア以上の情報発信力を持ちうることの危うさである。我々はジャーナリズムとは何か、という教育も受けていないし、ツイッターやっていて自分はジャーナリストである、といったある種の職業倫理を抱えながらツイートしている人なんて、ごく少数であろう。
ある分野ではそこそこの知識を持っていて普段は信頼性高い情報流していたとしても、気分次第で別の素人分野のことに対して気楽に情報発信できるし、そのことに問題意識を持っていない。
他の誰かと「情報を発信することの是非」を協議するわけでもないから、内容は極めて独善的だ。
「ツイッターには自浄能力がある」と言っても、ブロック機能などもあるわけだから、自分に批判的な人はどんどん除外していって、一種の宗教じみた集団を作り上げることも可能なわけである。それがまたフォロワーの自覚のないうちに行われるから、根拠のないツイートでも広く拡散し、受ける側へ与える影響は大きくなることもある。さらに、専門的な話になると、「批判している側」と「批判されている側」のどちらが正しいのか、というのを判断することも難しい
(多くの場合「批判している側」の方が一見正しそうに感じられてしまうことも問題である)。
 
各種新聞などで「ネットは不勉強な人間が不確かな情報を流す危険なメディア」と言っていた理由がこの辺りにあると思われる。
 
ただそれは、どのメディアも言えること。私は別に既存のメディアを擁護しているわけではない。新聞・TVだって人のことは言えない。利益優先・官僚化によって腐敗した既存メディアは、今の体制を脱却できないなら滅びるべきだし、ネットと比較した自分達の役割、というのも再考すべきと考える。
 
特に、今回の震災を機に、SNSユーザーは益々増えてくると予測される。その時代の中で、今後、情報発信する人間は情報フィルタリング能力が問われる。受け取る側も、どういう情報は信頼できるか、どのように情報を集めるべきか、というのを今まで以上に意識する必要がある。これまでのように受動的に情報を入れるのではなく、自ら情報を取りにいき、集めた情報をもとに自分で考え、判断しないとならない。
全員が情報の発信者・受信者となり得る社会においては、メディアリテラシーを全ての国民に教育する必要があるが、どのように教育していくかが今後の課題である。