2013年12月22日日曜日

言葉は、薬であり毒でもある

「お体の具合は、いかがですか?」
「今日は寒いですね」
「夜は、よく眠れましたか?」

私たち医療者は、日々患者さんやご家族に、たくさんの言葉をかけている。
言葉というのは簡単に口に出せるけれども、その分、その扱いには注意が必要だ。
特に、医療者が発する言葉は、薬になることもあれば、毒になることもある。
医療者が、そのことに無自覚であることは危険だが、思ったよりもそういった危険な例は多い。

「セカンドオピニオンに行くのであれば、私との信頼関係が損なわれますよ」
「余命は1ヶ月程度と思われます」
「モルヒネを使うと苦しみはとれますが、いのちが短くなる可能性があります。使ってもいいですか」
1年以上前に、医師から言われた不用意な発言にずっと捕らわれ続けている患者さんもいる。

特に意識すべきなのは、私たちの安心のために患者さん・家族へ「毒となる言葉」を告げていることだ。
近年のインフォームド・コンセントをしっかりとりましょう、という流れは一部おかしな方向へ走り出している。「事実を告げること」は大事だが、その現実に対する答えを医療者が持っていないが故に、その答えを出す作業ごと、家族へ押しつけている例だ。
例えば
「がんで消化管に穴が空いたようです。元々の余命も1ヶ月程度でしたが、すぐに開腹手術をしないとすぐに亡くなる可能性があります。ただ、手術自体で亡くなったり合併症で苦しむ可能性もあります。さあ、どうしますか?」
「お父様は誤嚥性肺炎を繰り返し、もう口から食べ物をとるのは難しくなっています。栄養を取らないと餓死の状態になりますし、それを避けるためには胃瘻の手術が必要です。さあ、どうしますか?」
一見、どこが「毒」かわからないかもしれないが、実際にこの決断を迫られた家族は、どちらを選んでも「これで良かったのだろうか」という葛藤に悩まされることになる。そこまで考える想像力が私たちには必要である。

私たち医療者は、現場では常に不安を抱えている。
その人の人生を、ある程度左右する決断をしなければならない場面は何度もある。しかし、そういった場面において、自分が安心したいがために、患者さん・家族へその思いを押しつけてはいけない。
言葉はひとつひとつ丁寧に選ばなければならない(そう、まるで薬をひとつひとつ選ぶように!)。
選んだ言葉を、どういう順番で出していくか、きっちりと組み立てなければならない(そう、治療レジメンを組み立てるように!)。
そして、実際の場では、ある程度の演技と演出も必要だし、それと同じくらい、魂の表出も必要だ。
相手の様子を常に診ながら、あるときはぐっと押し、またあるときはスッと引く。そして自分が出した言葉の、その効果を量り、次の言葉を継ぐ。

毒となる言葉を避け、薬となる言葉を紡ぐ。これはれっきとした「医療行為」である。
緩和ケアに携わるなら「言葉」のもつ効果に、専門家として向き合う姿勢が大切である。
常に自分という人間が持つ「効果」に、ひたむきに向き合わなければならない。それは、ときに苦しみを伴うこともあるし、悩みは常に尽きない。それでも我々はプロとして、それをおこなっていかなければ、目の前の方々にとても失礼なことになるだろう。
死までの時間を精一杯生きている、その「生」を支え祝福するために、我々は自分の「毒」に敏感になるべきである。

2013年12月15日日曜日

【元住吉】がん哲学カフェ1月・2月予定


「がん」の悩みを
私たちと語りませんか?


「がん哲学カフェ」とは、がん患者さんとそのご家族と医療者とが、カフェのリラックスした空間で、対話するための場所。「がんであっても笑顔を取り戻し、人生を生きることが出来るように支援したい」と願う、順天堂大の樋野興夫先生によって発足されました。

「病気を抱えて、どうやって生きていったらいいのか」「これから、どんな治療を受けていったらいいのか」とお悩みの方へ。私たちとの対話を通じて少しでもお気持ちが整理されるよう、お手伝いをさせて頂きたいと思っています。お気軽にご利用下さい。


【開催内容】
1/18(土)14時~17時
2/8(土) 14時~17


123組、各組1時間程度、がんの専門医師とがん看護専門看護師が、がんに関するどんな相談でも受け付けます(診療行為は行いません)。対象は「がん患者さん」「がん患者さんを支えるご家族」です。申込制ですので、お早めにご連絡下さい。


・開催場所:ida cafe

(川崎市中原区井田中ノ町33-9 http://ida-cafe.com/

東急東横線元住吉駅西口から、ブレーメン通りを抜けて徒歩10分(850m)。井田小学校えんじゅ門の近隣です。


料金:無料 (飲み物は、各自ご注文下さい)


予約がない場合は開催されないことがあります。
 
 
【申し込み、お問い合わせは下記まで、メール、FAX、または電話でお願いします】

川崎市立井田病院 かわさき総合ケアセンター   西 智弘
TEL: 044-766-2188   FAX: 044-788-0231
e-mail: tonishi0610@hotmail.co.jp

 
西 智弘(にし ともひろ):川崎市立井田病院 かわさき総合ケアセンター 腫瘍内科/緩和ケア内科 医師
 
2005年北海道大学卒。室蘭、川崎で家庭医療、内科、緩和ケアを研修後、2009年から栃木県立がんセンターにて腫瘍内科。2012年から現職。緩和ケア、抗がん剤治療や在宅医療に携わる。日本臨床腫瘍学会がん薬物療法専門医。


2013年12月4日水曜日

緩和ケアは考えることを止めてはいけない

緩和ケアをする、というのは本当に難しい、と思うことがよくある。

そもそも、緩和ケアは誰のためのものか。

患者さんのためのものであり、
家族のためのものであり、
決して医療者や病院のためのものではない。
お題目としては、みんなわかっているはずであるのだが。

実際に病院にいると、「それって・・・」と思う場面に遭遇することは多々ある。

「食事を食べられなくなったのですが、点滴1本だけしかオーダーされてないですが、それで本当にいいんですか」
「酸素マスクを嫌がって外してしまうのですが、何とか説得して下さい」
「貧血が進行してきたのでとりあえず輸血します」
「意識の状態が悪くなってきた原因を調べるので全身CTと採血します」
とか。

もちろん、こういう選択肢が全て「間違っている!」というつもりはない。背景にある文脈や患者家族との対話の内容によっては、こういったことが是となることもあろう。
問題なのは「条件反射的に」こういった医療行為を進めていないか、という点だ。
緩和ケアの行為は、基本的に「対話」からスタートすべきだし、その行為に伴う様々な事柄も、「対話」を中心に進めていくべきだと私は思う。

例えば、患者さんが点滴を嫌がっている、でも家族は何も食べられなくなった患者さんが心配でしようがない、という場合。
まずは患者さんとよく「対話」する。点滴がどうして嫌なのか、点滴をすること、点滴をしないことがどういう意味をもつのか、家族の思いについて感じていることはあるのか、などなど。そして家族とも対話をする。患者さん自身の思い、家族の不安、などなど。もちろん、私たち医療者は、それに対してエビデンスや経験に基づいた理論を提供する。点滴をしないことは命を縮めるのか?これまで自分が診てきた患者さん達はどうしてきたか、そして医師として勧められる選択肢は。
そういった文脈の上では、「やっぱりもうしばらく点滴はしましょうか」の結論でも良いし「では、点滴は止めましょうね」でも良く、どちらが正解というものではない。ただ、緩和ケアの領域において、「食事がとれなくなったからとりあえず点滴」という、医療者側の考え方の一方的押しつけは避けたいのである。

緩和ケアは本当に難しい。
医療上の安全が、世間的にもますます厳しくなりつつあるなかで、緩和ケアといえども、そういった「対話」から生まれる選択肢すら取りにくくなってきていることも事実である。
「足が動く限りは自分でトイレに行きたい」という思いも「危ないから」という理由で制限されることもあるし、「死ぬまでに一度、自分の家に戻りたい」といっても「外に出ている間に何かあったら誰が責任取るんだ」といって、思いを果たせない場合だってある。

世の中は、様々な思いの方々が、色々な方向へ世間を動かそうとしている。
それらは多くが相対的なものだ。
私の主張も、決して全て正しいわけではなく相対的なものに過ぎない。
「患者さんのため」という主張も、患者さんの希望を通すことが「患者さんのため」である場合もあるし、医学的な判断を通すことが「患者さんのため」である場合もある。

しかし、それならばなお、医療は何のためにあり、緩和ケアは何を目的に行われ、相対的な視点からみて、目の前にいる患者さんのために「何が最適と思うか」を、患者さん自身や家族とともに一生懸命考え続けることが必要なんじゃないのか。
そこで出た答えが正しいかどうかなんて、誰にも判断できない。だけど、みんなで一生懸命考えて出した答えを、ひとつひとつ納得しながら先に進んでいくしかないのだと思う。
少なくとも、緩和ケアにおいて全ての患者さんに当てはまる答えなんてものはない。
だから、考え続けるのをやめてはいけない。

とっても大変なことだけど、ひとつひとつの処置、薬、検査、そして言葉の選択に至るまで、我々はいつも考え続けないとならないのだと思う。

追記:
ちなみに、緩和ケアにおいてよく美談になるような「患者さんに何かをしてあげた」的な取り上げられ方をするものも、個人的にはあまり好まない。ああいうのがいい、という方もいればそうでない方もいるから。「何かをしてあげる」ことは医療者としてはわかりやすいことだが、ちょっと間違うと医療者側の自己満足にしかならない。患者さんの日常はそういったイベント以外でもずっと続いているわけで、ある患者さんでは「明日も同じ日常が来ること」が、一番の望みだったりする。そういった方に「何かして欲しいことはありませんか、何かしたいことはありませんか」としつこく尋ねることは、患者さんにとって負担になるかもしれない、と考えることも必要である。