2014年1月4日土曜日

医療の呪縛

 緩和医療は治癒が困難となった疾患を抱える患者さんに対して「命の長さを延ばすことも、縮めることもしない」医療であるとされている。

 緩和医療の考え方は、だいぶ世の中に広まってきて、死を見据えてどうやって充実した生を生きるか、という部分が重要視されるようになってきた。
 結果として、延命効果の判然としない人工呼吸器の装着や胃ろう造設については、患者さん側も希望しない、こちら側も勧めない、という事例が増えてきたと思う。

 そういった部分をとらえて「緩和では、検査とか治療とかは何もしてくれないんですか」と問われることもある。もちろん、患者さんに対して「何もしない」というのは極論である。
 ただ、「どこまでやるべきか」という部分については、常に悩まされるところではある。

 私はそれを「医療の呪縛」だと思っている。

 私が、最初に研修を受けた病院では、緩和医療を教えてくれた先生は極力医療的なことをしない、という方針であった(というように私には見えた)。熱が出ても下血があっても意識レベルが下がっても検査も処置もしない。
「何もしない医師」に私には映った。
 若かった私は日々それに不満があり、ある時
「こんな状態になって検査のひとつもしないんですか!」
と、くってかかった記憶がある。その時に先生は、
「もう残された時間が少ないときに、検査だ、処置だ、とバタバタして、本人や家族にとっていいことはない」
と穏やかにおっしゃられた。
 当時の私は納得できず、その病院を飛び出してしまったが(それだけが理由ではないが)、今となっては自分自身がその「何もしない医師」である。

 もちろん、本当に「何もしない」わけではない。
 症状を和らげ、患者さん・家族と対話し、死に向かいながら生きる支えとなるように考えながら診療している。
 ただ、ある程度病状が進んできた状況で、大きな処置はしないにしても、ある程度簡便な処置(採血や点滴など)で時間を延ばせるかもしれない、というときに、私は「医療の呪縛」と闘わなければならない。
 医療は「死に抗い、命を延ばす学問である」という側面もある。少なくとも一時期までは、それこそが絶対的な正義で、医師はどんな状況でも諦めず1分1秒でも命を延ばすことこそが至上命題とされてきた。私たちの深層心理にはそういう意識はいまだにある。

 それが今は変わってきた、というのは前に述べた通りだが、この呪縛がいまだに私を苦しめる。
 人工呼吸器のような苦痛を伴う処置はしない、でも貧血があったら輸血をするか?意識レベルが下がったらCTなどで全身精査をすべきか?一時的につらい処置でもやれば確実に延命の可能性がある処置ならするべきか?

 私自身の答えは「それで患者さんの生活(生命)の質が向上されると判断されるならやることを考慮する」というものだ。ケースバイケースで考えるし、そこに延命するかしないか、という部分はあまり関係がない。自分の中ではそれでいい。
 ただ、こういった考えは周囲と相容れない場合もある。
 とにかく、延命できる可能性がある部分については、医師としてきちんと治療すべきだ、という考え。命を延ばすことは何よりも生命の質を高める行為だ、とする考え。それをしないのは医療倫理的に問題だ、とされる。
「何もしない」と決断することは、何かをすることよりも勇気がいることだと思う。考えもなしに「何もしない」決断をしたわけでもない。しかしそう決めた私自身が、周囲から、医療の呪縛から、そしてかつての師を糾弾していた過去の自分から責められているような感覚は常にある。
「何かをして」結果うまくいけば評価される。うまくいかなくても「これだけ頑張ったんだから」という充実感はあるかもしれない。しかし「何もしない」ことは、誰からも評価されず、「何かしておいた方が良かったのか」という苦悩とひとりたたかわなければならない。

 確かに、何かをして、生きて目を開けている時間を延ばす限り、家族と話す時間もできるし、TVを見たり、明日の朝食も食べられるのかもしれない。
 ただ、それはその方の時間的に見れば1点だけを切り取ってしている議論であり、ずーっと病気と戦ってきて、その結果のいま、ということを考えたときに、緩和医療の原則である「命の長さを延ばすことも、縮めることもしない」という言葉が重くのしかかってくる。

 例えば、癌で全身転移があり、痛みなどと戦いながら長く療養してきた高齢の患者さんが、ある時意識状態が悪くなってもうろうとしてきた。家族は、
「もう高齢だし、これまでたくさん苦しんできた。いま苦痛がないならこれ以上検査とか処置はしなくていい。本人もそれを望んでいました。どうせ回復しないのだし。」
と話され、基本的にそのまま看取る方針だったとする。しかし、さらに意識レベルが落ちたときに、病棟の看護師が当直医師に相談し、CTが撮影され、脳転移が見つかる。そうすると、脳浮腫を取る薬を入れたり、ステロイドを投与したり、放射線治療もやるぞ、ということになって、結果的に患者さんは少し意識を回復し、会話もできるようになった・・・、という場合。
 結果的に色々処置をしたことで、患者さんの意識は良くなり、もしかしたら寿命も延びたかもしれない。しかし、患者さんの目を覚まして、その先にあるのは、また病気との戦いである。

 この例において前者と後者の医師、どちらが正しい、と皆さんは感じますか?

長く病気と戦ってきて、ようやく楽になれる時間ができた。本人・家族もこの状態でいることが望ましいという。検査や処置をすること自体が苦痛だし、目を覚まさせても、その先にあるのはやはり苦痛かもしれない。ならば医師はその思いに添おう、という考え。

回復可能な病態があるのであれば緩和医療の対象の患者さんといえどもきちんと検査・処置をして回復するかどうか試みるべき。回復しないかどうかもやってみないとわからないし、回復すれば、また家族と会話をしたり、この世のものを見たりできるのは良いことだ。目を覚まして苦痛があればその都度緩和していけばいい、という考え。

 どちらかが善でどちらかが悪、といった明確には分けられないと思うが、今になって、当時の師の思いが少しずつわかってきた気がする。
 緩和ケア医というのは、けっこう孤独なものなのかもしれない。

2014年1月1日水曜日

昨年の振り返りと2014年のビジョン

 昨年1月のブログでも書いたとおり「活動を外向きに広げる」を2013年のテーマとして活動してきた。

 1月に「こすぎナイトキャンパス(地域における読書会)」に参加したことから、この1年間はスタートしたといえる。その勉強会に参加している方々とのつながりから、まちづくりのワークショップへの参加や、「社会と医療をつなげる」ことを目的とした様々な勉強会や集会に参加した1年間になった。
 中でも、「まち・ひと・せいかつワークショップ」で1年間かけて武蔵小杉のまちづくりを考えたこと、そして「待合室から医療を変えようプロジェクト」の講演会に伺って、病院と地域をつなげることのヒントを頂いたことが、2014年へつながる活動へ結びついている。


 2014年につながる大きな活動のひとつが「+Care project」だ。これはワークショップ・イベントの実施や、既に事業を行っている方々とのコラボレーションなどを通じて、地域のヘルスリテラシーを高め、小杉を中心とした地域を「病気にならないまち/病気になっても安心して暮らせるまち」として、ずっと健康に安心して暮らせる地域にしていくことを目的とするプロジェクトで、2014年1月から地域のNPOや企業、医療者などが連携して進めていくことになっている。私はプロジェクトマネージャーとして、まず今年はこのプロジェクトを地域へ広めていくことを目標としたい。
 もうひとつの大きな活動は「レストランサポートプロジェクト」である。これは前述の「待合室から医療を変えようプロジェクト」の後援を受けた企画で、医療者と市民が一緒に、レストランという場を通じて「食」を考え直す、という全国でも初めての企画である。昨年4月から活動を続けてきたが、本邦において病院レストランを考える上でのモデルとなる知見を提供していくことをめざし、今年2月ころに成果を発表できるよう準備を進めている。

 また、院内では「ほっとサロンいだ」を開設し、1年間その運営を行ってこれたことも大きな成果であった。これは院内の様々な方々やボランティアさん達のご協力があってこそだが、マギーズセンターに少しでも近づけるよう活動を続け、開設当初とは比べものにならないくらい、その質も向上した。サロンを通じて「地域と病院をつなげる」という目標も、多くの企業や市民の方々に入って頂けたことで、成果を上げられたのではないかと思っている。「ほっとサロンいだ」が院外に出る形での「モトスミがん哲学カフェ(樋野先生のがん哲学外来とのコラボ)」や「よろづ健康相談(商店街、+Care projectとのコラボ)」も成功を収めたといえるだろう。

 ただ、2013年は「外に活動を広げ」すぎた影響で、かなり疲弊した、というのも事実である。上記の他にも学会の活動や発表、様々な勉強会や執筆活動など、とにかく「No」と言わずに仕事を引き受け、興味があるものには全て参加してきた結果である。
 2014年は、レストランサポートプロジェクトや+Care projectを中心として、ある程度力の配分を考え、集中して取り組むことを目指したい。断らざるを得ない仕事も出てくるだろうが、なるべく各方面に迷惑をかけないように調整しながら取り組んでいきたい。


 川崎に帰ってきてからの2年間で、ようやく様々な活動・コンテンツがお互いにつながって有機的なシステムになりつつある。多くの方々とのつながり、支えがあってこその成果である。今年もこれを大切に育てていきたい。

皆様、今年もよろしくお願いします。