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タイムバンクは時間を売り、VALUは価値を売る

株式会社メタップスの副社長、山﨑祐一郎さんにお会いする機会があり、色々とお話を伺ってきました。
メタップスといっても知らない方もいらっしゃるかと思いますが、個人の時間を売り買いするサービス「タイムバンク」の運営会社だといえば、わかる方もいらっしゃるのではないでしょうか。

山﨑さんは『お金2.0』を書かれたCEO佐藤航陽さんとは創業時からの仲で、当初はCFOという立場で未上場企業としては最大規模の60億円という資金調達を成功させた方です。
そういった経験を持つ方から、実際の資金調達の流れなどのお話を聞けたことがとても貴重でした。

その中で、「VALUとタイムバンクの違いについてどう思いますか」という質問を投げかけてみました。
VALUとは、タイムバンクと同様に、個人の「価値」を売り出すことができるサービス。タイムバンクもVALUも評価経済という枠組みの中で、個人がお金を集めるというサービスではコンセプトは似通っています。

すると、山崎さんからは、
「タイムバンクは『時間』というモノを売買している。VALUは販売するモノがない」
「個人の価値のトレードという概念はふわっとしていて、その意味でVALUの仕組みはよりクラウドファンディングや寄付に近い」
「対価が明確でなければマーケットが大きくならないため、流動性が上がらない、その結果広まらないのではないか」
といった回答を頂きました。
では、企業のICO(Initial Coin Offering)とVALUの仕組みは似通っているが、その点の違いは?と追加で質問をしたところ、
「企業のICOに対し、VALUは『個人のICO』と言える。ただ、企業についてはいずれ上場するといったところからそのトークンに流動性が生まれるので売ることができる」
という回答でした。

ある方が、VALUの評価をする時に
「流動性が全て」
という言い方をしていたのが腑に落ちる回答でした。
現在の流動性が落ちてしまったVALUでは、やり取りすることができないトークンには価値が乏しいというのも確かにそうでしょう。

では、VALUはこのまま終わってしまうコンテンツなのかと言えば、私はそうではないとも思っています。
山﨑さんの指摘を逆手に取れば、VALUでトークンと引き換えに売り出すものそのものに価値があれば、そのトークンは売れる。つまりは優待自体に価値を持…

社会的インパクト投資:マギーズトーキョーへの寄付とは

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マギーズトーキョーから寄付金納入についてのお礼状を頂きました。

実は、私はこれまで2冊の単著を上梓しているのですが、その両方とも「マギーズトーキョーへの寄付つき本」になっており、私への印税の一部が自動的にマギーズトーキョーへ振り込まれる仕組みになっています。

『緩和ケアの壁にぶつかったら読む本』
『「残された時間」を告げるとき~余命の告知Ver.3.1』

本を書いたことがある方はわかるかと思いますが、印税が振り込まれるのって本ができてから1年以上先とか普通にあることなんです。
1冊目の刊行が2016年2月だったのですが、その印税がようやく入ったということですね…。

以前にもこの件ではブログを書いたことがありますが、マギーズトーキョーへの寄付つき商品の開発は、多くの方にお勧めしたいです。

ただ、私は別に慈善活動家ではありません。
単純に、自分の稼ぎの一部を施す…というような考えをもっているわけではありません。
私の中では「これは投資である」と位置付けているからこそ、マギーズトーキョーへの寄付つき本を次々に出しているのです。

その動機は、以下の3つにまとめることができます。

①社会的インパクト投資という考えを世の中に広めたい
②寄付市場規模の拡大を狙いたい
③暮らしの保健室の仕組みの持続可能性を高めたい

順に解説していきましょう。

①社会的インパクト投資という考えを世の中に広めたい
一般的に「投資」というと、ある物品やサービス、またはそれを生産する会社に対して資金を投じ、そのサービスや会社が成長することでの金銭的リターンを得るという考えが思い浮かぶでしょう。
「投資」は大きくなければリターンも大きくならないので、株などで多額のお金を動かすというイメージもあるかと思います。
それに対して「寄付」というのは、慈善として、ごく少額のお金を施すというイメージがあるのではないでしょうか。募金箱をもって街頭に立つというイメージ。
しかし、本当にいい活動をしている非営利団体への寄付は、その資金によって事業規模が拡大すれば、社会全体が改善し、結果的に自分たちの暮らしが良くなるというリターンが得られます。さらには、営利企業や行政では手を出せなかった課題に取り組んでいる非営利団体が成長することで、課題が解決され、結果的に出資者への経済的な効果が生まれるということもあります。
これを「社会的インパクト…

Pt's Voice004:友人と富士山に登りたい。だから治療してくれ。

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もう十分長く生きたし、思い残すことはないよ
治療を受けてしまったら、また人生に未練が生まれてしまう

と言って、その方は全ての治療を断わった。
私は説得したけども、その方の意思は固かった。
それもその人の生き方。強い意志ならばそれもひとつだろう。

しかしある時、その方は言った。

なあ先生、がんを小さくする方法ってのはないものかな?

「えっ?それは抗がん剤ですが、治療はしないって…」

するとその方は照れ臭そうに

いや、昔からの友人がね、「死ぬ前に富士山に登ろうぜ」って言うんだ
でも、がんが大きくなってしまって今の体じゃ山に登れない
だから、ちょっとだけ、小さくしてくれないかな
友人との約束のために

ああ、そうなんですね。
その友人との約束が、人生の未練になってしまったのですね。
そんな未練は、いいですね。
あなたと友人との約束のために、医師として全力を尽くしますよ。

モナコインとビットコインを投げ銭して気づいたこと

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先月から、polcaというサービスを利用して、「暮らしの保健室」の運営費用を集める実験をしていました。
12/7の夜まで募集しているので、ぜひご支援いただきたいです!
https://polca.jp/projects/5ozCwJ4FEDm

さて、今回の実験の目的は3つ。

①polcaというサービスの使い勝手と友人での利用状況の確認
②実際にどのくらいの額が集まるのかということの確認
③モナコインとビットコインの投げ銭による広告効果の確認

です。
私は1月に「社会的処方研究所」という企画の立ち上げを控えており、そのPR戦略を組むために、この実験を行っていました。

まず①については、少なくとも自分の周囲では「polcaって何?」という方が多く、暮らしの保健室が対象とする層とはアンマッチという印象。
まあ、それは開始する前からある程度予想はしていたし、今回の企画で少しでも知ってくれる方が増えたらいいかなと。
使い勝手としてはやはり使いやすいので。
ただ失敗したのは、説明文を入れられるスペースがないこと。polcaのページを開いただけだと、どういった目的での支援募集なのかがわかりにくい。「暮らしの保健室」って何?ということを説明できない。タイトルに入力しなければならないんだけど、これって結構難しいなーと。だから「フレンドファンディング」なんだろうけどね。

②については、この記事書いている時点で1.2万円。
本当にありがたい。
polcaのIDだけだとわからない方もいるので、どういった方々から支援頂いているのかがはっきりしないのだが、嬉しいことです。
ただ、逆に言えば自分+polcaで集められる額はこれくらい、という現実でもある。
これはしっかり見つめないといけない。

そして本題の③。
これは、「社会的処方研究所」のクラウドファンディングを今後行うに際し、そのPR方法としてモナコインとビットコインの投げ銭がどれくらい使えるかということの予備調査。
本当は、モナコインとビットコインをほぼ同時期に行う予定だったのですが、ビットコインの準備をしている間に、モナコインが急騰しそうな気配があったので、前倒しでスタートしたという経緯がありました。

【RTでモナコイン①】
医師や看護師が店員のカフェ?川崎の「暮らしの保健室」
ちょっとした悩みや、病気にかかった際の困りごとを相談できる…

Pt's Voice003:病院で死ぬというのは、旅先で死ぬようなもんだよ。

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家に帰りたい、とその方は言う。
病状は不安定、家族も心配している。
家に帰って、どうしてもしたいことがあるんでしょうか?
と、私は尋ねる。

いや、別にしたいことがあるっていうんじゃなくて・・・

と、その方はしばし考えて

先生ね、俺はもう長くないんだろう?
だとしたら、このまま病院では死にたくないよ
ここは、俺の居場所じゃない
このまま病院で死んでしまったら、それは旅先で死ぬようなものだよ
俺は、自分の家に帰って死にたい…

そうか、そうですよね…じゃあ、望み通り、家に帰りましょう…

死は受け入れられるのか否か

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先日、とある方が「死について事前に話し合っておけば、死を受け入れられるようになる、と考えるのは危険だ」と発言していました。

しかし、医療者は日常的に「あの患者さんは(死に向かっていく)病状を受け入れています」とか「病状を受け入れていませんので、医師からきちんと説明してください」などという発言を繰り返しています。

さて、ここでの疑問は、「そもそも人間は死を受け入れることは可能なのか否か」という点です。
皆さんはどう思われますか?
自分が、数か月以内に死に至る病にかかったとして、それを受け入れて死に対峙することができそうでしょうか?

エリザベス・キューブラー=ロスは『死ぬ瞬間』という著作の中で、死を予告された患者がたどる心理プロセスとして、
最初はその病状を否定する「否認」
→「どうして自分が」という「怒り」
→何とか死なないですむ方法がないかを模索する「取引」
→そして抑うつ
という過程を経て、最終的に「受容」へと至るだろうということを書いています。
緩和ケアにおいては、この「受容」へのプロセスを導くことがケアの望ましいあり方と、考えられているような節があります。

ここで考えないとならないのは、「受け入れる」というのはどういう状態を指すのかという点です。
「私は最後まで治療に前向きに生きていきたい」と言えば「受け入れていない」ことになるのか。
「もう諦めました」とつぶやき、うなだれている患者は「受け入れている」ことになるのか。

私は、人間の死に対する心理というのが「受け入れているか、受け入れていないか」などときっぱり分かれることはないと考えています。
ある時は医師の前で「もう思い残すことはありません」と笑っていても、受け持ちの看護師の前では「死ぬのが怖い」と涙を流しているなんてこともありますし、緩和ケアの医師の前では「ホスピスに入れてもらえてありがとうございます。あとはお迎えが来るのを待つだけです」と言っていたのに、腫瘍内科医が回診に行くと「先生、がんに効く画期的な新薬の情報はありませんか?」などと発言したりします。
これは、どちらかが建前でどちらかが本音、ということではなく、どちらも本人の「本音」です。
死を考えることは怖い、でもいずれ来る未来に向けて今は精一杯生きていきたい、ただふとした瞬間に「もう終わりにしたい」とも思う…など、患者の思いは多彩で移ろうもので…

Pt's Voice002:私、がんになってもいい、と思えるようになりました

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「どうしてそう思ったのですか?」と患者さんに聞いた。

私はね、近い将来、必ずがんが再発してくると言われてる
以前はね、がんになることが恐くて恐くて仕方なかったの
でもね、こうやって話を聞いてくれる人たちができて
支えてくれる人たちができて
ああ、もうがんになっても、安心だなって思えるようになったの
ここに頼りさえすれば、大丈夫って

だから、がんになってもいい、と思えるようになったのよ。