2013年7月29日月曜日

医療は人の尊厳を奪うのか:処方箋編

 前回の記事に続いて「処方箋編」です。
 気持ちが乗っているうちに一気に書き上げたいと思います。

 最初に、身も蓋もないことを言いますが、私はそう簡単に「抑制」の問題は解決しないと考えています。

 問題が複雑である以上、解決も簡単にはいきません。
 これは、この国(政府という意味だけではなく)がある程度の時間をかけて作り上げてきた「文化」の一部のようなものです。「文化」を一朝一夕に変えることなどできないということです。

 前回に述べたように、「抑制を禁止しろ!」「尊厳を守れ!」と感情的に声をあげることは簡単です。しかし、それは根本の解決にはなりません。何しろ、私たち医療者だってやりたくてやっているのではないのですから。
 もちろん、多くの国民が自らの未来に自分も抑制されるかもしれない現実を認識し、こういった声をあげていくことは大切なことです。議論が盛り上がっていくことで、「現状を変えないといけないよね」という空気が醸成されていくのは、「空気」で物事を決めがちな日本人にとっては必要な事です。
 問題は、どうやって抑制をしなくても良いようにするか、です。看護師を増やせ、お金を増やせ、というのも言うは易し、行うは難しなのも前回述べたとおりです。

 解決のヒントは、前回の文章の中にあります。
 その文章とは
「個々人の意見は異なるだろうが、総論的にはそういう流れで、個別に対応することはできない(個別に対応すること自体が人手・コストを要求するから)、というのが現状」
という部分。
 ということは、逆に言えば「個別に対応できる場」を整えれば、病院では全体として「抑制」は必要、と考える流れの中でも、自分(や家族)については「抑制」を免れることができる、ということです。
 しかし、それはもちろん「私たちだけは特別にどんな状況でも抑制しないで対応しなさい」と、口に出して要求しろ、ということではありません(そんなことを言っても「難しいです」と断られるでしょう)。

 まずは、あなたがどういった「生き方」をしたいのか、考えてみてください。
 抑制されて生きたい、という方は少ないと思いますが、その上で、じゃあ自分はどうすればいいか、何ができるか、を考えて下さい。認知症にならない、という保証もありません。仮にそうなっても自分の望んだ生き方ができるよう、家族と話をしておくことも必要です。

 解決方法のひとつは「在宅医療」です。在宅であれば、精神的にも落ち着き、あまり大きなせん妄を起こすことがない方も多くいます。もちろん、在宅も家族の負担があるので、絶対に良い、とは言えませんが、そういった選択肢について話をしておくことは必要でしょう。
 また、数々の医療行為。例えば口から食事が取れなくなったときに、点滴をしたり、胃ろうをつくったりしますが、認知機能が衰えていると、そういった管がつながっていることが気になって、抜いてしまうことがあります。そうすると前回述べたような「ミトン」をつけられて、手の自由を奪われます。じゃあ、初めから「口から食べられなくなったら、一切そういった管類をつなぐのはやめてほしい」と言っておく(書いておく)というのもひとつの考え方です。「書いておく」場合は、家族がそういった場面できちんとその文章を読んでくれるように、やはり事前に伝えておく必要がありますが(エンディングノートはそういったときに便利なツールです)。
 病院において、看護師の負担を減らす、という方向性もひとつです。例えば、当院においては「介護ボランティア」というボランティア職員がいますが、これは各病棟において、身体介護に関わる部分をお手伝いしてくれるボランティアです。要は「ヘルパー業務」に近いことを病棟でやってくれる方で、とても助けになります。自分がこの地域で生き、そして死んでいこう、と考えれば、そういった活動に参加し、地域全体に勧めるのもひとつの手かもしれません。自分が元気なうちは他のひとの世話をする、自分が動けなくなって同じ立場になったら、次の世代の方々に支えてもらう・・・実際にそういった考え方で運営されている施設なんかもありますね。ただ、実際にこのボランティアを引き受けて下さる方はとても少数で、確かに、在宅でヘルパーさんをすればお金がもらえるところを、病棟で、無償で行ってくれる方を求める、というのは虫が良すぎるのかもしれません。じゃあ「病院で正式に職員として募集すればいい」と言っても人件費をこれ以上出せない病院経営側の気持ちもわかります(病院自体がなくなってしまうから)。また、夜間にまでボランティアの方々にお願いするわけにもいかないので、そのへんの問題は解決できないことがネックです。

 
 他にも、様々な意見があると思いますが、そういったことも、どんどん話し合うこと。話していて楽しいテーマではないので、中々家族とかとこういう話をするのは難しいかもしれませんが、そういった時間をもつことも大切なことです。そういった時間をつくる機会を、医療者側が提供するイベント、のようなものも案になるかもしれません。

 最後に。
 ここまで色々と述べてきましたが、全ての「抑制」=「悪」と考えるのはそれはそれで間違いです。
集中治療が必要な状況で、患者さんが「せん妄」をおこし興奮し暴れたりて、治療ができない場合、「抑制」は必要な場合もあります。薬(鎮静剤)を使って眠らせることで抑えることもありますが、それもいわば「精神的な抑制」といえます。しかし、それはその時の現場としては必要な部分もあるのです。
 全ての医療行為は「善か悪か」と割り切れるものではなく、その場合場合の状況によって変化する曖昧なものだということはわかっていて欲しいと思います。あなたの隣で抑制されている方がいても、その方やそのご家族、関係している医療者を責めるべきではありません。それぞれの価値観があり、生き方があり、それに応じて医療があればいいのです。
 あなたはあなたの生き方を考えればいいのです。

 これからの医療は「病院に頼りすぎないこと」が大事になってきます。決して「病院に頼るな」と言っているのではありません。病院にいけば全て解決、ではなく自分たちで自分たちの生き方を考え、あなたの生き方に医療が必要であれば、その時に助けを借りればよいのだと思います。そして、コミュニティ全体でそういった医療や介護問題を考えていく土壌を、みんなで作っていくことが大切です。

 その他にも、2025年に向けて、今から国民全体が考えておくべき問題はたくさんあります。今後、少しずつそういった問題を提起していきたいと思います。

2013年7月28日日曜日

医療は人の尊厳を奪うのか

 医療の現場では、「より安全に、より効率的に、かつ質高く」働くことが求められてきている。
 具体的には、以前であれば「まあいいんじゃないの」「大体こんな感じで」で済まされていたことが、「○○の評価表を用いて数値化して、○○点以上はこういった処置を」とか「○○が起きた場合は書類をつくって病棟単位で検討した後、○○委員会へ報告」とか、色々とルールができた。
 それによって、患者さんや家族にとっては、これまで適当に(悪い意味ではなく)されていた部分についてて、より安全性が担保されることになったし、質が向上した部分もある。

 しかし、そういった流れによって失われたものも多い。
 まず、現場の忙しさが増した。急性期病院にとって、「安全に、効率良く」というのは「問題を起こさずに、原疾患の治療に専念し、最短の入院期間で患者を退院させること」を意味する。そうしないと病院の経営自体が成り立たない、という事情もある。短期間のうちで、様々な評価表を記入し、様々な処置などに対する同意書にサインをもらい、問題が起きないよう管理し、1~2週間で退院したと思ったら次の患者さんが入ってきて、また評価をし直して、書類を作成して・・・。と、評価や書類作成、管理に時間をとられる一方、患者さん一人一人のケアに十分な時間を割くことが難しくなった。患者さんや家族一人一人の話をじっくりと聞き、癒しを提供し、心を通わせて・・・というのは不可能になってきている。

 そして、そういった中で「安全」を追求することで、患者さんの行動を制限しなければならない事態も出てくる。
 現実問題として、例えば45人の入院患者さんに対し、夜間は3名しか看護師がいない。
 患者さんは、入院している=体調不良なわけだから、足元がおぼつかないことも多い(高齢者は特に)。そういった方が病棟内で転んだりすると、骨折などにつながることもあり一大事なので、「トイレに行くときなどは必ずナースコールを押して下さいね、私たちが誘導しますから」となる。しかし、そういった方が多いと、ナースコールを押しても中々看護師が駆けつけられないこともある。一度にみんながトイレに行くわけではないが、中には苦しくて押している方、薬の追加が欲しくて押している方、その他細々した用事で押している方、など様々で、誰もいないナース・ステーションに鳴り止まないナースコール、なんてこともよくある。そうすると、待っていてもナースが来ないので、トイレを我慢できない方は自分で歩き出そうとして転倒したりし、その結果として処置は増え、さらにナースコールへの対応が遅くなる、という悪循環が生まれる。さらには「せん妄」といって、体調不良に加えて入院による環境変化によるストレスから、夜間などに混乱状態におちいり、点滴の管をひきちぎったり、奇声を発したり、病室から脱走、という方もいる(高齢の方に多いが、比較的若い方でも起こらないわけではない)。
 そういう現状から「申し訳ないが、体を『抑制』させていただきます」となる。「抑制」とは、手足や胴体をベッドにヒモでくくりつけたり、両手に指が曲がらなくなるよう板の入ったミトンをはめたり、自分では脱ぐことのできない服を着せたり、ということ。医療者側としてもやりたくてやっているわけではないし、「外して・・・外して下さい・・・」という訴えに心が切られる思いであるが、患者さん自身の安全、そして命を守るために、という前提のもと、心を鬼にしなければならない現状がある。

 しかし、こういった現状はいったい誰が生み出したものだろうか。
 そして、誰にとっての幸福につながっているのか。

 問題の原因をひとつに求めることは困難である。
 例えば、こんなに「安全」が強く言われるようになった背景には、家族からの「病院に入れて安心していたのにケガをさせるとは何事!」という声が大きくなってきた、というのもあるし、その先に訴訟があるのでは、という恐怖もある。「私たち家族は仮に本人が勝手に歩いて転んでケガをしても決して文句は言わないから、抑制するのはやめてください」といわれても、それは受け入れられない。後に、他の親戚が出てきて意を翻される可能性もあるし、先に述べたように「問題を起こさずに早く退院」という病院側の事情もあるからだ。
 看護師を増やせばいいじゃないか、という単純なものでもない。現状、どこの病院でも看護師は不足しているし、定員以上に看護師を雇用することは現時点でもギリギリの経営を圧迫する。こういった忙しい現場に嫌気がさし、途中で退職してしまう看護師も多い。
 経営が逼迫しているなら、病院に対するお金を増やせば、というのも難しい。国が「医療費の増大は国を滅ぼす」と言い始めてから、医療費は削減され続け、最近は微増もしているが、とても根本的な解決に至るほどではない。その一方で社会保障費が増え、税金が増えるのは反対、という声もあるわけだ。

 つまり、質が高く、安全で、安価な医療を、少人数で、低コストで、短い時間の中で効率的に提供しろ、と国民も、国も、病院側も言っている。もちろん個々人の意見は異なるだろうが、総論的にはそういう流れで、個別に対応することはできない(個別に対応すること自体が人手・コストを要求するから)、というのが現状である。そういった何となく「世の中の最大公約数」的な部分に焦点が当てられた結果、医療者も、患者さんも、家族も、病院も、誰も幸福にならないシステムが生み出されているともいえる。
 それでも、それで患者さんの病気がはやく治り、無事に退院できれば、患者さんや家族にとっての「幸福」につながっている、といえるが、高齢者では入院で抑制をされることで足腰が弱って、病気は治ったが寝たきりになって自宅退院ができなくなったりすることもあるのである。

 
 
 「抑制」は確かに人間の尊厳を奪う行為であるが、そういった現状を無視して、いくら「抑制には反対だ!」と言っても問題の解決にはならない。「じゃあ、あなたがそういう『抑制』を解くために、具体的に何か行動ができますか?」と問えば、多くの方は沈黙するのではないか。実際にはご家族が付き添っている時間帯だけ抑制を外したりしている。しかし家族も24時間かつ毎日ずっと付き添えるわけではないことが多いし、全ての解決を家族にだけゆだねるのも私は好ましいこととは思えない。

 そしてこういったことは、決して「自分には関係ないところで起こっている出来事」ではない。いずれ、自分の家族がそういった「抑制」を受ける可能性もあるし、もしかしたら自分が抑制される可能性だってあるわけだ。
 誰だって、ベッドに縛りつけられて、晩年を過ごしたくはないだろう。「自分はそんなふうにはならないよ」とか「自分が年を取って入院する頃にはもっと状況はよくなっているはずさ」とか「医療者に任せておけば何とかしてくれるよ」というのは楽観的すぎる。医療の質と安全を高める要求は年々強くなってきているし、医療者だけで解決できる問題でもなくなっている。特に、現場の看護師たちはあまりにも忙しすぎて、こういった問題の解決に取り組むだけの余裕すらない。
 2025年のいわゆる「多死時代」がすぐそこまで来ている。まず、国民一人一人が問題を認識する必要がある。
 ただ、この現状を解決できる「処方箋」は存在するのか。
 長くなったのでこの先は項を変えて改めて考えてみたい。

2013年7月10日水曜日

月替わりプログラム~彩:8月はハンドヒーリング・レイキ

ほっとサロンいだの「月替わりプログラム~彩」8月も開催します!
8月のテーマは「ハンドヒーリング・レイキ」で、レイキアカデミーの上杉さんにご協力頂きます。


下記の宣伝文を読み、ご興味ある方は是非お立ち寄り下さい~。

(以下宣伝文)
ナチュラルでシンプルなハンドヒーリング
~レイキ


レイキは、 自己治癒力を高め、身体と心のエネルギーのバランスをとる日本で生まれたハンドヒーリングとして知られています。アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリアをはじめとする世界の医療現場でも、「がん」や「難病」の代替医療として脚光を浴びている他、近年は、インドのヨガ、中国の気功と並んで、日本のレイキは広く知られるようになりました。

手を当てるだけのシンプルなヒーリングです。
ただ手を当てているだけなのに、心と身体がふっと緩んでいきます。
人はリラックスすると呼吸が深くなって、自己治癒力が高まります。

当日の手順
最初に呼吸法をしていきます。
静かに自分を呼吸を見て、その後、身体を使っての呼吸法をして行きます。
そうすることで、さらにリラックスした状態でヒーリングを受けることが出来ます。
椅子に座って頂いて、気になるところに手を当てさせていただきます。

【月替わりプログラム~彩:8月 レイキヒーリング】講師:上杉理恵
著書「レイキの光と共に~2度のがんを超えて」
Prema*レイキアカデミー主宰
はーとふる*がんの方へのヒーリングボランティア主宰


8月7日(水) 15:00~16:00
場所:7F ほっとサロンいだ
※事前予約は不要です。直接、会場にお越し下さい。