2011年2月15日火曜日

抗癌剤投与の難しさ

抗癌剤投与に対して、医師の皆さんはどの様なイメージを持っているだろうか?
「抗癌剤なんて怖い怖い。絶対に扱いたくないね」から
「抗癌剤?簡単さ。教科書に書いてある通りの量を患者の体表面積に合わせて投与するだけ。ロボットでもできるよ」
という方まで、色々なイメージがあると思う。
 
私は、どちらかと言えば後者のイメージだった。
それまで扱ったことはほとんど無かったが、いざとなれば
「教科書通りにやればできるだろう」と考えていた。
 
しかしその考えは、がんセンターで研修してから、かなり、かなーーーーーーり甘い考えであったとわかる。
まず、
 
・その治療法の根拠となる臨床試験を知らない。
 
・検査値や症状がどの程度だと抗癌剤が投与でき、また中止(延期)すべきか、知らない。
 
・どの様な副作用が起きやすく、またそれは投与後何日目くらいに出るのか、知らない。
 
・副作用が起きた時、どの様な状態が入院適応となるのか、そして治療はどうするのか、知らない。
 
・そもそも患者さんに起きている症状が、抗癌剤によるものか、他の原因によるものかの区別すらできない。
 
といった有様。
まあ、とにかく最初は知らない事ばかりで、その時は既に五年目医師だったが、気分は初期研修医だった。
 
そして、がんセンターにいると、抗癌剤を専門としない医師の治療の中に、いかに適当なものがあるかも見えるようになった。
(緩和病棟で勤務していた時は、癌専門病院でひどい扱いを受けて、傷ついて来る方もいるのでお互い様だが)
 
・副作用がちょっとでも出たら、治療を中止する。
 
・副作用が恐いので、患者さんに断りもなく標準量の半分で抗癌剤を投与する。
 
・標準治療でも臨床研究でもない「医師の思いつき」の組み合わせで抗癌剤を投与する。
シェフのきまぐれサラダじゃないんだから。
 
半分量で治療を行い「効かなくなったから」と、がんセンターを紹介され、同じ治療を全量で投与したら効果が見られた1例は、自分への自戒もこめて癌治療学会(2009)で発表し、論文化(癌と化学療法 38(6) 掲載予定/2011年6月、In Press)させてもらった。
 
過剰治療は薬剤師さんや保険によって厳しく監視され、事故が起きないよう配慮がなされているのに対し、過小治療は「患者さんに合わせた判断」と言えば医師の裁量でどれだけでも減量でき、監視が困難である。
患者さんは何も知らされないまま「副作用が少なくて楽な治療ね、きっと先生の腕がいいんだわ」と感謝するかもしれないが、本来得られるはずの効果が減弱させられているかもしれないのである。
もちろん、副作用の出現程度や全身状態に合わせて減量することはあるが、それも一般的なルールは大体決まっており、極端な減量や急な中止をするのであれば相応の根拠が求められるべきである。
 
米国の腫瘍内科医である上野先生(@teamoncology)のツイート、
「抗癌剤の使用は手術をするぐらいに技術力が必要。これに気づいていないがん専門医療従事者がいる事が大きな問題」
は、まさにその通りである。
ただ、日本にはまだ腫瘍内科医は少なく、現在少しづつ増えてはいるが、それでも全病院の4つに1つにしか在籍していない
命に直接関わる科なので、心理的負担が大きいのか、社会的ニーズに比して志望者は少ない印象はある。
 
ただ、実際携わってみると腫瘍内科はかなりexcitingな科である。
 
癌を抱えた患者さんに対する全人的医療を行うジェネラリストであり、薬物療法のスペシャリストでもある。
 
緩和ケア、治験や臨床試験と扱う仕事も幅広い。
是非、この面白い仕事を広め、全国に腫瘍内科医を増やしていきたい。
ミッション、パッション、ハイテンションだ!(浜松オンコロジーセンター渡辺亨先生の言葉)

2011年2月9日水曜日

抗癌剤投与時の血管確保は誰が?

ちょっと論文風に書いてみる。

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【はじめに】
昨今、これまで医師しかできなかった医療行為を「看護師も行って良い」とされるケースが増えてきている。
そのような状況の中、癌診療の業界で最近話題になっているのは「抗癌剤投与時の血管確保は誰がするのか?」という点である。
抗癌剤は、種類によっては血管外に漏れることで重篤な後遺症を発生させる例があるため、血管ルート確保は医師が行うべき、という考えが主流であった。
しかし、医師の方が血管確保が下手、いちいち電話をして医師を呼び出して待ってないと点滴が開始できない・・・など、様々な業務上の効率の悪さも指摘され、最近では訓練を受けた看護師が、血管確保を行っている病院も増えてきている。
今回、「抗癌剤投与時の看護師による血管確保」についてtwitterを用いて意識調査を行い、その結果を報告するとともに、若干の文献的考察を加え報告する。

【目的】
「抗癌剤投与時の看護師による血管確保」の是非・問題点に対する、医療者および一般の方々の意識を調査する。

【方法】
2011/2/8 朝10時頃にtwitter上で

【拡散希望】抗癌剤投与時の抹消ライン確保は医師ではなく(訓練を受けた)看護師が行って良いのでは、と最近議論になっています。昨年の癌治療学会では「看護師が血管確保する安全性は高く、医師を待つために点滴開始時間が遅れるなどの問題が解消」と報告もあります。皆様のご意見をお聞かせ下さい。
というツイートを流し、2011/2/9 午前10時までに得られたリプライの数および内容を検討する。
同一のアカウントからの回答は、同じ内容を繰り返している場合にはカウントから除外した。

【結果】
得られた有効回答数は19件であった(母数は拡散してしまっているため測定不能)。
そのうち、看護師による血管確保に肯定的な意見13件(68%)、否定的な意見4件(21%)、条件付で肯定2件(11%)であった。
否定的な意見の理由としては、責任の所在、仕事量が増えることの負担、抗癌剤は治療の意味合いが強すぎ看護師が行うべきではない、過去に(医師が)合併症起こしたため看護師末梢確保どころかCV確保の方向性、という意見が各1件ずつ見られた。
条件付で肯定、としては責任の所在を明確にしてもらえるなら、全員ではなく「人」で判断して任せるべき、という意見が1件ずつ見られた。また、肯定意見だが、現状は「看護師血管確保の後、逆血を医師が確認する」という条件がついている、という報告も1件見られ、逆血が確認できない場合はvesicant drugの場合は刺しなおしをおこなっているということであった。
  
【考察】
上記の結果からは、肯定もしくは条件付での肯定が全体の3/4以上を占めており、抗癌剤投与時においても看護師による血管確保には肯定的な意見が多いことが明らかとなった。
抗癌剤投与時の看護師による血管確保については、2010年の癌治療学会において、自治医大看護師である田中らにより、「外来化療センターにおける看護師による血管確保の導入」として報告されている(日本癌治療学会誌 45(2) ;379, 2010)。田中らによると、外来化学療法センター開設当初は、医師による血管確保(主治医制または当番医制)が行われていたが
(医師側の問題)
・医師の業務の中断
・頼まれ仕事、責任の所在が不明確
・血管確保のskill (sense?)
(看護師が直面する問題)
・患者からのストレス
・医師からのストレス
・業務のペース配分ができず繁雑化
といった問題から、看護師による血管確保が導入となった。
導入における看護師の不安としては「経験がない」「合併症への不安」「責任の所在」「業務量増加への不安」「看護部の理解」「患者との信頼関係」が挙げられた。
以上を解決するため、看護師を守るルール作り、講義・技術研修の実施、認定制度の導入などの準備を約1年かけて行い、血管外漏出時は主治医と対応、穿刺困難例は医師が対応(患者希望の場合も)、看護師による血管確保のお知らせ文を外来に掲示するなどの対応を行った。
結果、血管確保までの待ち時間中央値は導入前9分(2-35分)であったが、導入後には6分(1-10分)と短縮された。一方で、血管外漏出の頻度は導入前は10/6807件(0.1%)、導入後は6/7082件(0.08%)であり、変わりがなかった。以上から、外来化学療法における看護師による血管確保は患者、医師、看護師にとってメリットが大きい、と結論されている。
  
今回twitterで得られた意見では、各施設毎に格差が大きく、大学病院では未だに全ての血管確保を医師が行うことが義務づけられている施設もあり、抗癌剤投与時の血管確保までの道のりが遠いことが示唆される。「責任の所在」の不安も強いと考えられ、医師の指示のもと、というルールを院内で徹底することが必要である。また、それでも不安・抵抗が強い場合には、vesicant drugの投与については医師が血管確保を行い、田中らのようにデータを出して安全性を示す、というアプローチも有効かも知れない。
また、看護師による血管確保の後、医師が逆血を確認するというシステムを取る施設もあるが、結局の所「医師の仕事中断」「待ち時間によるストレス」の問題は解決できず、非効率的なシステムと言わざるを得ない。
今回の調査の限界としては、質問項目が肯定的な意見を引き出すように誘導されていること、有効回答率が明らかではないこと、有効回答数が少ないことが挙げられる。今後、より大規模でよくデザインされた全国調査が行われることが望ましい。
  
今回の調査では、看護師が血管確保を行うことに肯定的な意見が多く、また田中らのデータは、看護師による血管確保は安全で、業務の効率化および患者の満足度向上につながることを示唆しており、今後各施設で、ルール作りと研修体制を確保し、更なるデータ蓄積を行っていくことが重要と考えられる。ただし、同時に、看護師の業務の負担が増えないよう、環境の整備および医師との協力体制を作っていくことが必要と考えられる。
今後、このような体制が日本全国に広まっていくことを期待したい。
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何かの雑誌に投稿できそうだけど、「方法」が思いつきで信頼性低いからrejectだろうなあ。
自治医大のデータは癌治療学会で発表されたものをそのまま転記しているので、何らかの発表の時に転用可

2011年2月5日土曜日

どうする?も言えない胃瘻とポート

口や喉の障害(神経疾患や腫瘍など)で物理的に食事が取れない方、
嚥下機能が低下し、食事摂取の意志はあるものの、食べると誤嚥し肺炎となる方、
認知症や全身衰弱が進む中で、食事摂取が十分に出来なくなる方、
全て胃瘻(もしくはポート)の対象になる。

このような処置はひと昔前なら、延命こそが至上、と考えられ、医師からの「やらないと死にます」の説明で有無を言わさず造設されていた。
しかし、今になって色々と問題となるのは、医療と人権に関する考え方が多様化し、人間の尊厳の問題や「人としての生き方」に対する価値観の違い、社会制度などが複雑にからんできているから、ということと、スウェーデンやアメリカなどに比べ、日本での胃瘻造設数が以上に高いことが判明し「日本では高齢者に対して何をしているのか!」という声が上がっているからだ。

今回は、その適応について、高齢者を中心に考えてみよう。
比較的若い方や、自分の意志をはっきり告げられる方を対象に含めると、話がややこしくなるので、ここでの「高齢者」というのは80~90歳前後、介護度5(寝たきり)、重度認知症、その他疾患などで予後も比較的短い、という方を想定。

まず、家族が
「胃瘻(またはポート)造設を強く希望する」
という場合は、あまり問題にならないことも多いので割愛。

問題は、
家族、親戚も絶対に胃瘻造ってほしくない、
本人の以前の生き方を考えても、そのような処置は希望しない、
主治医も別に造りたいとは思っていない、
というような方でも
胃瘻(またはポート)を作らざるを得ない状況というのはある、
ということ。

例えば、施設入所中で、経口で食事を摂らせようとすると必ず誤嚥し、退院しても数日で熱が出て戻ってきてしまう患者さん。

胃瘻は嫌、もう年なんだし、なるべく自然な形で診てもらいたい、と家族(ただし末梢点滴くらいはして欲しい)。
病院側としては、長期の入院となれば診療報酬が取れなくなるため、誤嚥を繰り返す患者さんには、二度と誤嚥をしない方法を講じて、早く退院してほしい。末梢点滴だけで数ヶ月とか入院されても困る、と主治医へプレッシャーがかかる。
(ちなみに、現在の医療制度では、退院しても時間をあまりあけず同じ病名で再度入院すれば、それは『前回の入院の続き』とみなされる。例えば肺炎で入院し1ヶ月で退院しても、3日後にまた肺炎で再入院し1ヶ月たてば、合計2ヶ月の入院をしたということ。そして、その入院期間が3ヶ月を越えれば、診療報酬は減らされ、『寝ているだけでも赤字』という状態)
介護施設は基本的に経口摂取が十分出来ない患者さんは看ないことが多い。胃瘻は条件付で可、ポート造設で高カロリーは不可というところが多いので、「胃瘻造設なら受け入れます、それ以外は退所」と言われたりする。

療養型病院はポート造設、高カロリーもOKだが、ベッドは半年待ち。

つまり、胃瘻を造ることを誰も望んでないにもかかわらず、現在のシステムの中では「自然な形で」と望んでも、「自然な形で」診れる場は在宅以外にない。
ただ、もちろん全ての家族が在宅で看られるわけではない。
結果、医師からの勧めで、胃瘻造設し施設に帰る、という選択肢を選ばざるを得ないという状況である。

これを読み、何が一番問題に感じるだろうか。
そして、どう解決するのが適当だろうか。

以下に、胃瘻、ポート(中心静脈栄養)、末梢点滴、栄養中止についての利点・欠点、とそれに対する補足事項をまとめてみた。
皆さんの考察の一助になれば幸いである。
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経鼻、胃瘻栄養
・栄養状態が改善し、長期生存を見込めることがある。
・難治性の褥瘡などの改善が見込めることがある。
・施設へ入所するのに必要となる場合がある。
・誤嚥性肺炎が多くなる場合がある。
・チューブなどを引き抜く危険性がある場合、抑制が必要になることがある。
・経管栄養の体位などで新たな褥創が発生する場合がある。
・本人の尊厳が保たれなくなる可能性がある(患者が苦しみ、惨めな状態を長引かせることになる)。
・介護が長期にわたり、介護者の疲労、精神的苦痛から患者がより孤独な状態になることがある。
・胃瘻作成、チューブ自体による事故や合併症(感染、腸管外への迷入、腸閉塞など)が起きる可能性がある。

中心静脈栄養
・栄養状態が改善し、長期生存を見込めることがある。
・難治性の褥瘡などの改善が見込めることがある。
・点滴管理の手技がやや煩雑
・施設へ入所はほとんどの場合、難しい。
・点滴を引き抜く危険性がある場合、抑制が必要になることがある。
・本人の尊厳が保たれなくなる可能性がある(患者が苦しみ、惨めな状態を長引かせることになる)。
・介護が長期にわたり、介護者の疲労、精神的苦痛から患者がより孤独な状態になることがある。
・高血糖、腸管機能低下、ポート自体の感染などが問題となる。

末梢点滴(持続皮下点滴含む)
・長期生存は見込めない。
・比較的自然な死を迎えることが可能なことが多い。
・施設へ入所はほとんどの場合、難しい。
・点滴を引き抜く危険性がある場合、抑制が必要になることがある。

栄養法中止
・長期生存は見込めない。
・自然な死を迎えることが可能で本人の尊厳が保たれる。
・施設へ入所は不可能。
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・上記を考える前に、まずは回復可能な基礎疾患の有無、シンメトレル・タナトリルなどによる誤嚥の予防、抗うつ薬・ホルモン剤などによる食欲改善などについて十分に検討をすべきである。
・持続皮下点滴は在宅では最もコントロールしやすい。
・末梢点滴や栄養中止の選択による、家族の罪悪感に対しては「患者が死亡したのは元の
疾患によってであり、栄養投与はその時期を延命していただけで、栄養を中止したから死亡したわけではない」と説明する。認知症や脳血管障害は死に至る予後の悪い疾患の一つである。
参考文献:『高齢者医療の倫理』 橋本肇著 中央法規出版  2000 bitFlyer ビットコインを始めるなら安心・安全な取引所で

2011年2月1日火曜日

初期研修医制度の問題点

●背景
twitterの方で、日本の医学教育の問題について色々と話題になっている。
2004年からいわゆる「新研修制度」が始まり、これまでの大学医局中心・専門研修中心の研修制度から、プライマリケアを重視した2年間の初期研修制度に変わった。
内科・外科に加え、産婦人科・精神科・小児科・救急・地域保健などが必修となった「スーパーローテート方式」で、各科を1~2ヶ月ごとにぐるぐるローテートするわけである。
私は、2005年大学卒なので、制度2年目に初期研修を開始したことになる。

その研修制度も、2010年には見直しがされ、内科・救急・地域保健以外は全て選択、しかも2年目は将来志望する専門研修に当てても良い、ということになった。
また、それに呼応して、かどうかはわからないが、医学部4年生を修了した前後で、試験に合格した学生に対し「仮免許」を発行して、現在のBed-Side-Learningを欧米のような「クリニカル・クラークシップ型」(学生がStudent doctorとして診療に参加できる)に変えていこう、という声も上がっている。

さて、日本の医学教育の流れは、以上のように数年間で様々に変わってきているわけだが「地方の医師不足を招いた元凶」とか「どのような医師を育てようとしているのかのグランドデザインがない」などの批判を浴びている。
しかし、本当に「グランドデザインはない」のだろうか?

●私の考えるグランドデザイン
そもそも、この「新研修制度」ができた背景には
「臓器別専門バカの医師ばかりで、"人"を診れる医師がいない」
「機内で急変患者がでても手を挙げられない医師」
などの批判を受けた、専門医偏重の教育があり、また、各臓器別に複数の科や病院を渡り歩かねばならない患者さんの苦労や、それに伴う医療費の無駄、などの問題があったと思う。
そこで出てきたのが「プライマリケア」。全ての医師に科横断的な基礎知識を持ってもらい、全人的な視点で診療できる医師を養う、というのが主たる目的であった(他にも色々と思惑はあったでしょうが)。

そこで、私の考えるグランドデザイン。
あくまで推測の域は出ないが、
この制度の目指すべき所は、最初から「欧米型」の医学教育システムにあるのではないか、
と思う。
つまり「クリニカル・クラークシップ型」の教育システムで、医学生をStudent doctorとして各科の基礎的能力を学ばせ、プライマリケアの能力を身につけさせる。学生の指導は初期研修医がする、その指導は後期研修医・・・というように「屋根瓦方式」での教育システムをつくるということ。
しかし、当時の国内の大学では、とてもそのような「プライマリケア」の教育を行うことはできない。なので、「初期研修医」を市中病院へ解放し、プライマリケアの修練を積んでもらい、将来この世代を軸に、卒前教育の充実を図っていこうというデザインだったのではないだろうか。
つまり、我々世代は「プライマリケアを医学教育に根付かせるための先兵」とも言える。

●その上で、医学教育の問題点を考える
①教える側、教わる側のビジョンの欠落
グランドデザインがどうにせよ「初期研修医に対するプライマリケア能力の取得」は厚労省から通達が来ていた訳なので、指導する側もそれにそって教育するべきだった。
しかし、自分たちがそのような教育を受けたこともなければ、そもそも「プライマリケアって何じゃいな」という状態だった医師達は、何を教育したか?
結局は「自分の興味のあること」を中心に教育を行ったわけである。
心カテの操作の仕方、胎児の脳内血流の描出方法、超まれな腫瘍の手術介助・・・など。循環器医師が聴診器を持ち歩いていない、という話も聞いた。
そもそも大学病院では「手を切った」とか「昨日から咳が出る」なんていう患者も来ず、そんな状況でプライマリケアに必要なcommon diseaseの知識や身体診察の習得などできるわけもない。
教わる側も、自分がどのような医師になりたいか、世間から何を求められているか、そのためには今何を学ぶべきか、といったビジョンがないから、
「俺、外科志望っす。手術好きっす。内科は必修だから仕方なく来てますけど、色々難しいこと考えるの苦手っす。あ、穿刺とか縫合とかあったらやらせて欲しいっす」
とかばっかりだったり。
仮に外科志望だったとしても、「内科では感染症の基本的考え方を学んでおけば術後合併症でも困らないな」とか「婦人科の病歴や腹部所見はとれないと、外科疾患と誤診するな」とか、自分のニーズに合わせて研修目標を組み立てるべきである。

②プライマリケアの定義があいまい
「指導医・研修医のビジョン欠落」と書いたが、では「プライマリケアとは何か?」と言われると、答えられる医師はほとんどいないのではないか。
言葉の定義という意味ではなく、研修の到達目標、という意味で。
先ほどの例で言えば、循環器科をローテート研修する以上、心カテだってできないよりはできたほうがいいし、もっと言えばペースメーカー挿入やカテーテルアブレーションだってできるに越したことはない。
ただ、それがプライマリケアか、と言われると、誰もYesとは言わないと思う。
つまり、将来他の科に行けば絶対に使わない技術で、それは覚えても意味がない。
では逆に、どこまでがプライマリケアか、と言われると答えに窮するだろう。
心エコーはできたほうがいいがEFも計算できた方がいいか?とか、内視鏡は覚えたいが止血術もできたほうがいいか?とか。
実際には、その線引きは難しく、曖昧なところも多いし、地域の実情によっても変わるだろう。
ただ、各専門医で「一般医でもこれくらいは担当してほしい」というものは示すべきだろう。
特に、産婦人科や耳鼻科など、マイナー科と言われるところほど、これを意識して到達目標を設定、教育して欲しいと思う。
循環器医の伊賀幹二先生は『循環器診療スキルアップ』の中で、循環器領域の到達目標を示しているので、是非参考にしてもらいたい。

③研修に責任を持つ医師の不在
昔の体制であれば、各医局が、それぞれの入局者に対してある程度の責任を持って教育していたが、新研修制度になってからは、初期研修時代から医局に所属する医師は少数になったため「誰が本当の意味での指導医か」というところが曖昧になった。
ローテート先の指導医は「どうせほとんどはうちの科にはこないんだから」と、教育はしてもキャリアの面倒まで見てやろう、という医師はほとんどおらず、研修医は病院内で孤立しながら自分で自分の研修の組み立て、キャリアプランを作っていかなければならなかった。
そのようなプレッシャーからか、時には精神を病む研修医も何人か出たものの、当事者意識を持って心配や指導をしてくれた指導医はほとんどいなかった印象である。
最近では「メンターシップ」という制度で、各研修医を責任持って指導する「メンター」をつける、というのも流行ってきたが、そのメンターからして「病院命令だからやってます」という医師もおり、機能しているとは言えない。

④教育へのモチベーションの低さ
元々、日本では、医師を教育するノウハウが育っておらず、昔ながらの徒弟制度で「俺の背中を見て育て」的な風潮があった。
しかも、教育を熱心にやっても、医局内での評価が上がるわけでもなく、金がもらえるわけでもない。
「教育を一生懸命やる時間があるなら研究や論文に費やした方が得、研修医はお手伝いをさせておけばそのうち体で覚えるよ・・・」
という医師も多かった。
更に、同じ医局の後輩なら、まだ可愛げがあるので少し大事にしてやろうかな、という気持ちになるかもしれないが、医局制度に関係しない初期ローテートでは、教育する研修医が自分の科にくるかどうかもわからないので、教育する「メリットがない」と感じる指導医は多いわけである(徒労感がある)。
実際には、他科の医師であっても、教育することで自分たちの仕事が楽になることが多いので、そんなにメリットがないとは思わないのだが・・・。

⑤利権の問題
研修制度の構築に対し、各学会や大学病院、医師会などの思惑や、省庁同士の争いなどがからみ、問題を複雑にしている。
大学病院は「プライマリケアなんてどうでもいいから、早く即戦力になる人材を戻すようにしろ」と言うし、医師会は「出身大学のある都道府県の『地域医療研修ネットワーク』に所属し、地域ローテートさせるべきだ(もちろん医師会が主催ね)」と言う。
これら全てにいい顔をしようとするから、最初にあった理念が曲がっていくし、色々な付録が付いてわけのわからないものができあがる、という日本の悪弊だ。
この調子では、仮に、卒前研修を充実させる方向になったとしても
「Bed-Side-LearningでStudent doctorの教育をすることになったけど、○○教授の科はローテートから外すわけにはいかない」
「○○教授の所を回らせるなら××教授のところも外せないでしょう」
とかで、Student doctorをどう育てるか、というmissionよりも大学内の人間関係が重視されそうでこわい。
そして結局は元の通り1週間単位の細切れローテートで1~2名の担当患者とお話しして修了、ということになるんじゃないのかな?最低でも1ヶ月以上、できれば2ヶ月程度はひとつの科で研修しないと、その科のことすらわからないと思うのだが。

以上、まとめると
・どんな医師を育てたいのかという「グランドデザイン」を現場が理解していない
・指導医側に教育のノウハウが身についていない
・研修医が、自分のキャリアパスを組み立てる能力が低く、またサポートもない
・体制側が自分たちの都合ばかり優先し、全体を俯瞰する視点が少ない

といったところ。
他にも問題は色々あると思うが、日本の抱える多くの問題は
「各人のビジョンの欠落」
に集約されるのだと思う。