2011年6月16日木曜日

JIM6月号「すべては地域医療に」を読んで

藤原靖士先生のツイッターの内容が面白いのでまとめてみる。
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JIM「すべては地域医療に」総論が刺激的だっただけに、読み進めるうちに失望と、希望が混在してきた。これが今の現状なのだろう。各論になると、総論とかけ離れた内容しかない。評価できるのはエディトリアルと総論。研修医に地域で医療を経験させるというのは入り口だが「地域医療」ではない。実際にそこから育った医師が、どう「地域医療を展開するか」という点までは全く触れられていない。高知県での取り組みも、静岡県島田市医師会の取り組みも、地域医療のごく一部しか捉えていない。「病院の世紀」の病院視線の地域医療。

「女性医師と地域医療」女性医師が僻地で勤務することの問題は重要な視点だが。「地域医療」=「僻地医療」でない。都市部でも女性医師がどうコミュニティと向き合い、地域医療を展開するか。主婦でもあり母でもある女性医師は、コミュニティとの関係が容易。

これからの医療が、単に医学の世界だけでなく、社会学・経済学・史学・人類学などの、日本では「文系」(私自身はこのような分け方には異論がある)の知見が医学医療の分野に応用されるのが、これからの時代だと思う。それが感じられたのは評価できる。非常に興奮した。。「地域医療」という学問分野は今になってやっと、理論のきっかけができただけで。その現状も手段も、まだまだ研究されていなくて。体系化なんて夢のまた夢。でも、これから、時代の要求がある分野ということ。とすればこれほどやりがいのある分野はない。自分が死ぬまでには解決する問題でない(20世紀初頭に細菌学やビタミン学や外科手術を学んだ人は、20世紀末に臓器移植まで可能な状態を生きて見ていない)けど、歴史の中での自分の位置づけが見えればやりがいのある仕事。という、現状への失望と今後への希望が混在。
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私も実際にJIM6月号を購入してみて読んでみた。
藤原先生と概ね同意見である。
総論はとても興味深く、鳥肌の立つような内容であり、また特集のテーマで若月先生の「医療はすべからく地域医療であるべきで、地域を抜きにした医療はありえない」という、先見性のある言葉を紹介し、都市部でも田舎でも「地域」を中心に医療を組み立てていく、という概念を紹介しているにもかかわらず、その他の内容の多くは「地方の医師不足」「(初期研修における)地域医療研修をどうマネジメントするか」などのテーマを取り上げており、「病院から地域へ」という大きなパラダイムシフトをどのように展開するか、という論考が少ないのが残念である。

私自身「病院から地域へ」という概念を、どのように若手に伝えていけばよいかは日々悩んでおり、往診などで患者さんの実際の生活を見てもらい、その後ディスカッションをすることで、病院で待っているだけの医療(病院の中だけで考える医療)から、自ら地域へ働きかけていく医療(地域全体を医療フィールドと考える医療)へのパラダイムシフトができないかと模索しているところではある。
自分の理想とするところは、更別村の、保健・行政・教育などが一体となった地域ケアの姿だが、同じ事を都市部で展開するのは障壁も多く、どのような形で少しでも都市における地域医療の発展に応用できるかが今後の課題である。
そういった部分を、特に都市部の「病院家庭医」とされる先生方がどのように考え、実際に活動しているのか、という点など、個人的にはとても興味のあるところである。

2011年5月27日金曜日

免疫療法について

先ほどツイッターでツイートした内容をブログにまとめてみる。

【免疫療法1】地元紙に免疫療法の特集が載ったことから、外来で一大免疫療法ブームが起きていることに対して。私は個人的には免疫療法を否定するものではないが、ちょっとしたお祭り騒ぎに、冷静になって考えてみる。
【免疫療法2】まず免疫療法の効果だが、とある免疫療法クリニックのデータでは胃癌での奏効率10%、膵癌で12%くらい。日本での胃癌標準治療であるS1/CDDPで奏効率40%前後、膵癌のGEMは10%程度。
【免疫療法3】免疫療法は雑多な患者群なので、一概に結果を比べられないが、奏効率においては抗がん剤を超える効果があるとは言えなそう。少なくとも万人に効く「夢の治療」とは言い難い。奏効率だけでの比較ももちろんできないが、生存期間についてはデータもないので比較もできない。
【免疫療法4】それでも前述のクリニックはデータを出してるだけまだ良心的で、他のクリニックでは診療実績のデータはあっても効果についてのデータもない。「年間5000人の診療実績!」と広告しておきながら、そのうち効果が出ているのは何人、と広告しないのはいかがなものか、と。
【免疫療法5】そのようなクリニックの特徴は、特に効いた症例のみを「症例報告」として提示していること。症例報告レベルであれば、抗がん剤でも全身の転移が全て消えた例もあるし、進行膵癌に対してGEMとS1で8年近く治療を続けている症例だってある
【免疫療法6】効いた症例もある、という点は否定しないが、それが「年間5000人の診療実績」のうち何人に期待できるのか。また、その中には抗がん剤との併用例も含まれるはずだが、それは抗がん剤が効いているのであって免疫療法は意味なし、という例はないのか。月に150~200万円もかかるのにだ。
【免疫療法7】あと、抗がん剤の入っていない初回治療の方と、1st lineが終わった方、2nd lineが終わった方、それぞれで効果の違いはないのか。それを示さないと、患者さんがそれぞれの段階で「抗がん剤を続けるか、免疫療法か」を選ぶことが本当はできないはず。「夢のような治療」を匂わせて誘導するのは良心的とは言えないのでは。
【免疫療法8】抗がん剤との併用、というのも問題は多い。仮に、免疫療法が効果があって、抗がん剤は無効の場合、癌は小さくなるのでどちらの治療も続けられるが、実際には抗がん剤は体に毒なだけで意味がない、ということになるし、逆であればお金の無駄になる。
【免疫療法9】また免疫療法は副作用少ないことが売りだが、まれにアレルギー反応が起こる、と記載がある。抗がん剤でもアレルギーが起きることはあるから、併用の場合、どちらの副作用か判別しかねる。結果、実際には悪者ではない抗がん剤を止めざるを得なくなり、結果的に余命が短くなる例も想定される。
【免疫療法11】免疫療法中に仮に状態が悪化しても、自施設では対応しない、というのも問題点のひとつ。クリニックである以上、紹介元の病院とは密に連携を取り、万が一の時の対応方法や経過報告などを行うべきであると思うが、今のところそのような施設に出会ったことはない。急変時に手紙ひとつで送り返してくるだけである(しまいには「地元での療養を患者自身がご希望された」とか書いてくる)。
【免疫療法12】免疫療法は今後に期待できる治療法かもしれない。だが現在はまだ研究段階に過ぎない、としか言えないと思う。私は上記のように説明し、それでも免疫療法を希望される場合はもちろんご紹介するし、仮に急変した場合はこちらで診ないとならないとは思っている。ただ、本当に患者のことを思うのであれば、データの科学的分析と中立的な情報提供、患者の人生を考えたプランニングと療養環境の整備、なども考慮に入れてもらいたいものである。
【免疫療法13】患者さんも、広告にあるような「劇的に効いた症例」のみに目を奪われず、色々な専門家の意見を聞いて冷静に判断して頂きたい。「劇的に効いた症例」なら抗がん剤治療でもある。ただ、我々はクリニックのように派手に宣伝をしていないだけである。

よく勘違いされることだが、私たち医師はいくら高い薬を売っても、全く儲からない。薬屋さんが儲かるだけで、場合によっては高い薬を出す方が病院の赤字になることもある。なので、劇的に効いた症例のみを患者さんに向かってアピールする意味はないし、中立的な考えでアドバイスもできる。

2011年3月25日金曜日

ツイッター:メディアとしての危険

フォロワーの多いユーザーは、もう既にひとつのメディアである、ということを自覚すべきである。
何気ない発言が、多くの人に拡散され、影響を与える。

例えば、医療に関することで言えば、
ある人(Aさんとする)が、フォロワー4万人とかいたとする。普段は、自らの仕事や、世の中の出来事の解説などしており、人気の人物。
しかしある時、Aさんの親が癌になり、Aさんはパニックになってしまった。
ネットで情報を集めると、ナントカ注射、という方法が癌に効く、治る、という情報があった。
Aさんは、自分の親にもこの治療を受けさせよう、と考え、ツイッターで報告をする。
フォロワーのうち500人から否定的な意見が届く一方、100人から肯定的な意見も届く。
Aさんは迷うが、やはりこの治療にかけてみたい、何故なら~の理由がある、と力説。
結果、5000人のフォロワーからリムーブ。ただ、残りの35000人は何らかの影響を受け、またあまり深い意図もなくその発言を拡散する。
結果、医学的に間違った情報が広まっていく可能性もある、ということ。

いま既存のマスコミは、倫理観の欠如や、専門知識の勉強不足などに起因する情報の質低下が問題視されている。
ネットはそれに代わるメディアであるとも。
確かにツイッターは情報も早く、様々な専門家と自由に意見交換ができ、世界を透明化する素晴らしいツールである。
しかし、本当にツイッターが既存のメディアになり変わるとしたら、問題が起きうることに留意する必要がある。
つまり、専門知識を何も持たない素人が、既存のメディア以上の情報発信力を持ちうることの危うさである。我々はジャーナリズムとは何か、という教育も受けていないし、ツイッターやっていて自分はジャーナリストである、といったある種の職業倫理を抱えながらツイートしている人なんて、ごく少数であろう。
ある分野ではそこそこの知識を持っていて普段は信頼性高い情報流していたとしても、気分次第で別の素人分野のことに対して気楽に情報発信できるし、そのことに問題意識を持っていない。
他の誰かと「情報を発信することの是非」を協議するわけでもないから、内容は極めて独善的だ。
「ツイッターには自浄能力がある」と言っても、ブロック機能などもあるわけだから、自分に批判的な人はどんどん除外していって、一種の宗教じみた集団を作り上げることも可能なわけである。それがまたフォロワーの自覚のないうちに行われるから、根拠のないツイートでも広く拡散し、受ける側へ与える影響は大きくなることもある。さらに、専門的な話になると、「批判している側」と「批判されている側」のどちらが正しいのか、というのを判断することも難しい
(多くの場合「批判している側」の方が一見正しそうに感じられてしまうことも問題である)。
 
各種新聞などで「ネットは不勉強な人間が不確かな情報を流す危険なメディア」と言っていた理由がこの辺りにあると思われる。
 
ただそれは、どのメディアも言えること。私は別に既存のメディアを擁護しているわけではない。新聞・TVだって人のことは言えない。利益優先・官僚化によって腐敗した既存メディアは、今の体制を脱却できないなら滅びるべきだし、ネットと比較した自分達の役割、というのも再考すべきと考える。
 
特に、今回の震災を機に、SNSユーザーは益々増えてくると予測される。その時代の中で、今後、情報発信する人間は情報フィルタリング能力が問われる。受け取る側も、どういう情報は信頼できるか、どのように情報を集めるべきか、というのを今まで以上に意識する必要がある。これまでのように受動的に情報を入れるのではなく、自ら情報を取りにいき、集めた情報をもとに自分で考え、判断しないとならない。
全員が情報の発信者・受信者となり得る社会においては、メディアリテラシーを全ての国民に教育する必要があるが、どのように教育していくかが今後の課題である。

2011年2月15日火曜日

抗癌剤投与の難しさ

抗癌剤投与に対して、医師の皆さんはどの様なイメージを持っているだろうか?
「抗癌剤なんて怖い怖い。絶対に扱いたくないね」から
「抗癌剤?簡単さ。教科書に書いてある通りの量を患者の体表面積に合わせて投与するだけ。ロボットでもできるよ」
という方まで、色々なイメージがあると思う。
 
私は、どちらかと言えば後者のイメージだった。
それまで扱ったことはほとんど無かったが、いざとなれば
「教科書通りにやればできるだろう」と考えていた。
 
しかしその考えは、がんセンターで研修してから、かなり、かなーーーーーーり甘い考えであったとわかる。
まず、
 
・その治療法の根拠となる臨床試験を知らない。
 
・検査値や症状がどの程度だと抗癌剤が投与でき、また中止(延期)すべきか、知らない。
 
・どの様な副作用が起きやすく、またそれは投与後何日目くらいに出るのか、知らない。
 
・副作用が起きた時、どの様な状態が入院適応となるのか、そして治療はどうするのか、知らない。
 
・そもそも患者さんに起きている症状が、抗癌剤によるものか、他の原因によるものかの区別すらできない。
 
といった有様。
まあ、とにかく最初は知らない事ばかりで、その時は既に五年目医師だったが、気分は初期研修医だった。
 
そして、がんセンターにいると、抗癌剤を専門としない医師の治療の中に、いかに適当なものがあるかも見えるようになった。
(緩和病棟で勤務していた時は、癌専門病院でひどい扱いを受けて、傷ついて来る方もいるのでお互い様だが)
 
・副作用がちょっとでも出たら、治療を中止する。
 
・副作用が恐いので、患者さんに断りもなく標準量の半分で抗癌剤を投与する。
 
・標準治療でも臨床研究でもない「医師の思いつき」の組み合わせで抗癌剤を投与する。
シェフのきまぐれサラダじゃないんだから。
 
半分量で治療を行い「効かなくなったから」と、がんセンターを紹介され、同じ治療を全量で投与したら効果が見られた1例は、自分への自戒もこめて癌治療学会(2009)で発表し、論文化(癌と化学療法 38(6) 掲載予定/2011年6月、In Press)させてもらった。
 
過剰治療は薬剤師さんや保険によって厳しく監視され、事故が起きないよう配慮がなされているのに対し、過小治療は「患者さんに合わせた判断」と言えば医師の裁量でどれだけでも減量でき、監視が困難である。
患者さんは何も知らされないまま「副作用が少なくて楽な治療ね、きっと先生の腕がいいんだわ」と感謝するかもしれないが、本来得られるはずの効果が減弱させられているかもしれないのである。
もちろん、副作用の出現程度や全身状態に合わせて減量することはあるが、それも一般的なルールは大体決まっており、極端な減量や急な中止をするのであれば相応の根拠が求められるべきである。
 
米国の腫瘍内科医である上野先生(@teamoncology)のツイート、
「抗癌剤の使用は手術をするぐらいに技術力が必要。これに気づいていないがん専門医療従事者がいる事が大きな問題」
は、まさにその通りである。
ただ、日本にはまだ腫瘍内科医は少なく、現在少しづつ増えてはいるが、それでも全病院の4つに1つにしか在籍していない
命に直接関わる科なので、心理的負担が大きいのか、社会的ニーズに比して志望者は少ない印象はある。
 
ただ、実際携わってみると腫瘍内科はかなりexcitingな科である。
 
癌を抱えた患者さんに対する全人的医療を行うジェネラリストであり、薬物療法のスペシャリストでもある。
 
緩和ケア、治験や臨床試験と扱う仕事も幅広い。
是非、この面白い仕事を広め、全国に腫瘍内科医を増やしていきたい。
ミッション、パッション、ハイテンションだ!(浜松オンコロジーセンター渡辺亨先生の言葉)

2011年2月9日水曜日

抗癌剤投与時の血管確保は誰が?

ちょっと論文風に書いてみる。

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【はじめに】
昨今、これまで医師しかできなかった医療行為を「看護師も行って良い」とされるケースが増えてきている。
そのような状況の中、癌診療の業界で最近話題になっているのは「抗癌剤投与時の血管確保は誰がするのか?」という点である。
抗癌剤は、種類によっては血管外に漏れることで重篤な後遺症を発生させる例があるため、血管ルート確保は医師が行うべき、という考えが主流であった。
しかし、医師の方が血管確保が下手、いちいち電話をして医師を呼び出して待ってないと点滴が開始できない・・・など、様々な業務上の効率の悪さも指摘され、最近では訓練を受けた看護師が、血管確保を行っている病院も増えてきている。
今回、「抗癌剤投与時の看護師による血管確保」についてtwitterを用いて意識調査を行い、その結果を報告するとともに、若干の文献的考察を加え報告する。

【目的】
「抗癌剤投与時の看護師による血管確保」の是非・問題点に対する、医療者および一般の方々の意識を調査する。

【方法】
2011/2/8 朝10時頃にtwitter上で

【拡散希望】抗癌剤投与時の抹消ライン確保は医師ではなく(訓練を受けた)看護師が行って良いのでは、と最近議論になっています。昨年の癌治療学会では「看護師が血管確保する安全性は高く、医師を待つために点滴開始時間が遅れるなどの問題が解消」と報告もあります。皆様のご意見をお聞かせ下さい。
というツイートを流し、2011/2/9 午前10時までに得られたリプライの数および内容を検討する。
同一のアカウントからの回答は、同じ内容を繰り返している場合にはカウントから除外した。

【結果】
得られた有効回答数は19件であった(母数は拡散してしまっているため測定不能)。
そのうち、看護師による血管確保に肯定的な意見13件(68%)、否定的な意見4件(21%)、条件付で肯定2件(11%)であった。
否定的な意見の理由としては、責任の所在、仕事量が増えることの負担、抗癌剤は治療の意味合いが強すぎ看護師が行うべきではない、過去に(医師が)合併症起こしたため看護師末梢確保どころかCV確保の方向性、という意見が各1件ずつ見られた。
条件付で肯定、としては責任の所在を明確にしてもらえるなら、全員ではなく「人」で判断して任せるべき、という意見が1件ずつ見られた。また、肯定意見だが、現状は「看護師血管確保の後、逆血を医師が確認する」という条件がついている、という報告も1件見られ、逆血が確認できない場合はvesicant drugの場合は刺しなおしをおこなっているということであった。
  
【考察】
上記の結果からは、肯定もしくは条件付での肯定が全体の3/4以上を占めており、抗癌剤投与時においても看護師による血管確保には肯定的な意見が多いことが明らかとなった。
抗癌剤投与時の看護師による血管確保については、2010年の癌治療学会において、自治医大看護師である田中らにより、「外来化療センターにおける看護師による血管確保の導入」として報告されている(日本癌治療学会誌 45(2) ;379, 2010)。田中らによると、外来化学療法センター開設当初は、医師による血管確保(主治医制または当番医制)が行われていたが
(医師側の問題)
・医師の業務の中断
・頼まれ仕事、責任の所在が不明確
・血管確保のskill (sense?)
(看護師が直面する問題)
・患者からのストレス
・医師からのストレス
・業務のペース配分ができず繁雑化
といった問題から、看護師による血管確保が導入となった。
導入における看護師の不安としては「経験がない」「合併症への不安」「責任の所在」「業務量増加への不安」「看護部の理解」「患者との信頼関係」が挙げられた。
以上を解決するため、看護師を守るルール作り、講義・技術研修の実施、認定制度の導入などの準備を約1年かけて行い、血管外漏出時は主治医と対応、穿刺困難例は医師が対応(患者希望の場合も)、看護師による血管確保のお知らせ文を外来に掲示するなどの対応を行った。
結果、血管確保までの待ち時間中央値は導入前9分(2-35分)であったが、導入後には6分(1-10分)と短縮された。一方で、血管外漏出の頻度は導入前は10/6807件(0.1%)、導入後は6/7082件(0.08%)であり、変わりがなかった。以上から、外来化学療法における看護師による血管確保は患者、医師、看護師にとってメリットが大きい、と結論されている。
  
今回twitterで得られた意見では、各施設毎に格差が大きく、大学病院では未だに全ての血管確保を医師が行うことが義務づけられている施設もあり、抗癌剤投与時の血管確保までの道のりが遠いことが示唆される。「責任の所在」の不安も強いと考えられ、医師の指示のもと、というルールを院内で徹底することが必要である。また、それでも不安・抵抗が強い場合には、vesicant drugの投与については医師が血管確保を行い、田中らのようにデータを出して安全性を示す、というアプローチも有効かも知れない。
また、看護師による血管確保の後、医師が逆血を確認するというシステムを取る施設もあるが、結局の所「医師の仕事中断」「待ち時間によるストレス」の問題は解決できず、非効率的なシステムと言わざるを得ない。
今回の調査の限界としては、質問項目が肯定的な意見を引き出すように誘導されていること、有効回答率が明らかではないこと、有効回答数が少ないことが挙げられる。今後、より大規模でよくデザインされた全国調査が行われることが望ましい。
  
今回の調査では、看護師が血管確保を行うことに肯定的な意見が多く、また田中らのデータは、看護師による血管確保は安全で、業務の効率化および患者の満足度向上につながることを示唆しており、今後各施設で、ルール作りと研修体制を確保し、更なるデータ蓄積を行っていくことが重要と考えられる。ただし、同時に、看護師の業務の負担が増えないよう、環境の整備および医師との協力体制を作っていくことが必要と考えられる。
今後、このような体制が日本全国に広まっていくことを期待したい。
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何かの雑誌に投稿できそうだけど、「方法」が思いつきで信頼性低いからrejectだろうなあ。
自治医大のデータは癌治療学会で発表されたものをそのまま転記しているので、何らかの発表の時に転用可

2011年2月5日土曜日

どうする?も言えない胃瘻とポート

口や喉の障害(神経疾患や腫瘍など)で物理的に食事が取れない方、
嚥下機能が低下し、食事摂取の意志はあるものの、食べると誤嚥し肺炎となる方、
認知症や全身衰弱が進む中で、食事摂取が十分に出来なくなる方、
全て胃瘻(もしくはポート)の対象になる。

このような処置はひと昔前なら、延命こそが至上、と考えられ、医師からの「やらないと死にます」の説明で有無を言わさず造設されていた。
しかし、今になって色々と問題となるのは、医療と人権に関する考え方が多様化し、人間の尊厳の問題や「人としての生き方」に対する価値観の違い、社会制度などが複雑にからんできているから、ということと、スウェーデンやアメリカなどに比べ、日本での胃瘻造設数が以上に高いことが判明し「日本では高齢者に対して何をしているのか!」という声が上がっているからだ。

今回は、その適応について、高齢者を中心に考えてみよう。
比較的若い方や、自分の意志をはっきり告げられる方を対象に含めると、話がややこしくなるので、ここでの「高齢者」というのは80~90歳前後、介護度5(寝たきり)、重度認知症、その他疾患などで予後も比較的短い、という方を想定。

まず、家族が
「胃瘻(またはポート)造設を強く希望する」
という場合は、あまり問題にならないことも多いので割愛。

問題は、
家族、親戚も絶対に胃瘻造ってほしくない、
本人の以前の生き方を考えても、そのような処置は希望しない、
主治医も別に造りたいとは思っていない、
というような方でも
胃瘻(またはポート)を作らざるを得ない状況というのはある、
ということ。

例えば、施設入所中で、経口で食事を摂らせようとすると必ず誤嚥し、退院しても数日で熱が出て戻ってきてしまう患者さん。

胃瘻は嫌、もう年なんだし、なるべく自然な形で診てもらいたい、と家族(ただし末梢点滴くらいはして欲しい)。
病院側としては、長期の入院となれば診療報酬が取れなくなるため、誤嚥を繰り返す患者さんには、二度と誤嚥をしない方法を講じて、早く退院してほしい。末梢点滴だけで数ヶ月とか入院されても困る、と主治医へプレッシャーがかかる。
(ちなみに、現在の医療制度では、退院しても時間をあまりあけず同じ病名で再度入院すれば、それは『前回の入院の続き』とみなされる。例えば肺炎で入院し1ヶ月で退院しても、3日後にまた肺炎で再入院し1ヶ月たてば、合計2ヶ月の入院をしたということ。そして、その入院期間が3ヶ月を越えれば、診療報酬は減らされ、『寝ているだけでも赤字』という状態)
介護施設は基本的に経口摂取が十分出来ない患者さんは看ないことが多い。胃瘻は条件付で可、ポート造設で高カロリーは不可というところが多いので、「胃瘻造設なら受け入れます、それ以外は退所」と言われたりする。

療養型病院はポート造設、高カロリーもOKだが、ベッドは半年待ち。

つまり、胃瘻を造ることを誰も望んでないにもかかわらず、現在のシステムの中では「自然な形で」と望んでも、「自然な形で」診れる場は在宅以外にない。
ただ、もちろん全ての家族が在宅で看られるわけではない。
結果、医師からの勧めで、胃瘻造設し施設に帰る、という選択肢を選ばざるを得ないという状況である。

これを読み、何が一番問題に感じるだろうか。
そして、どう解決するのが適当だろうか。

以下に、胃瘻、ポート(中心静脈栄養)、末梢点滴、栄養中止についての利点・欠点、とそれに対する補足事項をまとめてみた。
皆さんの考察の一助になれば幸いである。
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経鼻、胃瘻栄養
・栄養状態が改善し、長期生存を見込めることがある。
・難治性の褥瘡などの改善が見込めることがある。
・施設へ入所するのに必要となる場合がある。
・誤嚥性肺炎が多くなる場合がある。
・チューブなどを引き抜く危険性がある場合、抑制が必要になることがある。
・経管栄養の体位などで新たな褥創が発生する場合がある。
・本人の尊厳が保たれなくなる可能性がある(患者が苦しみ、惨めな状態を長引かせることになる)。
・介護が長期にわたり、介護者の疲労、精神的苦痛から患者がより孤独な状態になることがある。
・胃瘻作成、チューブ自体による事故や合併症(感染、腸管外への迷入、腸閉塞など)が起きる可能性がある。

中心静脈栄養
・栄養状態が改善し、長期生存を見込めることがある。
・難治性の褥瘡などの改善が見込めることがある。
・点滴管理の手技がやや煩雑
・施設へ入所はほとんどの場合、難しい。
・点滴を引き抜く危険性がある場合、抑制が必要になることがある。
・本人の尊厳が保たれなくなる可能性がある(患者が苦しみ、惨めな状態を長引かせることになる)。
・介護が長期にわたり、介護者の疲労、精神的苦痛から患者がより孤独な状態になることがある。
・高血糖、腸管機能低下、ポート自体の感染などが問題となる。

末梢点滴(持続皮下点滴含む)
・長期生存は見込めない。
・比較的自然な死を迎えることが可能なことが多い。
・施設へ入所はほとんどの場合、難しい。
・点滴を引き抜く危険性がある場合、抑制が必要になることがある。

栄養法中止
・長期生存は見込めない。
・自然な死を迎えることが可能で本人の尊厳が保たれる。
・施設へ入所は不可能。
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・上記を考える前に、まずは回復可能な基礎疾患の有無、シンメトレル・タナトリルなどによる誤嚥の予防、抗うつ薬・ホルモン剤などによる食欲改善などについて十分に検討をすべきである。
・持続皮下点滴は在宅では最もコントロールしやすい。
・末梢点滴や栄養中止の選択による、家族の罪悪感に対しては「患者が死亡したのは元の
疾患によってであり、栄養投与はその時期を延命していただけで、栄養を中止したから死亡したわけではない」と説明する。認知症や脳血管障害は死に至る予後の悪い疾患の一つである。
参考文献:『高齢者医療の倫理』 橋本肇著 中央法規出版  2000

2011年2月1日火曜日

初期研修医制度の問題点

●背景
twitterの方で、日本の医学教育の問題について色々と話題になっている。
2004年からいわゆる「新研修制度」が始まり、これまでの大学医局中心・専門研修中心の研修制度から、プライマリケアを重視した2年間の初期研修制度に変わった。
内科・外科に加え、産婦人科・精神科・小児科・救急・地域保健などが必修となった「スーパーローテート方式」で、各科を1~2ヶ月ごとにぐるぐるローテートするわけである。
私は、2005年大学卒なので、制度2年目に初期研修を開始したことになる。

その研修制度も、2010年には見直しがされ、内科・救急・地域保健以外は全て選択、しかも2年目は将来志望する専門研修に当てても良い、ということになった。
また、それに呼応して、かどうかはわからないが、医学部4年生を修了した前後で、試験に合格した学生に対し「仮免許」を発行して、現在のBed-Side-Learningを欧米のような「クリニカル・クラークシップ型」(学生がStudent doctorとして診療に参加できる)に変えていこう、という声も上がっている。

さて、日本の医学教育の流れは、以上のように数年間で様々に変わってきているわけだが「地方の医師不足を招いた元凶」とか「どのような医師を育てようとしているのかのグランドデザインがない」などの批判を浴びている。
しかし、本当に「グランドデザインはない」のだろうか?

●私の考えるグランドデザイン
そもそも、この「新研修制度」ができた背景には
「臓器別専門バカの医師ばかりで、"人"を診れる医師がいない」
「機内で急変患者がでても手を挙げられない医師」
などの批判を受けた、専門医偏重の教育があり、また、各臓器別に複数の科や病院を渡り歩かねばならない患者さんの苦労や、それに伴う医療費の無駄、などの問題があったと思う。
そこで出てきたのが「プライマリケア」。全ての医師に科横断的な基礎知識を持ってもらい、全人的な視点で診療できる医師を養う、というのが主たる目的であった(他にも色々と思惑はあったでしょうが)。

そこで、私の考えるグランドデザイン。
あくまで推測の域は出ないが、
この制度の目指すべき所は、最初から「欧米型」の医学教育システムにあるのではないか、
と思う。
つまり「クリニカル・クラークシップ型」の教育システムで、医学生をStudent doctorとして各科の基礎的能力を学ばせ、プライマリケアの能力を身につけさせる。学生の指導は初期研修医がする、その指導は後期研修医・・・というように「屋根瓦方式」での教育システムをつくるということ。
しかし、当時の国内の大学では、とてもそのような「プライマリケア」の教育を行うことはできない。なので、「初期研修医」を市中病院へ解放し、プライマリケアの修練を積んでもらい、将来この世代を軸に、卒前教育の充実を図っていこうというデザインだったのではないだろうか。
つまり、我々世代は「プライマリケアを医学教育に根付かせるための先兵」とも言える。

●その上で、医学教育の問題点を考える
①教える側、教わる側のビジョンの欠落
グランドデザインがどうにせよ「初期研修医に対するプライマリケア能力の取得」は厚労省から通達が来ていた訳なので、指導する側もそれにそって教育するべきだった。
しかし、自分たちがそのような教育を受けたこともなければ、そもそも「プライマリケアって何じゃいな」という状態だった医師達は、何を教育したか?
結局は「自分の興味のあること」を中心に教育を行ったわけである。
心カテの操作の仕方、胎児の脳内血流の描出方法、超まれな腫瘍の手術介助・・・など。循環器医師が聴診器を持ち歩いていない、という話も聞いた。
そもそも大学病院では「手を切った」とか「昨日から咳が出る」なんていう患者も来ず、そんな状況でプライマリケアに必要なcommon diseaseの知識や身体診察の習得などできるわけもない。
教わる側も、自分がどのような医師になりたいか、世間から何を求められているか、そのためには今何を学ぶべきか、といったビジョンがないから、
「俺、外科志望っす。手術好きっす。内科は必修だから仕方なく来てますけど、色々難しいこと考えるの苦手っす。あ、穿刺とか縫合とかあったらやらせて欲しいっす」
とかばっかりだったり。
仮に外科志望だったとしても、「内科では感染症の基本的考え方を学んでおけば術後合併症でも困らないな」とか「婦人科の病歴や腹部所見はとれないと、外科疾患と誤診するな」とか、自分のニーズに合わせて研修目標を組み立てるべきである。

②プライマリケアの定義があいまい
「指導医・研修医のビジョン欠落」と書いたが、では「プライマリケアとは何か?」と言われると、答えられる医師はほとんどいないのではないか。
言葉の定義という意味ではなく、研修の到達目標、という意味で。
先ほどの例で言えば、循環器科をローテート研修する以上、心カテだってできないよりはできたほうがいいし、もっと言えばペースメーカー挿入やカテーテルアブレーションだってできるに越したことはない。
ただ、それがプライマリケアか、と言われると、誰もYesとは言わないと思う。
つまり、将来他の科に行けば絶対に使わない技術で、それは覚えても意味がない。
では逆に、どこまでがプライマリケアか、と言われると答えに窮するだろう。
心エコーはできたほうがいいがEFも計算できた方がいいか?とか、内視鏡は覚えたいが止血術もできたほうがいいか?とか。
実際には、その線引きは難しく、曖昧なところも多いし、地域の実情によっても変わるだろう。
ただ、各専門医で「一般医でもこれくらいは担当してほしい」というものは示すべきだろう。
特に、産婦人科や耳鼻科など、マイナー科と言われるところほど、これを意識して到達目標を設定、教育して欲しいと思う。
循環器医の伊賀幹二先生は『循環器診療スキルアップ』の中で、循環器領域の到達目標を示しているので、是非参考にしてもらいたい。

③研修に責任を持つ医師の不在
昔の体制であれば、各医局が、それぞれの入局者に対してある程度の責任を持って教育していたが、新研修制度になってからは、初期研修時代から医局に所属する医師は少数になったため「誰が本当の意味での指導医か」というところが曖昧になった。
ローテート先の指導医は「どうせほとんどはうちの科にはこないんだから」と、教育はしてもキャリアの面倒まで見てやろう、という医師はほとんどおらず、研修医は病院内で孤立しながら自分で自分の研修の組み立て、キャリアプランを作っていかなければならなかった。
そのようなプレッシャーからか、時には精神を病む研修医も何人か出たものの、当事者意識を持って心配や指導をしてくれた指導医はほとんどいなかった印象である。
最近では「メンターシップ」という制度で、各研修医を責任持って指導する「メンター」をつける、というのも流行ってきたが、そのメンターからして「病院命令だからやってます」という医師もおり、機能しているとは言えない。

④教育へのモチベーションの低さ
元々、日本では、医師を教育するノウハウが育っておらず、昔ながらの徒弟制度で「俺の背中を見て育て」的な風潮があった。
しかも、教育を熱心にやっても、医局内での評価が上がるわけでもなく、金がもらえるわけでもない。
「教育を一生懸命やる時間があるなら研究や論文に費やした方が得、研修医はお手伝いをさせておけばそのうち体で覚えるよ・・・」
という医師も多かった。
更に、同じ医局の後輩なら、まだ可愛げがあるので少し大事にしてやろうかな、という気持ちになるかもしれないが、医局制度に関係しない初期ローテートでは、教育する研修医が自分の科にくるかどうかもわからないので、教育する「メリットがない」と感じる指導医は多いわけである(徒労感がある)。
実際には、他科の医師であっても、教育することで自分たちの仕事が楽になることが多いので、そんなにメリットがないとは思わないのだが・・・。

⑤利権の問題
研修制度の構築に対し、各学会や大学病院、医師会などの思惑や、省庁同士の争いなどがからみ、問題を複雑にしている。
大学病院は「プライマリケアなんてどうでもいいから、早く即戦力になる人材を戻すようにしろ」と言うし、医師会は「出身大学のある都道府県の『地域医療研修ネットワーク』に所属し、地域ローテートさせるべきだ(もちろん医師会が主催ね)」と言う。
これら全てにいい顔をしようとするから、最初にあった理念が曲がっていくし、色々な付録が付いてわけのわからないものができあがる、という日本の悪弊だ。
この調子では、仮に、卒前研修を充実させる方向になったとしても
「Bed-Side-LearningでStudent doctorの教育をすることになったけど、○○教授の科はローテートから外すわけにはいかない」
「○○教授の所を回らせるなら××教授のところも外せないでしょう」
とかで、Student doctorをどう育てるか、というmissionよりも大学内の人間関係が重視されそうでこわい。
そして結局は元の通り1週間単位の細切れローテートで1~2名の担当患者とお話しして修了、ということになるんじゃないのかな?最低でも1ヶ月以上、できれば2ヶ月程度はひとつの科で研修しないと、その科のことすらわからないと思うのだが。

以上、まとめると
・どんな医師を育てたいのかという「グランドデザイン」を現場が理解していない
・指導医側に教育のノウハウが身についていない
・研修医が、自分のキャリアパスを組み立てる能力が低く、またサポートもない
・体制側が自分たちの都合ばかり優先し、全体を俯瞰する視点が少ない

といったところ。
他にも問題は色々あると思うが、日本の抱える多くの問題は
「各人のビジョンの欠落」
に集約されるのだと思う。

2011年1月27日木曜日

緩和病棟の在院日数

先日、mixiの方で「緩和ケアを受けたいと思い、緩和病棟に申し込みをしたが『当院は入院できる期間が決まっている』と言われ、療養型へ転院となった」という相談を受け、
「入院期間が決められている緩和病棟なんてないだろう」と思って調べてみると、数は多くないものの、いくつかあるらしい・・・。

そもそも、一般病棟は大体入院3ヶ月経過すると、診療報酬が大幅にカットされ「寝ているだけで赤字」となるので、多くの方は退院や転院を促されますが、
緩和病棟はその縛りがゆるく、それなりの期間入院しても大丈夫なように、制度上なっているはずです。
私が以前勤めていた病棟では、1~2年近く入院していた方も少数ですがいました。

とある緩和ケア医のブログから引用します。
ソースはhttp://blog.livedoor.jp/kotaroworld/archives/51587150.html

>(以下抜粋)
都内にある、有名な某ホスピスは、入院の際に
「当院のホスピスには2週間しか入院出来ません」
という説明を受け、承諾された方しか入院出来ないそうです。もっと長い入院が出来ないのですか?と尋ねると、「他に終生入院出来るホスピスがあります」
と他のホスピスを紹介されてしまうそうです。
困って私達のホスピスを訪れる方が何人かおられました。

良い事か悪い事か、皆さんがどう考えられるかは分かりませんが、多くの方々の理解とは逆に、
ホスピスは最期までずっと入院する施設ではなくなって来ています。即ち、基本は在宅。ホスピスは症状のコントロールを行う施設であって、症状が落ち着けば原則退院、という考え方に変わってきています。
もちろん、まだ長い期間入院出来る施設もありますが
「ホスピスの在院日数を見ればその施設の質が分かる」
と言われる時代です。少しずつ傾向は変わってくるでしょう。
(もともと、欧米のホスピスは平均在院日数は1週間程度ですので、驚くには当たらないのかもしれませんが)

これはある意味仕方ない事かもしれません。
高額医療等の制度があるので、個室料金などを除けば患者さまの負担自体は月数万円になりますが、ホスピスでは実際、1日38000円程度、1人が1年間入院すれば1400万円程度の医療費がかかっています。
これだけの医療費をかけているのですから、当然ホスピスは、よりホスピスケアを必要としている人にベッドを提供すべきではないか、という考えが出て来ます。
がんはあるけれども苦痛はあまりなく、ただADLが低くて在宅介護が難しいという方がずっと入院していて、死が目前に迫り、痛みも呼吸苦も吐き気も緩和出来ていない患者さまが入院出来ない、というのは確かにおかしな話です。

すると、症状が軽くなった方は、重い方にベッドを譲って退院して頂き、状態が悪くなったら、またその時に入院して下さい、無理なら療養型病院に転院して下さい、という事になります。しかし、これではある意味
「次の患者さんがお待ちですから早く退院か転院をして下さい」
という急性期病院とあまり変わらないではないですか。

冒頭で紹介したホスピスは、既にそのような考えを推し進めているのだと思います。しかし、多くの患者さまが困って他のホスピスを訪れているのも確かなので複雑な心境です。
結局、制度が整う前に考えだけ先に行ってしまうので取り残された患者さまは途方に暮れてしまうのです。
介護力がない患者さま、御家族も苦しまれているのですからホスピスに変わる救済方法を考えていかなければいけません。
>(抜粋終了)

良記事です。私も本当にそう思います。
この事実を知ったときは、私はショックでした。
こんな医療者側だけの理論を、患者さんに押しつけていいのか、と。
こんな考えが「正しいこと」として広まったら、とんでもないことです。

担癌患者でも安定していれば診てくれる療養施設は、最近でこそ増えてきましたが、
まだまだ理解が乏しいのが現実ですし、ちょっとした症状の変化には対応しきれない面もあります。
そうすると、在宅に帰ることになるのでしょうが、
ADLの低下した担癌患者さんを、自宅で診るというのは家族にとってはかなりのストレスです。
本人は家の方が気楽かもしれませんが、家族は相当な覚悟をもって臨んでいます。そのために仕事を辞めざるを得なかったりする人も中にはいるわけです。
そのような状況を知ってか知らずか
「ホスピスは症状緩和に特化、安定したらすぐに転院か在宅」
と言ってしまえる神経が信じられません。
しかも、在宅に帰っても、自分たちでは診にもいかないのに!
在宅の現場、その苦悩も知らず、気軽に「在宅を推進」とか言わないで欲しい、と思います。

在宅ホスピスは、患者さん自身にとってはいいことはたくさんある。
入院中はせん妄や疼痛のコントロール難しく、食欲も無かった方が、
家に帰ったとたんにしっかりして、食事も食べ、疼痛も治まる、という例は何例も見てきた。
だからこそ、安心して在宅医療を勧められる環境をまず作り上げることが先決である。
決して、病院の哲学で「在宅へ追い出す」という文化をつくってはならない。

2011年1月18日火曜日

医療に対する興味の違い

前の病院での話。

初期研修や後期研修目的で、年に数人の見学者が来る。

そこで、当院ならではの研修の方法などをよく話すのだが、
その後に
「研修の特色はわかりました.では、病院としての貴院の特徴は?」
と聞かれたので、

公立病院として、無保険や生活保護や施設入所者など、周囲の急性期病院がなるべく避けるような背景の患者さんに対し、いかに工夫して医療を行い、そしてその後の社会的・福祉的支援とつなげていくか、という使命とその面白さや、
地域に密着し、在宅部門で地域に飛び出す、という医療のニーズとその専門性など、

これ以上ないという熱の入れようで話して聞かせるのだが、
たいていの場合、
「はあ」
と、全く共感が得られない.
トークをしてても空振り感満点だ.

はじめは、
「何で心に響かないかなー、俺のトーク力がないからかなー、説明がわかりにくかったかなー」
とか思っていたのだが、
最近、
「そもそもそういうことに興味がある医師のほうが少数派?」
ということに気付き始めてきた.
私は、上に書いたような社会的、地域密着というキーワードで語られるような医療の内容にとても興味があるのだが、

どちらかといえば、みんなの興味は
「ここで研修するとどういう資格が得られるか」「どのくらい多彩な症例数を診れるか」
だったりする。

そりゃあ、荒んだ生活の結果としての臓器機能低下とか、寝たきり高齢者の繰り返す誤嚥性肺炎とか、いくら診ても専門医の資格取得には役立たないからね!(怒)

しかし少数派だから、共感してもらえる人にはほとんど出会わない.
私は面白いと思うんだけどね・・・.

2011年1月15日土曜日

緩和施設不足問題

twitterにて「緩和施設不足の現状をどう解決すればいいと考えているか、意見を聞かせて欲しい」と言われたので、少し考えてみる。

緩和施設それ自体は、一時期の設立ラッシュは過ぎたものの、今後も少しずつは増えていくと思う。
ただ、そのスピードは患者さんの需要に全然追いつかないだろうし、何よりスタッフが足りない。
現在、全国のホスピスでは、一人医長として頑張っているところがかなりを占めるだろう。
今でもスタッフが足りない、というところにいくらハコモノだけ作ったとしても、質の低い緩和ケアが提供されるのが関の山だ。
前にも書いたように、若手緩和ケア医のキャリアパスは混乱しているし、どの研修方法を選んだとしても、一人前になるためには時間がかかる。
産婦人科や外科、小児科などが不足してる現状で、緩和医だけを増やすのにも限界があるだろう。

解決策は?
ひとつは、癌に関わる医師全てが緩和医療をできるようにする「peace project」だが、
一定の成果は挙げているものの、基本座学中心の土日の研修で、一体どれほどの技術が身についているか、甚だ疑問である。
緩和は、単に疼痛に対してモルヒネを投与するとか、患者さんと会話をしていれば言いわけではなく、
少なくとも緩和医の不足を補うほどの技術をつけるためには、数ヶ月単位の研修は必要である。

そこで、私が期待しているのは「家庭医」の先生方である。
家庭医の先生方に、月単位で緩和の研修に来て頂き、在宅ホスピスを推奨するということである。
もちろん、地域の後方支援病院は必須であるが、うまく協力すればお互いの心理的負担はかなり軽減できるように思う。
もうひとつは、特養や老健などでも癌の患者さんを受け入れることだ。
実際、安定している患者さんの場合、癌があったとしても病院に入院している必要はほとんどないことが多い。
緩和医もしくは緩和を学んだ家庭医が定期的に往診すれば良い。
そして、どちらの場合も、必要に応じてホスピスを利用する。

今は、在宅は家庭医、ホスピスは緩和医、老健施設などは癌はダメですよ、なんて言って、
お互いに融通が効かないから、ただでさえ少ない医療資源が流動しない。
患者さんのニーズに合わせて、家に帰りたければ在宅へ、家族の負担が心配なら特養へ、症状コントロールが集中的に必要ならホスピスへ、と使い分け、必要に応じて医師も各施設での対応をすべきではないか。
つまり「地域全てを病院と考える」ということである。
地域にある資源をひとまとめにして考え、各部署でできることをする、資源は流動的に用いる。
というのが、現時点で取りうる最大の方策か、と考えるがいかがだろうか。

是非、賛否および代替案など募集したい。

2011年1月14日金曜日

偏った価値観

 がん患者さんを中心に診るようになり、様々な施設で研修を積む中でわかったこと。
それは、

がんの患者さんも一様じゃないってこと。

そんなのあたりまえじゃん!
と思われるかもしれないが、
実際にはひとつの施設で診ている患者さんは大きく分ければ皆一緒。
心理的には皆一緒、とも言える。

つまり、患者さん達を大きく分けると
①外科にかかってるひと。癌は切って治ったけど、再発のリスクがあったり、という患者さん。
あとは、
②腫瘍内科にかかっているひと。癌を薬でなんとかコントロールしようと頑張っている患者さん。
③緩和ケア科にかかっているひと。治療がなくなり、紹介されて病棟に入院したり、外来通院を続けている。
そして、
④標準治療はなくなったけど(もしくは拒否)、まだ何か治療は無いか、と民間療法や免疫療法、自費診療のクリニックなどに通う患者さん。

私は①~④全ての施設(科)で研修を受けたことがあるので、上記の全ての患者さんと話したことがあるけど、それぞれの群の患者さん達で、言っていることや価値観は全く違う。
②の患者さんは絶対にホスピスなんて行きたくない!という人が多いし、④の患者さんは化学治療も緩和も基本的には否定的な方が多い。

何が言いたいかというと、
自分が診ている患者さんだけで、全体を判断しちゃいけないな、
ということです。
特に緩和医は、自分のところに紹介されてくる患者さんだけを見て、
それまでの治療や、現在のがん治療の世界に対する批判を述べたりすることがあるが、
自分が診ている患者群も、実際にはかなり選りすぐられた人たちであることを理解した方がいい(これはがん診療に限らずいえることだが)。
実際には、ホスピスに行けず、腫瘍内科や外科が終末期を診ている、その患者さんたちの考え方・気持ちも聞き、その上で今後の緩和医療のあり方を考えるべきと思う。
多くの人たちがホスピスを拒否している、その現実を知るべきである。

自分の診療が、目の前の患者さん達から得られる偏った価値観のみで行われていないか、時々再考する必要がある。

特に、これから緩和医・腫瘍内科医を目指す人は、④の患者さんについては、通常の研修過程ではまず出会うことが無いので、是非一度そういう施設を求めて、見学に行くことをお勧めする。

医師はとかく自分たちの壁の中に閉じこもりがちだが、壁の外にも医療があることを知った方がいい。
それらの施設でやっている治療は、必ずしも正しいとは言えないことも多いが、そこに通っている患者さんの声を聞くことは、大きな意味があると思う。

2011年1月12日水曜日

緩和医として、つらいこと

これもちょっと前に書いた日記(一部改編)
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最近、うちの病院にも学生さんがよく見学に来るようになった。
マッチングが近いからだろう。
緩和病棟はうちのひとつのウリなので、病棟で一番学生に近い(歳が)私によく案内が回ってくる。

そういうときに、必ずといっていいほど聞かれる質問は
「患者さんが次々と亡くなっていくのって、辛くないですか」
というものだ。

これは、緩和医としては辛くない(人間としては、別)。
「自分たちの治療で患者さんの症状が取れて、家族と一緒に散歩に出たり、好きな音楽が楽しめるようになったり、うまくいけば旅行に行けたり…そういう楽しい時間を少しでも持つことができて、最後に皆が満足しながら旅立っていければ、それはつらいことではないよ」
と答えるようにしている。

だから、逆を言えば、つらいことは「受け持ちになってすぐに患者さんが急変すること」と「症状コントロールが上手くいかず、いい時間を過ごしてもらえなかったこと」。
癌患者さんはその疾患上、いつ急変してもおかしくないのは確かである。
でも、ようやく緩和病棟に入院して、さあこれから、というときに意識レベルが低下したり、肺炎を併発したりすると、本当につらい。
そのまま亡くなってしまったりすると、本当にただ「看取り」をしただけの人になってしまい、お互いに無念さが残ってしまう。

家族からも「何のためにここに来たのでしょうか」とか言われると本当につらい。

ある患者さんは、一般病棟で入院してきたが、入院翌朝に急変した。
「このまま旅立たせるわけにはいかない」と、師長に無理を言って急いで緩和病棟に上げてもらった。
幸い、ちょと持ち直して、今日一緒にきれいな夕日を見た。
といっても、窓の向こうは建物があり、患者さんのベッドからは夕日に染まる白壁を見るだけだったけど。
でも、入院してからはじめて見る、笑顔だった。

そういうのがないと、やっていられない。
でも、そういうのがあるから、やめられない。

2011年1月11日火曜日

緩和ケア医のキャリアパス

結論から言えば、緩和医は必ずOncologyの勉強をすべきだと思う。

私は、緩和医療に対して一種の違和感を感じている。
もっと言えば、癌診療を取り巻く環境に対する違和感といえる。
医師の勧めのままに、化学療法を受け、何らかの理由で治療を終了させられ、そしてまた医師の勧めのままに緩和へ転科、と「流れ作業的に」入院してくる患者さんたちを診ていると、
とにかく「医療的ではない」感じがするのである。

癌はStageが進んだものであれば、治らないことも多い。
ならば、治療に「正解」は無いはずである。
緩和に入院するのもひとつの「解」ではあるが、そもそも、どの時点をもって患者は「緩和」になるのか?
Stageの進んだ癌と闘うというのも、治るかもという希望を持ち、また「その個人にとっての」有効な時間をもってもらうための「緩和」とは言えないだろうか。
だとしたら、腫瘍内科=緩和なのではないか。
だとしたら、「緩和専門医」というのは何なのだ?

Patient Orientedな立場から見たときに、癌患者にとって本当に必要なのは、自分の治療(生き方)についていつでも相談でき頼りになる存在ではないのだろうか。
在宅を希望すれば往診してくれる。
化学療法をやってみたければ、経済的・生活的側面、QOLまで配慮した治療を組み立ててくれる。
代替医療を受けてみたければ、正しい情報をアドバイスしてくれる。
苦しいときには緩和をしてくれる。

あまりに理想に過ぎるかもしれないが、このような横断的な視点が腫瘍医には必要と思う。
自ら化学療法を行う+「癌患者の総合内科医」として担癌患者の全ての健康問題に対応する一方、

疼痛管理のスペシャリスト(ペインクリニシャン)や精神腫瘍医、IVR医などとのコーディネータ的な役割が求められる。
日本では、そのスペシャリストとしての能力すら求められることもある。

やはり基本的には、腫瘍内科医=Oncologist=緩和医なんだと思う。
ただ、割ける時間の関係上
「化学療法を中心にやる」腫瘍内科医と
「緩和ケアを中心にやる」緩和医がいるだけなのではないか。

その意味では、最近、緩和を目指す若い医師に「麻酔科でブロックをきちんと勉強してから緩和医になります」というのが多いが、キャリアパスとして私個人としてはあまり賛成できない。
もちろん、ある程度若い内にOncology領域に転向するならいいが、40とか50歳になってから、緩和医として一から総合内科の勉強を始める(しかも年若の指導医に内科とOncologyのイロハから学ばないとならない)というのは、無理があるのではと思う。

現時点では、緩和ケア医のキャリアパスについてあまり議論されることはないが、緩和医のあり方と、若い医師のキャリアパスについて、真剣に議論すべき時がきていると思う。

2011年1月9日日曜日

緩和医は内科医、だけど・・・

 当直をしていたときのこと。

看護師から点滴についての相談を受けた。
肺癌の患者さんで、手足のむくみが強く、胸水もあり苦しそうなので、点滴を減らした方がいいのではないか、とのこと。
診察に行くと、確かに全身に浮腫がある。
それより何より、予後として明らかにあと数日~1週前後に迫っているという様相である。

点滴の内容を見ると、高カロリー輸液・ネオフィリン点滴、抗生剤点滴など様々な点滴がされており、一日の輸液量は1500ml前後。
正直言って、どれも現在の状況から考えて不必要なものばかり。
しかし、看護師からは
「主治医から『呼吸促迫があり、呼吸筋の疲労を回復させるために栄養が必要である(から高カロリーは続ける)』と言われている」
とのこと。

耳を疑った。
え・い・よ・う~?だ~?

予後が月単位で見込める患者にきちんとした栄養療法を行わず、餓死させる緩和医もいるので、栄養療法を考えることは末期といえども必要である。
しかし、予後が数日に迫っている患者に対して高カロリー輸液をすることで、どれくらいメリットがあるというのか?
呼吸苦が楽になるとでもいうのか?
全身をむくませ、肺水腫を進行させる苦痛を上回るQOLの改善があるとでも?

主治医は一応、緩和ケアを研修している研修医である。
緩和医は「総合内科医」であるべきだが、
内科医でありすぎるのも緩和の現場では問題である。

別の症例で、胸水を減らすために利尿剤をかけまくっている例も見た。
しかし、この患者さん、元々呼吸苦はない。
むしろ血管内脱水が進行し、臓器機能が落ちてきている。
治療できるところは積極的に治療しようという姿勢は悪くないが、レントゲン写真を治療しても意味がないのである。
先の例も、机上の知識を現実に当てはめようとしているだけのように見える。

患者さんをきちんと診察し、
ゴールをお互いに共有し、
現実にあわせて知識を活用する必要がある。

ちなみに先の患者さんに対して、
「点滴減らします」の説明をしたところ、
「栄養は大事」との説明でも受けているのか、家族に嫌な顔をされてしまった。
うーん・・・。


ちなみに、終末期の輸液についてのreviewがAnnals of Oncology advance accessにあります。
興味のある方はどうぞ。
Artificial nutrition and hydration in the last week of life in
cancer patients. A systematic literature review of
practices and effects
N. J. H. Raijmakers, L. van Zuylen, M. Costantini, A. Caraceni, J. Clark, G. Lundquist,
R. Voltz, J. E. Ellershaw & A. van der Heide on behalf of OPCARE

2011年1月8日土曜日

緩和転院こじれるパターン

2年前、私がまだ化学療法を勉強する前に書いた日記。
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 緩和病棟には、日々色々な方から相談の電話があり、そのほとんどが「緩和ケア受けられますか」の相談ですが、それぞれ抱えている背景は異なり、その状況によって、すんなり初診予約に行き着くケースと、話がこじれるケースに分かれるようです。

すんなり予約に行きつくケースとしては、
・本人、ご家族が緩和ケア病棟に入院(もしくは緩和ケアを受けながらの通院、在宅治療)することを希望している。
・いわゆる積極的治療は全て終了して、心のきりかえもできている。
・予後が比較的長くはない。
・自宅(もしくは親族の家)が病院の地域内。

逆に、話がこじれるケースとしては、
・まだ治療を諦めていないが、症状緩和は行ってほしい。
・「緩和医療とは何か」についての説明も受けずに、主治医から「緩和に行きなさい」と言われたので、とりあえず電話してみた。
・すでにいくつかの病院に入院予約が入っている。

などでしょうか。

しかし、「まだ治療を諦めていないが、症状緩和は行ってほしい」という相談については、何か手を打てないものか、とよく考えています。
自分の院内で治療を行い、緩和が併診する、というのは現在も行っており、特に問題ないのですが、
「治療は○○病院で受けたい、でも緩和は地元の病院で受けて、いざとなったら入院もしたい」
とか
「ホスピスに入院しながら、免疫クリニックに通院したい」
とかのご要望は中々難しいものがあります。主な問題としては、
・治療と緩和で施設が分かれると、連携が取りにくく、仮に治療が原因で患者に苦痛が出ても治療の内容についてのディスカッションがしにくい。結果、患者のマネジメントをするのが非常に大変になる(治療のしりぬぐい?)。
・緩和医療だけを希望された病棟待ちの方が他にも大勢いるのに、治療も行っている方を入院させるのはおかしい、という意見が出る
というところです。

しかし、個人的には、癌になって「もう治療はいいです」とそう簡単に割り切れるものなのかなぁ、と甚だ疑問です。
むしろ、治療は諦めてないけど、とりあえずこの苦しみを何とかしてほしい、というほうが多数派なんじゃないかな、と思うのですが。

実際、私の受け持ちの方にもそのような方がいます。
ひとりは、辛い化学治療から逃げ出してきて、緩和を受けに来たが、できる治療があればまた受けたい、という方。
もうひとりは、「手の施しようがない」という理由でこちらに送られてきた方。
お二人とも、治療を希望されていたので、私はそれぞれに適した院外の施設を紹介し、そこで治療に通ってもらいながら緩和治療は院内で行っていくようにしました。
確かに、連携が取りにくく大変な部分もありますが、お二人とも特に大きな副作用もなく、現状に満足しているようです。

現在のホスピスは患者を制限しすぎと思います。
治療は諦めないとダメ、という診療システムになっており、医療者側もその哲学に洗脳されているのではないでしょうか。
以前、肺癌の末期でホスピスに入院した方に、苦痛軽減目的でイレッサを投与したところ、ほぼ完全寛解となり退院となった方の症例を同僚医師が学会で報告しましたが、
「そんなことはホスピスでやるべきことではない」
「そんな治療ではホスピスが赤字になる」
とのありがたいお言葉を頂いたこともあります。
ホスピスの哲学の前では、患者は癌で静かに死んでいく方がよかったとでもいうのでしょうか。

緩和的化学療法という概念を、もっと発展させていかないと、治療医から捨てられ、緩和で受け入れられず、という人がどんどん増えていくように思ってしまいます。

今日からブログを開始

これまではmixiのみにて不定期に日記を書いていたが、ツイッターを始めたことで引越。
情報は大量だがその流れも速く、全体像をつかみにくいツイッターに対し、
ブログは、そんなに多くの情報はないが、メッセージをじっくり伝えることができる。

つまりツイッターとブログを組み合わせれば、
インプット、アウトプットとも効率良くできることに気づき、今日から開始してみる。

まずはmixi過去日記内から記事を移行するところから始めようか。