2012年12月20日木曜日

入院というシステムはある意味限界にきている

「体力が回復するまで入院させて下さい」
と、患者さんから頼まれることが時々ある。

しかし「体力が回復するまで入院」なんてことが、それほどにあるものだろうか?

そもそも、感染症が主たる「病気」の原因だった頃、
「入院」というシステムは世間からの隔離や、集中管理、という意味で有効な手段であった、と思われる。
そして、そのシステムを運用する場として「病院」は発達してきた。

しかし現在、従来の「病院に頼るシステム」は、以前ほどの重要性を成していない、むしろ害悪である一面もある。
もちろん感染症やその他様々な疾患において「入院」と「病院」は依然として必要なシステムではある。
しかし、入院はあくまでも本人の体力を元に、薬物や手技を用いて病を治療する場である。長く滞在すればするほど、体力的にも社会的にも、機能の衰えは止めることができない。

特に、私が中心的に診ている、がんや、高齢に伴う機能低下による疾患については、入院の意義は限定的になってきていると感じる。
入院が必要でも、入院のその時から退院を考える。
そうでないと、ベッドに寝たきりになり、結局自宅に戻るのが日に日に難しくなってくるからだ。

高齢の方であれば、元々の疾患で体にストレスがかかっていることに、入院したことによる環境変化が加わり、精神的に混乱をきたす「せん妄」を起こすこともよくある。
そうなると、点滴を引きちぎったり、医療スタッフに噛みついたり、暴れ回ってベッドから転落、などということもある。病気を治療するためには、ある程度の安静は必要であるし、体に入っている管を抜かれたりすると治療が進まない、または命に関わることもあるので、場合によっては拘束具を用いて身体抑制をしなければならないこともある。身体抑制をされると、混乱して状況がわからなくなっている患者さんでは余計に興奮して、拘束具を引きちぎることすらある。そうなると、より強く拘束されて・・・という悪循環に陥る。
もちろん、ご家族の同意を得て行うのだが、それでもやはり、自らの家族がベッドに縛られている姿を見るのは忍びないものがある。医療従事者も好きでやっているわけではないのだが、治療を行わなければならない、ということもあるし、何が医療訴訟の原因となるかわからない現状では、例えば「かわいそうだから」と、身体抑制をせずにいて、ベッドから落ちて骨折などした場合、「病院に入院させているのにケガをするとはどういうことだ!ケガをさせたのは病院の責任だからこれから先の入院費は払わない!」と言われる例もあったりするわけなので、過剰に対応せざるをえない。
一部では、拘束具外し運動やおむつ外し運動などで、一定の効果を上げている施設もあると聞いているが、病棟の半分以上が介助が必要な重症患者さんで、次から次へと新しい入院患者さんが来て、患者さんの生活リズムを把握する余裕も無く、朝から夕まで止まらないナースコールに走りっぱなしのスタッフを見ていると、とても無理である、と思ってしまう。
結果として、病院に入院すると、自由はある程度制限されるし、体力は衰えるし、場合によっては精神的にも変調をきたすこともあり(私自身も昨年3日間入院、個室隔離されたが、それだけでも最終日はかなりきつかった)、「病院に入院して元気になる」は幻想であると思う。
できることならなるべく入院なんてしないほうがいい。

結局のところ、もっとも体力が回復できる場所は「自宅」であることが多い。
自宅であれば(元々全介助なら別だが)、ある程度のことは大変でも自分でしなければならないので、それを何とか工夫しながらやっていくことで、体力がついてくる。

それであれば、いっそのこと、自分の家で、好きなように過ごしながら、治療をするほうが幸せではないか?とも思う。
しかし、在宅医療は在宅医療で、様々な問題がある。
その一番は、家族の負担である。
少なくとも現在の日本の制度で、在宅でどんな方でも十分に介護体制が敷けることはあり得ない。
家族は、ある程度犠牲を強いられるのは避けられない。
場合によっては、仕事を辞めなければならないかもしれないし、体力的に無理が出る場合もあるし、精神的に病んでしまう場合もある。

例を挙げてみよう。
入院するたびにせん妄を起こす方がいたとする(家では落ち着いている)。
本人は「家が一番」と言うが、家族は大変である。
自分の仕事の他に、本人の身の回りの世話もしなければならない。病状も不安定なので、それも不安である(病状不安定なので施設入所なども不可)。
家族は「早く入院させてくれ、具合も悪そうなのに、なぜダメなのか」と言う。
医療者側は「本人が希望していない。在宅で診させて欲しい。しかも入院すれば絶対に状況は悪くなる」と言う。
お互いにつらいのである。
この状況を誰もが満足いくように解決する策が、従来の医療システムの中にあるだろうか?私はないと思う。

これら問題の一部は、人手とお金の問題に帰結するのだが、今回はそれについては述べない。
ひとつ大事なことは、病院中心の医療は、限界に来つつあるということ。
21世紀の医療を形成していく上で、これまでの常識から脱却した、新しい医療の形を考えていく必要がある。

・病院が全てではない。病院に入院した方が状態が悪化するパターンがある、ということを市民の皆さんに知って頂く。
・医療安全に対する過剰反応はお互いに改める意識を、医療者側・市民側双方が持った方がよい(特に双方の話し合いで)。
・なるべく入院しないで済む方法を考える。それはセルフケアや予防もそうだし、在宅医療もひとつ。
・在宅医療を希望しても家族が犠牲にならないようなシステムを整える(地域全体の横のつながりを強化していくことが必要)。

それでも、先ほど出したような例が、すぐに解決できるわけではない。
ただ、「病院という医療システムはもはや絶対ではない」ということに、より多くの方が気づいてもらえること、そして「では、どうしたらよいか」とひとりひとりが考えはじめること。
それが大事だと思う。

わたしも、考える。

2012年12月9日日曜日

業績集には載らない業績

日本では、あえて口に出さないという美徳もあると思うが、
「業績集に載らない業績」は口に出して言っておかないと、
他人からは見えないし、下手したら自分も忘れてしまうかもしれないので言っておく。

私は、今の病院と以前に働いていた室蘭の病院で、
「いまはフツーにされているけど、私が初めてやった」
というものがある。

それは「皮下点滴」である。

「皮下点滴」とは、点滴の針が腕の血管から入りにくくなったときに、普通は足の付け根とか首周辺の大きな血管に管を入れて点滴(IVHといいます)をするところを、お腹とか胸に針を刺して「皮下から」点滴を吸収させるという方法である。

今ではどこの病院でも普通にされていることかもしれないが、私が研修を始めた6~7年前までは、腕の血管が取れなくなれば「じゃ、IVHね」か「頑張って、血管取れるまで刺しましょう」が普通だった。
結果、高齢で、血管ももろい患者さんの腕だけではなく、足も、場合によっては指の血管なんてのを使って点滴していることもあった。もちろん、そんな細い血管が一発で刺せるわけはないから、成功するまでに3~4回も刺されることになるし、もとがもろい血管だから1日で血管が破れて点滴が漏れてくることもある。そうすれば、また一からやり直し。血管を探して、刺して、失敗して・・・が毎日続くのである(せん妄の患者さんでは、点滴を自分で抜いてしまうこともある。そうすると1日に何回も刺しなおし、ということも)。
IVHだって楽ではない。体の上に布をかけられ、管を入れる医師もオペ室のような完全防備。場所こそ病室だが、患者さんにとっては「何をされるんだ」という恐怖はある。また、刺すべき血管は体の深くにあるので、体表からみても血管は見えない。今でこそ「エコーガイド下穿刺」といって画像でみながら針を刺す技術が広まってきたので、IVH挿入も早ければ10分程度で終わるが、私が研修医のときはそのような方法は一般的ではなく、言うなれば「ここに血管があるはず」という、解剖学的な知識で刺していた。しかし、もちろん全ての人が同じような体のつくりばかりではないので、穿刺に失敗することもある。そうすると、1時間も格闘する羽目になったり、誤って肺を刺すなどの合併症の危険も高かったのである。

私自身も、2年目の研修医の時に、患者さんのあざだらけの腕を見て、
「何とかならんかなあ」
と思っていた。
看護師さん達(+自分自身)が、毎日、点滴を刺す仕事にかなりの時間を割かれている現状も、改善したいという思いがあった。

そこで見つけたのがAmerican Journal of Family Medicineに載っていた「皮下点滴」だったのである。
私は「これだ!」と思った。
皮下なので、絶対に針を刺すのは失敗しない。抜けたって刺し治すのは容易だ。

しかし、さっそく、これを患者さんにしようとしたところ、思わぬ抵抗に遭う。

病棟からの抵抗である。
看護師さん達が「そんな、やったこともない方法をやって、管理するなんて嫌です」と言うわけである。
初めは私も、「なんて非協力的な。それじゃあ何か他に代わりになるいい方法があるのか?」と怒ったが、冷静になって考えると、なるほど、病棟管理の面からは当然の言い分だ。
何て言ったって、見たことがないのだから。
しまいには「先生がご自身で24時間365日管理してくれますか?」と。いやいやさすがにそれは難しい。

では、見たことがあればいいんだな、ということで、私はまず生理食塩水100mLと、点滴の針(翼状針)を用意してもらった。
そして、病棟の看護師さん達を集め、
「いいですか、皮下点滴の方法は、こうやるんです」
と、おもむろに自分の腹を出し、そこに翼状針を刺したのである。

「あーっ!」
びっくりしたのは見ていた看護師さん達である。
なにせ、医者がいきなり自分で自分の腹に針を刺したのだから
「先生、痛くないんですか?」
「うん、痛くない(本当は痛い)。でも、簡単にできるということがよくわかったろう。では、これから私は、この皮下点滴を落とし終わるまで、この状態で仕事をする」
と、唖然とする看護師さんを残し、病棟でカルテを書き始めた。
点滴棒を横に置きながら、カルテを書く医師。しかも、その点滴の先は腹につながっている・・・。
病棟の皆からは奇異の目で見られたし、「もう止めてもいいんじゃないですか」と言う方もいたが、これは私なりのパフォーマンスだった。

先生は本気なんだ、という覚悟と
皮下点滴は安全なんだ、という点を示すためである。

結果、看護師さん達も根負けしたのか、患者さんに皮下点滴をやることを認めてくれた。
喜んだのは患者さんである。
本当にやって良かった。
他の病棟へ広めるのは比較的楽で「あの病棟でやってるからノウハウはそこで聞いてね」とやれば、あまり大きな抵抗はなかった。

そして、今の病院でも、研修医として赴任していたときに、同じように抵抗に遭い、同じように腹に針を刺し、同じように驚かれ、同じように病院へ広めた。

これは、決して業績集に書ける内容ではないものの、私にとって、かなり誇り高い業績のひとつである。
室蘭ではいまどれくらい皮下点滴がされているかはわからないが、少なくとも今の病院では、あれから多くの患者さんが皮下点滴を受け、無用な針刺しやIVH挿入を免れている。

改革には痛みを伴うものがほとんどだ。
これまでやってきた日常を、なぜ壊さなければならないのか?という人間の心理を崩すのには、相当のエネルギーがいる。
そんなときに、自分は痛みを感じない安全なところにいて、当事者だけに痛みを強いるのでは、通るものも通らないし、権力で通しても遺恨が残る結果になるだろう。
改革をしたいならば、その覚悟を見せろ!というのが私の基本姿勢であるが、この「皮下点滴」の件は、その思いを代表する業績としても愛着が深いのである。

もちろん、私がやらなくても、誰かがやったかもしれないし、そもそも私が編み出した技法でも何でもないから、この件で私の名がどこかに残ることはない。
それでも、皮下点滴が病院中でオーダーされているのを見るにつけ
「その手技をこの病院で整えたのは自分ですよ」というのは、誇らしく思えるし、
何より、多くのムダに苦しめられる患者さんを見ないで済む、というのが緩和ケア医として何よりの喜びである。

2012年12月1日土曜日

「ほっとサロンいだ」開設準備中



2013年1月から、新棟7階の展望ラウンジが「ほっとサロン いだ」として生まれ変わります。

これまでは「がんサロン」として、月に2回(第2木曜14:00~、第4木曜18:00~)を開いてきましたが、外来の開催時間と合わなかったり、もっと気軽に利用できる場が欲しい、という声も上がっていました。

また、患者さんが求める情報がひとつに集約されておらず、どこにいけばパンフレットなど、病気に関する情報が手に入るのかわからない(あっても不十分だ)という声も上がっていました。

そこで、来年から、患者図書館+情報センター+ケアサロンを融合させた「ほっとサロン いだ」ができることになりました。申請は7月から出していたので、本当にようやくといった気持ちです。
常設化サロンですので、基本的には誰でもご利用頂けます(夜は消灯されますが)。
写真ではまだものが揃っておらず、やや殺風景ですが、これから1ヶ月かけて徐々に整えていきたいと思っています。

コンセプトは
「病院の中にあって病院の中ではない場所」
「自分の生きる力を取り戻すための場所」
「とりあえずここにくれば、探していたものが見つかる場所」

マギーズセンターを参考にしているという話は、前回のブログにも書きました。
できれば、このサロンもマギーズのように患者さんの支えになるひとつの場になることを望んでいます。
ただ、色々な面で、作れば作るほどマギーズのコンセプトからは離れていくような気もします。そもそもが院内併設ですし、マンパワーも、資金も何もかも及びません。本当に勉強するほどに、マギーズセンターのすばらしさを感じます。
ただ、そうは言っていても、お金が降ってくるわけでもなし、私財を投じるにも限度もあり、贅沢なものを求めればそれこそ際限もないわけで、まずは小さな一歩からはじめていこう、と、考えています。
そして全くの真似ではなく、当院独自のオリジナルな部分も入れていければと考えています。
もう一度「看護覚え書き」も読み直してヒントを得たいと思います。

もうひとつマギーズを参考にしたいところは、患者さんのサポートプログラムです。
マギーズでは情報提供やピアサポートの他に、心理プログラムやヨガなどのプログラムもあります。
当院でも、そういったことを担当して頂けるボランティアの方がいれば、例えば太極拳とか、アロマセラピーとか、そういうものをプログラムとして提供できれば、と思っています(とりあえず、今のところ決定しているのは「がんサロンプログラム」のみです)。
ただ、中原区の図書館とのコラボレーションで、図書館からサロンへの本の貸し出し、といった企画も浮上しており、そういった自治体病院ならではだよな~、でも自治体病院だからこそこれまでは難しかったよね~というプラン(行政機関同士の横の連携)は中々面白いのではないかな、とも思っています。

とにかく、夢見ていた企画を現実のものとして進めていく作業は、とても楽しい、というのだけは確かです。
連日、家具の組み立てをやっているので体中が筋肉痛ですが・・・。

あと1ヶ月でどの程度のものができるのか?
乞うご期待!