入院というシステムはある意味限界にきている

「体力が回復するまで入院させて下さい」
と、患者さんから頼まれることが時々ある。

しかし「体力が回復するまで入院」なんてことが、それほどにあるものだろうか?

そもそも、感染症が主たる「病気」の原因だった頃、
「入院」というシステムは世間からの隔離や、集中管理、という意味で有効な手段であった、と思われる。
そして、そのシステムを運用する場として「病院」は発達してきた。

しかし現在、従来の「病院に頼るシステム」は、以前ほどの重要性を成していない、むしろ害悪である一面もある。
もちろん感染症やその他様々な疾患において「入院」と「病院」は依然として必要なシステムではある。
しかし、入院はあくまでも本人の体力を元に、薬物や手技を用いて病を治療する場である。長く滞在すればするほど、体力的にも社会的にも、機能の衰えは止めることができない。

特に、私が中心的に診ている、がんや、高齢に伴う機能低下による疾患については、入院の意義は限定的になってきていると感じる。
入院が必要でも、入院のその時から退院を考える。
そうでないと、ベッドに寝たきりになり、結局自宅に戻るのが日に日に難しくなってくるからだ。

高齢の方であれば、元々の疾患で体にストレスがかかっていることに、入院したことによる環境変化が加わり、精神的に混乱をきたす「せん妄」を起こすこともよくある。
そうなると、点滴を引きちぎったり、医療スタッフに噛みついたり、暴れ回ってベッドから転落、などということもある。病気を治療するためには、ある程度の安静は必要であるし、体に入っている管を抜かれたりすると治療が進まない、または命に関わることもあるので、場合によっては拘束具を用いて身体抑制をしなければならないこともある。身体抑制をされると、混乱して状況がわからなくなっている患者さんでは余計に興奮して、拘束具を引きちぎることすらある。そうなると、より強く拘束されて・・・という悪循環に陥る。
もちろん、ご家族の同意を得て行うのだが、それでもやはり、自らの家族がベッドに縛られている姿を見るのは忍びないものがある。医療従事者も好きでやっているわけではないのだが、治療を行わなければならない、ということもあるし、何が医療訴訟の原因となるかわからない現状では、例えば「かわいそうだから」と、身体抑制をせずにいて、ベッドから落ちて骨折などした場合、「病院に入院させているのにケガをするとはどういうことだ!ケガをさせたのは病院の責任だからこれから先の入院費は払わない!」と言われる例もあったりするわけなので、過剰に対応せざるをえない。
一部では、拘束具外し運動やおむつ外し運動などで、一定の効果を上げている施設もあると聞いているが、病棟の半分以上が介助が必要な重症患者さんで、次から次へと新しい入院患者さんが来て、患者さんの生活リズムを把握する余裕も無く、朝から夕まで止まらないナースコールに走りっぱなしのスタッフを見ていると、とても無理である、と思ってしまう。
結果として、病院に入院すると、自由はある程度制限されるし、体力は衰えるし、場合によっては精神的にも変調をきたすこともあり(私自身も昨年3日間入院、個室隔離されたが、それだけでも最終日はかなりきつかった)、「病院に入院して元気になる」は幻想であると思う。
できることならなるべく入院なんてしないほうがいい。

結局のところ、もっとも体力が回復できる場所は「自宅」であることが多い。
自宅であれば(元々全介助なら別だが)、ある程度のことは大変でも自分でしなければならないので、それを何とか工夫しながらやっていくことで、体力がついてくる。

それであれば、いっそのこと、自分の家で、好きなように過ごしながら、治療をするほうが幸せではないか?とも思う。
しかし、在宅医療は在宅医療で、様々な問題がある。
その一番は、家族の負担である。
少なくとも現在の日本の制度で、在宅でどんな方でも十分に介護体制が敷けることはあり得ない。
家族は、ある程度犠牲を強いられるのは避けられない。
場合によっては、仕事を辞めなければならないかもしれないし、体力的に無理が出る場合もあるし、精神的に病んでしまう場合もある。

例を挙げてみよう。
入院するたびにせん妄を起こす方がいたとする(家では落ち着いている)。
本人は「家が一番」と言うが、家族は大変である。
自分の仕事の他に、本人の身の回りの世話もしなければならない。病状も不安定なので、それも不安である(病状不安定なので施設入所なども不可)。
家族は「早く入院させてくれ、具合も悪そうなのに、なぜダメなのか」と言う。
医療者側は「本人が希望していない。在宅で診させて欲しい。しかも入院すれば絶対に状況は悪くなる」と言う。
お互いにつらいのである。
この状況を誰もが満足いくように解決する策が、従来の医療システムの中にあるだろうか?私はないと思う。

これら問題の一部は、人手とお金の問題に帰結するのだが、今回はそれについては述べない。
ひとつ大事なことは、病院中心の医療は、限界に来つつあるということ。
21世紀の医療を形成していく上で、これまでの常識から脱却した、新しい医療の形を考えていく必要がある。

・病院が全てではない。病院に入院した方が状態が悪化するパターンがある、ということを市民の皆さんに知って頂く。
・医療安全に対する過剰反応はお互いに改める意識を、医療者側・市民側双方が持った方がよい(特に双方の話し合いで)。
・なるべく入院しないで済む方法を考える。それはセルフケアや予防もそうだし、在宅医療もひとつ。
・在宅医療を希望しても家族が犠牲にならないようなシステムを整える(地域全体の横のつながりを強化していくことが必要)。

それでも、先ほど出したような例が、すぐに解決できるわけではない。
ただ、「病院という医療システムはもはや絶対ではない」ということに、より多くの方が気づいてもらえること、そして「では、どうしたらよいか」とひとりひとりが考えはじめること。
それが大事だと思う。

わたしも、考える。

コメント

  1. 在宅医療を広めています。
    公益社団法人 勇美記念財団 助成事業うけています。

    NUCS栄養診療所

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