業績集には載らない業績

日本では、あえて口に出さないという美徳もあると思うが、
「業績集に載らない業績」は口に出して言っておかないと、
他人からは見えないし、下手したら自分も忘れてしまうかもしれないので言っておく。

私は、今の病院と以前に働いていた室蘭の病院で、
「いまはフツーにされているけど、私が初めてやった」
というものがある。

それは「皮下点滴」である。

「皮下点滴」とは、点滴の針が腕の血管から入りにくくなったときに、普通は足の付け根とか首周辺の大きな血管に管を入れて点滴(IVHといいます)をするところを、お腹とか胸に針を刺して「皮下から」点滴を吸収させるという方法である。

今ではどこの病院でも普通にされていることかもしれないが、私が研修を始めた6~7年前までは、腕の血管が取れなくなれば「じゃ、IVHね」か「頑張って、血管取れるまで刺しましょう」が普通だった。
結果、高齢で、血管ももろい患者さんの腕だけではなく、足も、場合によっては指の血管なんてのを使って点滴していることもあった。もちろん、そんな細い血管が一発で刺せるわけはないから、成功するまでに3~4回も刺されることになるし、もとがもろい血管だから1日で血管が破れて点滴が漏れてくることもある。そうすれば、また一からやり直し。血管を探して、刺して、失敗して・・・が毎日続くのである(せん妄の患者さんでは、点滴を自分で抜いてしまうこともある。そうすると1日に何回も刺しなおし、ということも)。
IVHだって楽ではない。体の上に布をかけられ、管を入れる医師もオペ室のような完全防備。場所こそ病室だが、患者さんにとっては「何をされるんだ」という恐怖はある。また、刺すべき血管は体の深くにあるので、体表からみても血管は見えない。今でこそ「エコーガイド下穿刺」といって画像でみながら針を刺す技術が広まってきたので、IVH挿入も早ければ10分程度で終わるが、私が研修医のときはそのような方法は一般的ではなく、言うなれば「ここに血管があるはず」という、解剖学的な知識で刺していた。しかし、もちろん全ての人が同じような体のつくりばかりではないので、穿刺に失敗することもある。そうすると、1時間も格闘する羽目になったり、誤って肺を刺すなどの合併症の危険も高かったのである。

私自身も、2年目の研修医の時に、患者さんのあざだらけの腕を見て、
「何とかならんかなあ」
と思っていた。
看護師さん達(+自分自身)が、毎日、点滴を刺す仕事にかなりの時間を割かれている現状も、改善したいという思いがあった。

そこで見つけたのがAmerican Journal of Family Medicineに載っていた「皮下点滴」だったのである。
私は「これだ!」と思った。
皮下なので、絶対に針を刺すのは失敗しない。抜けたって刺し治すのは容易だ。

しかし、さっそく、これを患者さんにしようとしたところ、思わぬ抵抗に遭う。

病棟からの抵抗である。
看護師さん達が「そんな、やったこともない方法をやって、管理するなんて嫌です」と言うわけである。
初めは私も、「なんて非協力的な。それじゃあ何か他に代わりになるいい方法があるのか?」と怒ったが、冷静になって考えると、なるほど、病棟管理の面からは当然の言い分だ。
何て言ったって、見たことがないのだから。
しまいには「先生がご自身で24時間365日管理してくれますか?」と。いやいやさすがにそれは難しい。

では、見たことがあればいいんだな、ということで、私はまず生理食塩水100mLと、点滴の針(翼状針)を用意してもらった。
そして、病棟の看護師さん達を集め、
「いいですか、皮下点滴の方法は、こうやるんです」
と、おもむろに自分の腹を出し、そこに翼状針を刺したのである。

「あーっ!」
びっくりしたのは見ていた看護師さん達である。
なにせ、医者がいきなり自分で自分の腹に針を刺したのだから
「先生、痛くないんですか?」
「うん、痛くない(本当は痛い)。でも、簡単にできるということがよくわかったろう。では、これから私は、この皮下点滴を落とし終わるまで、この状態で仕事をする」
と、唖然とする看護師さんを残し、病棟でカルテを書き始めた。
点滴棒を横に置きながら、カルテを書く医師。しかも、その点滴の先は腹につながっている・・・。
病棟の皆からは奇異の目で見られたし、「もう止めてもいいんじゃないですか」と言う方もいたが、これは私なりのパフォーマンスだった。

先生は本気なんだ、という覚悟と
皮下点滴は安全なんだ、という点を示すためである。

結果、看護師さん達も根負けしたのか、患者さんに皮下点滴をやることを認めてくれた。
喜んだのは患者さんである。
本当にやって良かった。
他の病棟へ広めるのは比較的楽で「あの病棟でやってるからノウハウはそこで聞いてね」とやれば、あまり大きな抵抗はなかった。

そして、今の病院でも、研修医として赴任していたときに、同じように抵抗に遭い、同じように腹に針を刺し、同じように驚かれ、同じように病院へ広めた。

これは、決して業績集に書ける内容ではないものの、私にとって、かなり誇り高い業績のひとつである。
室蘭ではいまどれくらい皮下点滴がされているかはわからないが、少なくとも今の病院では、あれから多くの患者さんが皮下点滴を受け、無用な針刺しやIVH挿入を免れている。

改革には痛みを伴うものがほとんどだ。
これまでやってきた日常を、なぜ壊さなければならないのか?という人間の心理を崩すのには、相当のエネルギーがいる。
そんなときに、自分は痛みを感じない安全なところにいて、当事者だけに痛みを強いるのでは、通るものも通らないし、権力で通しても遺恨が残る結果になるだろう。
改革をしたいならば、その覚悟を見せろ!というのが私の基本姿勢であるが、この「皮下点滴」の件は、その思いを代表する業績としても愛着が深いのである。

もちろん、私がやらなくても、誰かがやったかもしれないし、そもそも私が編み出した技法でも何でもないから、この件で私の名がどこかに残ることはない。
それでも、皮下点滴が病院中でオーダーされているのを見るにつけ
「その手技をこの病院で整えたのは自分ですよ」というのは、誇らしく思えるし、
何より、多くのムダに苦しめられる患者さんを見ないで済む、というのが緩和ケア医として何よりの喜びである。

コメント

  1. 皮下輸液をやってもらうために、先ず自分が見本になる、という姿勢は素晴らしいと思いました。

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