2013年12月22日日曜日

言葉は、薬であり毒でもある

「お体の具合は、いかがですか?」
「今日は寒いですね」
「夜は、よく眠れましたか?」

私たち医療者は、日々患者さんやご家族に、たくさんの言葉をかけている。
言葉というのは簡単に口に出せるけれども、その分、その扱いには注意が必要だ。
特に、医療者が発する言葉は、薬になることもあれば、毒になることもある。
医療者が、そのことに無自覚であることは危険だが、思ったよりもそういった危険な例は多い。

「セカンドオピニオンに行くのであれば、私との信頼関係が損なわれますよ」
「余命は1ヶ月程度と思われます」
「モルヒネを使うと苦しみはとれますが、いのちが短くなる可能性があります。使ってもいいですか」
1年以上前に、医師から言われた不用意な発言にずっと捕らわれ続けている患者さんもいる。

特に意識すべきなのは、私たちの安心のために患者さん・家族へ「毒となる言葉」を告げていることだ。
近年のインフォームド・コンセントをしっかりとりましょう、という流れは一部おかしな方向へ走り出している。「事実を告げること」は大事だが、その現実に対する答えを医療者が持っていないが故に、その答えを出す作業ごと、家族へ押しつけている例だ。
例えば
「がんで消化管に穴が空いたようです。元々の余命も1ヶ月程度でしたが、すぐに開腹手術をしないとすぐに亡くなる可能性があります。ただ、手術自体で亡くなったり合併症で苦しむ可能性もあります。さあ、どうしますか?」
「お父様は誤嚥性肺炎を繰り返し、もう口から食べ物をとるのは難しくなっています。栄養を取らないと餓死の状態になりますし、それを避けるためには胃瘻の手術が必要です。さあ、どうしますか?」
一見、どこが「毒」かわからないかもしれないが、実際にこの決断を迫られた家族は、どちらを選んでも「これで良かったのだろうか」という葛藤に悩まされることになる。そこまで考える想像力が私たちには必要である。

私たち医療者は、現場では常に不安を抱えている。
その人の人生を、ある程度左右する決断をしなければならない場面は何度もある。しかし、そういった場面において、自分が安心したいがために、患者さん・家族へその思いを押しつけてはいけない。
言葉はひとつひとつ丁寧に選ばなければならない(そう、まるで薬をひとつひとつ選ぶように!)。
選んだ言葉を、どういう順番で出していくか、きっちりと組み立てなければならない(そう、治療レジメンを組み立てるように!)。
そして、実際の場では、ある程度の演技と演出も必要だし、それと同じくらい、魂の表出も必要だ。
相手の様子を常に診ながら、あるときはぐっと押し、またあるときはスッと引く。そして自分が出した言葉の、その効果を量り、次の言葉を継ぐ。

毒となる言葉を避け、薬となる言葉を紡ぐ。これはれっきとした「医療行為」である。
緩和ケアに携わるなら「言葉」のもつ効果に、専門家として向き合う姿勢が大切である。
常に自分という人間が持つ「効果」に、ひたむきに向き合わなければならない。それは、ときに苦しみを伴うこともあるし、悩みは常に尽きない。それでも我々はプロとして、それをおこなっていかなければ、目の前の方々にとても失礼なことになるだろう。
死までの時間を精一杯生きている、その「生」を支え祝福するために、我々は自分の「毒」に敏感になるべきである。

2013年12月15日日曜日

【元住吉】がん哲学カフェ1月・2月予定


「がん」の悩みを
私たちと語りませんか?


「がん哲学カフェ」とは、がん患者さんとそのご家族と医療者とが、カフェのリラックスした空間で、対話するための場所。「がんであっても笑顔を取り戻し、人生を生きることが出来るように支援したい」と願う、順天堂大の樋野興夫先生によって発足されました。

「病気を抱えて、どうやって生きていったらいいのか」「これから、どんな治療を受けていったらいいのか」とお悩みの方へ。私たちとの対話を通じて少しでもお気持ちが整理されるよう、お手伝いをさせて頂きたいと思っています。お気軽にご利用下さい。


【開催内容】
1/18(土)14時~17時
2/8(土) 14時~17


123組、各組1時間程度、がんの専門医師とがん看護専門看護師が、がんに関するどんな相談でも受け付けます(診療行為は行いません)。対象は「がん患者さん」「がん患者さんを支えるご家族」です。申込制ですので、お早めにご連絡下さい。


・開催場所:ida cafe

(川崎市中原区井田中ノ町33-9 http://ida-cafe.com/

東急東横線元住吉駅西口から、ブレーメン通りを抜けて徒歩10分(850m)。井田小学校えんじゅ門の近隣です。


料金:無料 (飲み物は、各自ご注文下さい)


予約がない場合は開催されないことがあります。
 
 
【申し込み、お問い合わせは下記まで、メール、FAX、または電話でお願いします】

川崎市立井田病院 かわさき総合ケアセンター   西 智弘
TEL: 044-766-2188   FAX: 044-788-0231
e-mail: tonishi0610@hotmail.co.jp

 
西 智弘(にし ともひろ):川崎市立井田病院 かわさき総合ケアセンター 腫瘍内科/緩和ケア内科 医師
 
2005年北海道大学卒。室蘭、川崎で家庭医療、内科、緩和ケアを研修後、2009年から栃木県立がんセンターにて腫瘍内科。2012年から現職。緩和ケア、抗がん剤治療や在宅医療に携わる。日本臨床腫瘍学会がん薬物療法専門医。


2013年12月4日水曜日

緩和ケアは考えることを止めてはいけない

緩和ケアをする、というのは本当に難しい、と思うことがよくある。

そもそも、緩和ケアは誰のためのものか。

患者さんのためのものであり、
家族のためのものであり、
決して医療者や病院のためのものではない。
お題目としては、みんなわかっているはずであるのだが。

実際に病院にいると、「それって・・・」と思う場面に遭遇することは多々ある。

「食事を食べられなくなったのですが、点滴1本だけしかオーダーされてないですが、それで本当にいいんですか」
「酸素マスクを嫌がって外してしまうのですが、何とか説得して下さい」
「貧血が進行してきたのでとりあえず輸血します」
「意識の状態が悪くなってきた原因を調べるので全身CTと採血します」
とか。

もちろん、こういう選択肢が全て「間違っている!」というつもりはない。背景にある文脈や患者家族との対話の内容によっては、こういったことが是となることもあろう。
問題なのは「条件反射的に」こういった医療行為を進めていないか、という点だ。
緩和ケアの行為は、基本的に「対話」からスタートすべきだし、その行為に伴う様々な事柄も、「対話」を中心に進めていくべきだと私は思う。

例えば、患者さんが点滴を嫌がっている、でも家族は何も食べられなくなった患者さんが心配でしようがない、という場合。
まずは患者さんとよく「対話」する。点滴がどうして嫌なのか、点滴をすること、点滴をしないことがどういう意味をもつのか、家族の思いについて感じていることはあるのか、などなど。そして家族とも対話をする。患者さん自身の思い、家族の不安、などなど。もちろん、私たち医療者は、それに対してエビデンスや経験に基づいた理論を提供する。点滴をしないことは命を縮めるのか?これまで自分が診てきた患者さん達はどうしてきたか、そして医師として勧められる選択肢は。
そういった文脈の上では、「やっぱりもうしばらく点滴はしましょうか」の結論でも良いし「では、点滴は止めましょうね」でも良く、どちらが正解というものではない。ただ、緩和ケアの領域において、「食事がとれなくなったからとりあえず点滴」という、医療者側の考え方の一方的押しつけは避けたいのである。

緩和ケアは本当に難しい。
医療上の安全が、世間的にもますます厳しくなりつつあるなかで、緩和ケアといえども、そういった「対話」から生まれる選択肢すら取りにくくなってきていることも事実である。
「足が動く限りは自分でトイレに行きたい」という思いも「危ないから」という理由で制限されることもあるし、「死ぬまでに一度、自分の家に戻りたい」といっても「外に出ている間に何かあったら誰が責任取るんだ」といって、思いを果たせない場合だってある。

世の中は、様々な思いの方々が、色々な方向へ世間を動かそうとしている。
それらは多くが相対的なものだ。
私の主張も、決して全て正しいわけではなく相対的なものに過ぎない。
「患者さんのため」という主張も、患者さんの希望を通すことが「患者さんのため」である場合もあるし、医学的な判断を通すことが「患者さんのため」である場合もある。

しかし、それならばなお、医療は何のためにあり、緩和ケアは何を目的に行われ、相対的な視点からみて、目の前にいる患者さんのために「何が最適と思うか」を、患者さん自身や家族とともに一生懸命考え続けることが必要なんじゃないのか。
そこで出た答えが正しいかどうかなんて、誰にも判断できない。だけど、みんなで一生懸命考えて出した答えを、ひとつひとつ納得しながら先に進んでいくしかないのだと思う。
少なくとも、緩和ケアにおいて全ての患者さんに当てはまる答えなんてものはない。
だから、考え続けるのをやめてはいけない。

とっても大変なことだけど、ひとつひとつの処置、薬、検査、そして言葉の選択に至るまで、我々はいつも考え続けないとならないのだと思う。

追記:
ちなみに、緩和ケアにおいてよく美談になるような「患者さんに何かをしてあげた」的な取り上げられ方をするものも、個人的にはあまり好まない。ああいうのがいい、という方もいればそうでない方もいるから。「何かをしてあげる」ことは医療者としてはわかりやすいことだが、ちょっと間違うと医療者側の自己満足にしかならない。患者さんの日常はそういったイベント以外でもずっと続いているわけで、ある患者さんでは「明日も同じ日常が来ること」が、一番の望みだったりする。そういった方に「何かして欲しいことはありませんか、何かしたいことはありませんか」としつこく尋ねることは、患者さんにとって負担になるかもしれない、と考えることも必要である。

2013年11月20日水曜日

図書館総合展の武雄市図書館フォーラムから考えること

武雄市図書館をはじめとして、TSUTAYA(CCC)に運営を委託する公共図書館の話題が多く取り上げられている。
しかし、当事者やメディアなどの論調と、図書館関係者を中心とする論調には大きな温度差がある。
先日の図書館総合展での武雄市図書館のフォーラムも、一部に評価する声があるものの、多くの批判を受けていた(詳細は→ http://www.huffingtonpost.jp/2013/10/31/takeo1_n_4186089.html?utm_hp_ref=mostpopular

私個人的には、これだけ大衆に受け入れられる武雄市図書館のやり方が、専門家やその道に詳しい方からは、こんなにも目の敵にされないとならないんだろう、という思いがある。
そもそも、利用者側の視点と、専門家の視点は、かなりずれている印象すら受ける。

私も少し前までは、図書館とは「(受験勉強など持ち込み資料で)自習するところ」「(古い、または高い)本を借りるところ」といった印象しか持っていなかったし、多くの方々もそうではないだろうか?そういった対象に、武雄市図書館に対する批判は(ポイントカードなどの問題を除き)、理解困難である、といった前提で考えた方がいい。図書館の情報蓄積性と物量+書店の流動する新規図書の組み合わせはとても魅力的で効率性の高いシステムと感じるし、さらにカフェがあって滞留性も高めている点など、利用者側からは魅力的な点ばかりだ。

確かに、専門家の方々が主張される、公共性・持続性の担保などは大きな課題だろうけど、議論すべきはそういうところか?というか、じゃあ公共図書館は何をしてきたの?これから何をするの?といったところの気がする(もちろん、既に積極的に取り組んでいらっしゃるところは別として)。
図書館総合展で展開された指摘でも、すごい細かいな~と思うところもあるわけで、利用者からしてみたら「そんなのどっちでもいいんじゃね?」という部分もあり、専門家っぽいなと。

そういうのは、近藤誠などと医療界の構図とも重なる部分もあると感じる。私も、近藤誠に対する批判記事は『新潮45』で書かせて頂いたけれども、決して全て批判しているわけではない。彼の言い分に頷ける部分もある。そこから導き出される結論が問題なのだけど、『新潮45』の本文にも書いたように、それを専門家の視点でやりあっても、他の非専門家はついて行けないし、引いてしまう。仮に、私が近藤誠を科学的に論破できたとしても、自己満足で終わって、世の中は変わらないわけです。近藤誠の本が売れていたり、メディアに取り上げられたり、菊池寛賞を取っていたりする事実は、事実としてある。その事実は謙虚に受け止めないとならない。

こういう議論をするとき、そういう「各論→総論中心」でやってもダメなんだと。武雄市図書館のいいところもあるが、あれはこれとこれがダメだから、全体としてはやっぱりダメだ、みたいな。
例えば私と近藤誠が議論したら、総論では絶対に結論が出せないわけです。いいところもあるのは認めるけど、そこから得られる基本的スタンスは絶対に受け入れられないから。
私なら、近藤誠と公共の場でやるんなら、そこから一歩引いた視点で、「なぜあなたの理論がこれだけ大衆に受け入れられる(ようにみえる)のか、その背景は何か?」といったところを議論したい。これなら多分、二人で建設的な議論ができるのではないか。これまでの医療のあり方とか、研究というものの見えにくさとか。それでも相当ケンカにはなるんだろうけど。でもきっと将来の医療に対して方向性を示すいくつかのヒントは出せるのかなと。

 今回の図書館展総合展でのフォーラムでも、できればそういう方向でやってもらいたかった。武雄市図書館は住民や近隣地域の方々に受け入れられている、そしてその波は日本全国に影響を与えている、その「背景要素」は何か、という視点で。つまりは事象を微分して、他の地域でも利用可能なコンテンツを取り出して見せて欲しかった。それを、感情的に「公共図書館たるものは・・・」とか「公設ブックカフェというべきだ」とか、そんなタームの問題は、こちら側としてはどうでもいいわけで。通路が狭いとか雑誌閲覧が狭い、というのも、武雄市図書館の利用者じゃない我々の前で指摘されても意味ないし。総論的にも各論的にも否定できる部分はたくさんあるのだろうけど、未来へつなげるためには、せっかく時間とカネを使って、単に図書館あるべき論みたいな部分とか、細かい批判にあんなに時間を使って欲しくなかったなと。仮に武雄市側に「あれを『図書館』というのはやめます」とか「私たちは間違ってました、すみません」と言わせて、誰が得すんのか、と。
定義的なところにそんなにこだわるなら、武雄市側が開き直って「皆さんがそう呼びたいなら『公設民営ブックカフェ』と呼んで頂いても結構ですよ」と言ってしまっても良かったかもしれない、とすら思う。そうでないと、議論が先に進まないのだもの。

ああいう議論をしている限り(そしてそれに対するツイッターでの反応などを見ている限り)、近藤誠と私たちと同じ構図を繰り返すリスクがあるなと。正しければ勝てるわけではない、大勢にどう響いたか、というところに想像力を働かせないと。
じゃあ、私たち利用者は「公設民営ブックカフェ」でいいから、CCC運営の『図書館』を選びます、と全国の図書館が同様に変わっていく可能性は高い。その上で、守らなければならない図書館の価値、といったところに視点を移して、利用者にもっとその部分を伝え、共感を得るよう努力が求められる。

病院や図書館、きっと役所などもそうだろうけれども、これまで「公共性」に支えられてきたこういった組織は、世の中の価値観や生活様式の変化に伴って、自分たちを変えないといけない時期に来ているんだろうと思うし、変えてはいけない部分は、それを多くの方々に届く言葉と態度で、説明責任を果たさないとならないと思う。真の「公共」とは何か、もう一度自分たちに問い直し、行動をする時代が来ていると感じる。

2013年10月24日木曜日

頭皮ケア・ウィッグセミナー開催

9月、10月と「月替わりプログラム~彩」はお休みしていましたが、11月から再開します!
「月替わりプログラム~彩」とは、井田病院7F「ほっとサロンいだ」で毎月第一水曜15~16時で開催される、市民や企業の方が講師となるプログラムです。

11月 月替わりプログラム~彩
「頭皮ケア・ウィッグセミナー」

2013年11月6日(水)
時間: 15:00~16:00
場所: 川崎市立井田病院 新棟7F ほっとサロンいだ
料金: 無料

抗がん剤などの治療により、髪の毛や頭皮は様々なダメージを受けることがあります。
そういったときに、

・どういうケアをしたらいいの?

・正しいシャンプーの方法がわからない!

・髪がなかなか伸びてこない

・クセ毛や白髪がやたら出てきてしまった!

といった点でお悩みの方も多いかと思います。

今回は、「毛髪技能士」の資格をもつスタッフが、お悩みにお答えいたします!脱毛ケア、ウィッグの選び方/着け方、医療向け帽子など、様々な面での有益な話が伺えます!

是非、お越し下さい!

※事前予約は不要です。当日、直接会場にお越し下さい。
※途中からの参加、退席も大丈夫です。

2013年9月25日水曜日

モトスミがん哲学カフェ11・12月開催!


「がん」の悩みを

私たちと語りませんか?



「がん哲学カフェ」とは、がん患者さんとそのご家族と医療者とが、カフェのリラックスした空間で、対話するための場所。「がんであっても笑顔を取り戻し、人生を生きることが出来るように支援したい」と願う、順天堂大の樋野興夫先生によって発足されました。

「病気を抱えて、どうやって生きていったらいいのか」「これから、どんな治療を受けていったらいいのか」とお悩みの方へ。私たちとの対話を通じて少しでもお気持ちが整理されるよう、お手伝いをさせて頂きたいと思っています。お気軽にご利用下さい。

 

【開催内容】

11/9(土)14時~17時
12/14(土) 14時~17

123組、各組1時間程度、がんの専門医師とがん看護専門看護師が、がんに関するどんな相談でも受け付けます(診療行為は行いません)。対象は「がん患者さん」「がん患者さんを支えるご家族」です。申込制ですので、お早めにご連絡下さい。

・開催場所:ida cafe

(川崎市中原区井田中ノ町33-9 http://ida-cafe.com/

東急東横線元住吉駅西口から、ブレーメン通りを抜けて徒歩10分(850m)。井田小学校えんじゅ門の近隣です。

料金:無料 (飲み物は、各自ご注文下さい)

予約がない場合は開催されないことがあります。



 
【申し込み、お問い合わせは下記まで、メール、FAX、または電話でお願いします】

川崎市立井田病院 かわさき総合ケアセンター   西 智弘
TEL: 044-766-2188   FAX: 044-788-0231
e-mail: tonishi0610@hotmail.co.jp


西 智弘(にし ともひろ):川崎市立井田病院 かわさき総合ケアセンター 腫瘍内科/緩和ケア内科 医師

2005年北海道大学卒。室蘭、川崎で家庭医療、内科、緩和ケアを研修後、2009年から栃木県立がんセンターにて腫瘍内科。2012年から現職。緩和ケア、抗がん剤治療や在宅医療に携わる。日本臨床腫瘍学会がん薬物療法専門医。


2013年9月5日木曜日

「がん」の悩みを私たちと語りませんか?

9月のがん哲学カフェのご案内です!

 
 
「がん」の悩みを
私たちと語りませんか?
 
 
「がん哲学カフェ」とは耳慣れない言葉ですが、がん患者とその家族に安心を与える医療者との対話の場所です。「がんであっても笑顔を取り戻し、人生を生きることが出来るように支援したい」と願う、順天堂大の樋野興夫先生によって発足されました。

「病気を抱えて、どうやって生きていったらいいのか」「これから、どんな治療を受けていったらいいのか」とお悩みの方へ。私たちとの対話を通じて少しでもお気持ちが整理されるよう、お手伝いをさせて頂きたいと思っています。お気軽にご利用下さい。

 

【開催内容】

/21(土)14時~17

予約制で123組、各組1時間程度、がんの専門医師とがん看護専門看護師が、がんに関するどんな相談でも受け付けます(診療行為は行いません)。対象は「がん患者さん」「がん患者さんを支えるご家族」です。

・開催場所:idacafe

(川崎市中原区井田中ノ町33-9 http://ida-cafe.com/

東急東横線元住吉駅西口から、ブレーメン通りを抜けて徒歩10分(850m)。井田小学校えんじゅ門の近隣です。

料金:無料 (飲み物は、各自ご注文下さい)

予約がない場合は開催されないことがあります。


【申し込み、お問い合わせは下記まで、メール、FAX、または電話でお願いします】

川崎市立井田病院 かわさき総合ケアセンター   西 智弘
TEL: 044-766-2188   FAX: 044-788-0231
e-mail: tonishi0610@hotmail.co.jp


西 智弘(にし ともひろ):川崎市立井田病院 かわさき総合ケアセンター 腫瘍内科/緩和ケア内科 医師

2005年北海道大学卒。室蘭、川崎で家庭医療、内科、緩和ケアを研修後、2009年から栃木県立がんセンターにて腫瘍内科。2012年から現職。緩和ケア、抗がん剤治療や在宅医療に携わる。日本臨床腫瘍学会がん薬物療法専門医。

2013年7月29日月曜日

医療は人の尊厳を奪うのか:処方箋編

 前回の記事に続いて「処方箋編」です。
 気持ちが乗っているうちに一気に書き上げたいと思います。

 最初に、身も蓋もないことを言いますが、私はそう簡単に「抑制」の問題は解決しないと考えています。

 問題が複雑である以上、解決も簡単にはいきません。
 これは、この国(政府という意味だけではなく)がある程度の時間をかけて作り上げてきた「文化」の一部のようなものです。「文化」を一朝一夕に変えることなどできないということです。

 前回に述べたように、「抑制を禁止しろ!」「尊厳を守れ!」と感情的に声をあげることは簡単です。しかし、それは根本の解決にはなりません。何しろ、私たち医療者だってやりたくてやっているのではないのですから。
 もちろん、多くの国民が自らの未来に自分も抑制されるかもしれない現実を認識し、こういった声をあげていくことは大切なことです。議論が盛り上がっていくことで、「現状を変えないといけないよね」という空気が醸成されていくのは、「空気」で物事を決めがちな日本人にとっては必要な事です。
 問題は、どうやって抑制をしなくても良いようにするか、です。看護師を増やせ、お金を増やせ、というのも言うは易し、行うは難しなのも前回述べたとおりです。

 解決のヒントは、前回の文章の中にあります。
 その文章とは
「個々人の意見は異なるだろうが、総論的にはそういう流れで、個別に対応することはできない(個別に対応すること自体が人手・コストを要求するから)、というのが現状」
という部分。
 ということは、逆に言えば「個別に対応できる場」を整えれば、病院では全体として「抑制」は必要、と考える流れの中でも、自分(や家族)については「抑制」を免れることができる、ということです。
 しかし、それはもちろん「私たちだけは特別にどんな状況でも抑制しないで対応しなさい」と、口に出して要求しろ、ということではありません(そんなことを言っても「難しいです」と断られるでしょう)。

 まずは、あなたがどういった「生き方」をしたいのか、考えてみてください。
 抑制されて生きたい、という方は少ないと思いますが、その上で、じゃあ自分はどうすればいいか、何ができるか、を考えて下さい。認知症にならない、という保証もありません。仮にそうなっても自分の望んだ生き方ができるよう、家族と話をしておくことも必要です。

 解決方法のひとつは「在宅医療」です。在宅であれば、精神的にも落ち着き、あまり大きなせん妄を起こすことがない方も多くいます。もちろん、在宅も家族の負担があるので、絶対に良い、とは言えませんが、そういった選択肢について話をしておくことは必要でしょう。
 また、数々の医療行為。例えば口から食事が取れなくなったときに、点滴をしたり、胃ろうをつくったりしますが、認知機能が衰えていると、そういった管がつながっていることが気になって、抜いてしまうことがあります。そうすると前回述べたような「ミトン」をつけられて、手の自由を奪われます。じゃあ、初めから「口から食べられなくなったら、一切そういった管類をつなぐのはやめてほしい」と言っておく(書いておく)というのもひとつの考え方です。「書いておく」場合は、家族がそういった場面できちんとその文章を読んでくれるように、やはり事前に伝えておく必要がありますが(エンディングノートはそういったときに便利なツールです)。
 病院において、看護師の負担を減らす、という方向性もひとつです。例えば、当院においては「介護ボランティア」というボランティア職員がいますが、これは各病棟において、身体介護に関わる部分をお手伝いしてくれるボランティアです。要は「ヘルパー業務」に近いことを病棟でやってくれる方で、とても助けになります。自分がこの地域で生き、そして死んでいこう、と考えれば、そういった活動に参加し、地域全体に勧めるのもひとつの手かもしれません。自分が元気なうちは他のひとの世話をする、自分が動けなくなって同じ立場になったら、次の世代の方々に支えてもらう・・・実際にそういった考え方で運営されている施設なんかもありますね。ただ、実際にこのボランティアを引き受けて下さる方はとても少数で、確かに、在宅でヘルパーさんをすればお金がもらえるところを、病棟で、無償で行ってくれる方を求める、というのは虫が良すぎるのかもしれません。じゃあ「病院で正式に職員として募集すればいい」と言っても人件費をこれ以上出せない病院経営側の気持ちもわかります(病院自体がなくなってしまうから)。また、夜間にまでボランティアの方々にお願いするわけにもいかないので、そのへんの問題は解決できないことがネックです。

 
 他にも、様々な意見があると思いますが、そういったことも、どんどん話し合うこと。話していて楽しいテーマではないので、中々家族とかとこういう話をするのは難しいかもしれませんが、そういった時間をもつことも大切なことです。そういった時間をつくる機会を、医療者側が提供するイベント、のようなものも案になるかもしれません。

 最後に。
 ここまで色々と述べてきましたが、全ての「抑制」=「悪」と考えるのはそれはそれで間違いです。
集中治療が必要な状況で、患者さんが「せん妄」をおこし興奮し暴れたりて、治療ができない場合、「抑制」は必要な場合もあります。薬(鎮静剤)を使って眠らせることで抑えることもありますが、それもいわば「精神的な抑制」といえます。しかし、それはその時の現場としては必要な部分もあるのです。
 全ての医療行為は「善か悪か」と割り切れるものではなく、その場合場合の状況によって変化する曖昧なものだということはわかっていて欲しいと思います。あなたの隣で抑制されている方がいても、その方やそのご家族、関係している医療者を責めるべきではありません。それぞれの価値観があり、生き方があり、それに応じて医療があればいいのです。
 あなたはあなたの生き方を考えればいいのです。

 これからの医療は「病院に頼りすぎないこと」が大事になってきます。決して「病院に頼るな」と言っているのではありません。病院にいけば全て解決、ではなく自分たちで自分たちの生き方を考え、あなたの生き方に医療が必要であれば、その時に助けを借りればよいのだと思います。そして、コミュニティ全体でそういった医療や介護問題を考えていく土壌を、みんなで作っていくことが大切です。

 その他にも、2025年に向けて、今から国民全体が考えておくべき問題はたくさんあります。今後、少しずつそういった問題を提起していきたいと思います。

2013年7月28日日曜日

医療は人の尊厳を奪うのか

 医療の現場では、「より安全に、より効率的に、かつ質高く」働くことが求められてきている。
 具体的には、以前であれば「まあいいんじゃないの」「大体こんな感じで」で済まされていたことが、「○○の評価表を用いて数値化して、○○点以上はこういった処置を」とか「○○が起きた場合は書類をつくって病棟単位で検討した後、○○委員会へ報告」とか、色々とルールができた。
 それによって、患者さんや家族にとっては、これまで適当に(悪い意味ではなく)されていた部分についてて、より安全性が担保されることになったし、質が向上した部分もある。

 しかし、そういった流れによって失われたものも多い。
 まず、現場の忙しさが増した。急性期病院にとって、「安全に、効率良く」というのは「問題を起こさずに、原疾患の治療に専念し、最短の入院期間で患者を退院させること」を意味する。そうしないと病院の経営自体が成り立たない、という事情もある。短期間のうちで、様々な評価表を記入し、様々な処置などに対する同意書にサインをもらい、問題が起きないよう管理し、1~2週間で退院したと思ったら次の患者さんが入ってきて、また評価をし直して、書類を作成して・・・。と、評価や書類作成、管理に時間をとられる一方、患者さん一人一人のケアに十分な時間を割くことが難しくなった。患者さんや家族一人一人の話をじっくりと聞き、癒しを提供し、心を通わせて・・・というのは不可能になってきている。

 そして、そういった中で「安全」を追求することで、患者さんの行動を制限しなければならない事態も出てくる。
 現実問題として、例えば45人の入院患者さんに対し、夜間は3名しか看護師がいない。
 患者さんは、入院している=体調不良なわけだから、足元がおぼつかないことも多い(高齢者は特に)。そういった方が病棟内で転んだりすると、骨折などにつながることもあり一大事なので、「トイレに行くときなどは必ずナースコールを押して下さいね、私たちが誘導しますから」となる。しかし、そういった方が多いと、ナースコールを押しても中々看護師が駆けつけられないこともある。一度にみんながトイレに行くわけではないが、中には苦しくて押している方、薬の追加が欲しくて押している方、その他細々した用事で押している方、など様々で、誰もいないナース・ステーションに鳴り止まないナースコール、なんてこともよくある。そうすると、待っていてもナースが来ないので、トイレを我慢できない方は自分で歩き出そうとして転倒したりし、その結果として処置は増え、さらにナースコールへの対応が遅くなる、という悪循環が生まれる。さらには「せん妄」といって、体調不良に加えて入院による環境変化によるストレスから、夜間などに混乱状態におちいり、点滴の管をひきちぎったり、奇声を発したり、病室から脱走、という方もいる(高齢の方に多いが、比較的若い方でも起こらないわけではない)。
 そういう現状から「申し訳ないが、体を『抑制』させていただきます」となる。「抑制」とは、手足や胴体をベッドにヒモでくくりつけたり、両手に指が曲がらなくなるよう板の入ったミトンをはめたり、自分では脱ぐことのできない服を着せたり、ということ。医療者側としてもやりたくてやっているわけではないし、「外して・・・外して下さい・・・」という訴えに心が切られる思いであるが、患者さん自身の安全、そして命を守るために、という前提のもと、心を鬼にしなければならない現状がある。

 しかし、こういった現状はいったい誰が生み出したものだろうか。
 そして、誰にとっての幸福につながっているのか。

 問題の原因をひとつに求めることは困難である。
 例えば、こんなに「安全」が強く言われるようになった背景には、家族からの「病院に入れて安心していたのにケガをさせるとは何事!」という声が大きくなってきた、というのもあるし、その先に訴訟があるのでは、という恐怖もある。「私たち家族は仮に本人が勝手に歩いて転んでケガをしても決して文句は言わないから、抑制するのはやめてください」といわれても、それは受け入れられない。後に、他の親戚が出てきて意を翻される可能性もあるし、先に述べたように「問題を起こさずに早く退院」という病院側の事情もあるからだ。
 看護師を増やせばいいじゃないか、という単純なものでもない。現状、どこの病院でも看護師は不足しているし、定員以上に看護師を雇用することは現時点でもギリギリの経営を圧迫する。こういった忙しい現場に嫌気がさし、途中で退職してしまう看護師も多い。
 経営が逼迫しているなら、病院に対するお金を増やせば、というのも難しい。国が「医療費の増大は国を滅ぼす」と言い始めてから、医療費は削減され続け、最近は微増もしているが、とても根本的な解決に至るほどではない。その一方で社会保障費が増え、税金が増えるのは反対、という声もあるわけだ。

 つまり、質が高く、安全で、安価な医療を、少人数で、低コストで、短い時間の中で効率的に提供しろ、と国民も、国も、病院側も言っている。もちろん個々人の意見は異なるだろうが、総論的にはそういう流れで、個別に対応することはできない(個別に対応すること自体が人手・コストを要求するから)、というのが現状である。そういった何となく「世の中の最大公約数」的な部分に焦点が当てられた結果、医療者も、患者さんも、家族も、病院も、誰も幸福にならないシステムが生み出されているともいえる。
 それでも、それで患者さんの病気がはやく治り、無事に退院できれば、患者さんや家族にとっての「幸福」につながっている、といえるが、高齢者では入院で抑制をされることで足腰が弱って、病気は治ったが寝たきりになって自宅退院ができなくなったりすることもあるのである。

 
 
 「抑制」は確かに人間の尊厳を奪う行為であるが、そういった現状を無視して、いくら「抑制には反対だ!」と言っても問題の解決にはならない。「じゃあ、あなたがそういう『抑制』を解くために、具体的に何か行動ができますか?」と問えば、多くの方は沈黙するのではないか。実際にはご家族が付き添っている時間帯だけ抑制を外したりしている。しかし家族も24時間かつ毎日ずっと付き添えるわけではないことが多いし、全ての解決を家族にだけゆだねるのも私は好ましいこととは思えない。

 そしてこういったことは、決して「自分には関係ないところで起こっている出来事」ではない。いずれ、自分の家族がそういった「抑制」を受ける可能性もあるし、もしかしたら自分が抑制される可能性だってあるわけだ。
 誰だって、ベッドに縛りつけられて、晩年を過ごしたくはないだろう。「自分はそんなふうにはならないよ」とか「自分が年を取って入院する頃にはもっと状況はよくなっているはずさ」とか「医療者に任せておけば何とかしてくれるよ」というのは楽観的すぎる。医療の質と安全を高める要求は年々強くなってきているし、医療者だけで解決できる問題でもなくなっている。特に、現場の看護師たちはあまりにも忙しすぎて、こういった問題の解決に取り組むだけの余裕すらない。
 2025年のいわゆる「多死時代」がすぐそこまで来ている。まず、国民一人一人が問題を認識する必要がある。
 ただ、この現状を解決できる「処方箋」は存在するのか。
 長くなったのでこの先は項を変えて改めて考えてみたい。

2013年7月10日水曜日

月替わりプログラム~彩:8月はハンドヒーリング・レイキ

ほっとサロンいだの「月替わりプログラム~彩」8月も開催します!
8月のテーマは「ハンドヒーリング・レイキ」で、レイキアカデミーの上杉さんにご協力頂きます。


下記の宣伝文を読み、ご興味ある方は是非お立ち寄り下さい~。

(以下宣伝文)
ナチュラルでシンプルなハンドヒーリング
~レイキ


レイキは、 自己治癒力を高め、身体と心のエネルギーのバランスをとる日本で生まれたハンドヒーリングとして知られています。アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリアをはじめとする世界の医療現場でも、「がん」や「難病」の代替医療として脚光を浴びている他、近年は、インドのヨガ、中国の気功と並んで、日本のレイキは広く知られるようになりました。

手を当てるだけのシンプルなヒーリングです。
ただ手を当てているだけなのに、心と身体がふっと緩んでいきます。
人はリラックスすると呼吸が深くなって、自己治癒力が高まります。

当日の手順
最初に呼吸法をしていきます。
静かに自分を呼吸を見て、その後、身体を使っての呼吸法をして行きます。
そうすることで、さらにリラックスした状態でヒーリングを受けることが出来ます。
椅子に座って頂いて、気になるところに手を当てさせていただきます。

【月替わりプログラム~彩:8月 レイキヒーリング】講師:上杉理恵
著書「レイキの光と共に~2度のがんを超えて」
Prema*レイキアカデミー主宰
はーとふる*がんの方へのヒーリングボランティア主宰


8月7日(水) 15:00~16:00
場所:7F ほっとサロンいだ
※事前予約は不要です。直接、会場にお越し下さい。

2013年6月17日月曜日

神奈川TVのロケがありました!

6/17は神奈川テレビの川崎市広報番組「LOVEかわさき」のロケが、井田病院でありました。
私は病院側のメイン出演者として出させて頂きましたが、ロケがはじまる前からノドがカラカラです・・・。
 

本物のカメラ(1000万円近くするんだそうです・・・)と、本物のタレント!(当たり前ですが・・・)。

院長も出演しております。

「ほっとサロンいだ」も取り上げて頂きました。
他に、緩和ケア病棟も取材して頂いております。


タレントの守永真彩さんと。守永さんはロケの合間も好奇心をもって色々と話しをして頂き、とても感じの良い方でした。おかげで気持ちよくロケを終えることができました。
私も、最初に心配していたよりは噛まずに話すことができ、何とかなったかな~と思っています。

井田病院を特集した「LOVEかわさき」は6/29(土)朝9:00~9:15に放送されます。
ぜひ皆様ご覧頂ければ幸いです。

2013年6月11日火曜日

「モトスミ がん哲学外来」が始まります

医療者との対話を通して、「がんとともに生きること」を考えませんか?

「がん哲学外来」とは耳慣れない言葉ですが、がん患者とその家族に安心を与える医療者との対話の場所です。「がんであっても笑顔を取り戻し、人生を生きることが出来るように支援したい」と願う、順天堂大学教授の樋野興夫先生によって発足されました。 

現在、日本各地で「がん哲学外来(カフェ)」が開かれていますが、これまで神奈川県では横浜にひとつあるのみでした。そこで、このたび樋野先生およびidacafe様のご協力を得て、川崎で初の「がん哲学カフェ」が開催されるはこびとなりました。

「病気を抱えて、どうやって生きていったらいいのか」「なぜ、自分がこんな病気にならなければならないのか」とお悩みの方へ。私たちとの対話を通じて少しでもお気持ちが整理されるよう、お手伝いをさせて頂きたいと思っています。お気軽にご利用下さい。
 

【開催内容】

・日時:1回/月程度 土曜日(不定期) 14時~17時 :7月は7/20(土)、8月は8/10(土)を予定

完全予約制で123組、各組1時間程度の面談となります。対話を通じて患者さんやご家族のお気持ちを整理するお手伝いをさせて頂きます(診療行為を行うものではありません)。対象は「がん患者さんおよびそのご家族」です。

予約が入っていない時間帯は立ち寄りでの面談も可能です。立ち寄り時に満席の場合は、後日の予約を案内させて頂きます。

・料金:無料 (飲み物は、各自ご注文下さい。 カフェ内への飲食物の持ち込みはご遠慮下さい)

・開催場所:idacafe (〒211-0034 川崎市中原区井田中ノ町33-9 http://ida-cafe.com/

東急東横線元住吉駅西口から、ブレーメン通りを抜けて徒歩10分(850m)。井田小学校えんじゅ門の近隣です。

カフェには駐車スペースがございませんので、お車でお越しの際は近隣の有料駐車場をご利用下さい。
 

【事務局/連絡先】
申し込み、お問い合わせは下記にお願いします(診療時間中などは電話を取れないことがございますので、できる限りe-mailで申し込み頂けますと幸いです)。9月以降の日時の御案内は12ヶ月前までに当ブログに掲載いたします。

川崎市立井田病院かわさき総合ケアセンター 西智弘
211-0035 川崎市中原区井田2-27-1
TEL: 044-766-2188   FAX: 044-788-0231
e-mail: tonishi0610@hotmail.co.jp / URL: http://tonishi0610.blogspot.jp/

2013年6月6日木曜日

月替わりプログラム~彩:7月テーマは「ハンドアロマ」!

ほっとサロンいだの「月替わりプログラム~彩」が7月からスタートします!
7月のテーマは「ハンドアロマ」で、ウェル・カウンセリングルームの篠原さんにご協力頂きます。

下記の宣伝文を読み、ご興味ある方は是非お立ち寄り下さい~。

また、8月からはまだ月替わりプログラムの内容が決まっていません!
もし「何かやってみたい!」という方がいらっしゃいましたら、ぜひお問い合わせ下さい!もしくはそういうかたをご存じでしたら、ご紹介下さい!
宜しくお願いします~。
 
(以下宣伝文)
 
こころとからだを癒す~ハンドアロマ
 
 
アロマオイルを使ってご家族や大切な方を優しく癒しませんか。
マッサージとアロマのダブルの効果で、不思議な事にマッサージをする方も、受ける方も癒されるハンドアロマ。

親しい人に優しく触れられて、安心感を覚えたり、心地よさを感じた事はありませんか。
ハンドアロマには体だけでなく、心も癒してくれるのです。

お互いに目を合わせられる位置で行うので大切な方とのコミュニケーションにも大変おすすめ!時間や場所をとらないので、気軽に行うことが出来ます。

初心者でも安全で簡単に行える手技です。

開催日:7/3(水) 15:00~16:00 (事前予約不要)
講師:篠原広美(ウェル・カウンセリングルーム)
場所:川崎市立井田病院 7Fほっとサロンいだ

《当日の手順》

ハンドアロマの効果と精油の効能について簡単な説明を行い、リラックス効果の高い精油や吐き気の緩和に有効とされる精油など、3~4種類のアロマの精油からお好きな物をお選び頂きます。

2人一組になって頂き、お互いにハンドアロマを実際に行なって頂きます。

参加ご希望の方はタオルをご持参下さい。また当日は、爪を短く切ってご参加下さい。

2013年5月3日金曜日

ほっとサロンいだ:月替わりプログラム「彩」募集!

井田病院の「ほっとサロンいだ」が開設されてから4ヶ月が経過しました(「ほっとサロンいだ」についてはここを参照)。
この間に、ボランティアさんが記録をつけている時間帯だけで500人近くもの方にご利用頂き、ご好評頂いております。

ほっとサロンいだでは「プログラム」と称して、定期的にイベントを開催してきました。
例えば、がん患者さんやご家族がお互いの体験や悩みを語り合う場である「がんサロンプログラム」や、がん専門看護師が個別相談を行う「がん相談支援室プログラム」、また1杯の日本茶を通じて日本人としての原点やアイデンティティ、癒やしを提供する「日本茶を楽しむプログラム」などが開催されてきました。

しかし、これまでプログラムの開催は、定期開催とすることをルールとしていたため、中々院外の方々にプログラム開催企画をお願いできずにいました。
そこで、今後は、こちら側が主催監督する形で、市民の方々から協力頂ける方を募り、「月替わり」のプログラムを提供することを企画しました。

プログラムの概要ですが、場所は井田病院7階「ほっとサロンいだ」、時間は毎月第1水曜、午後3~4時の60分間。
内容は、患者さんや家族の健康増進維持につながるもの、癒やしや情報提供につながるものなど。例えば、アロマセラピーや太極拳、ヨガや患者さんへのメイク教室・・・などなど。食品をメインに扱うもの、強いにおいや大きな音を出すものはご遠慮下さい。また、店や団体の簡単な紹介は結構ですが、明らかな営業活動や勧誘、サロンでの金銭授受などはご遠慮下さい。
講師はボランティアとしてご協力頂ける方で、これまでも活動の実績がある方。
最終的には、頂いた企画書の内容を、サロン運営委員会にて検討して決定します(企画内容や開催希望日に応募が複数ある場合はお断りさせて頂く場合があります)。

患者さん・ご家族に、自分たちの活動を提供したい方、サロンの主旨にご協力頂ける方など、
月替わりプログラム「彩」にプログラムを提供頂けませんか?

まずは簡単な企画書で結構ですので、企画の内容がわかるものおよび主催者の略歴・活動内容、開催希望日(複数日ご指定頂けると幸いです)などをおまとめ頂き、
tonishi0610@hotmail.co.jp
まで、ご連絡頂ければ幸いです。お問い合わせも、こちらのアドレスにお願いします。
何卒よろしくお願い申し上げます。

開催予定日:7/3、8/7、9/4、10/2、11/6、12/4・・・

2013年4月12日金曜日

病院レストランを考える!ワークショップ開催

 最近は、院内にレストランやカフェスペースを設ける病院が増えてきました。
 病院に来た方々が、思い思いに集い、談笑し、食事をとるレストランですが、その業務の多くは外部の業者委託であり、病院という場が提供するのにどのようなレストランが良いのか?というテーマについて、医療の目線からはこれまであまり考えてこられなかったのではないでしょうか。そもそも、病院の中にレストランがある意義・役割とは?患者さんや、医療の立場から見た「レストラン」とは?

 このような思いから、このたび私達は、川崎市立井田病院の有志により「レストランサポートプロジェクト」を立ち上げ、そのひとつの活動として、患者さんや市民の皆様と、望ましい病院レストランの姿を考えるワークショップを企画しました。

 予防医療が重要視されている昨今、医療者と市民が一緒にレストランという場を通じて「食」を考え直す、という企画は全国でも初めての企画であり、今後、本邦において病院レストランを考える上でのモデルとなる知見を提供していけるものと考えております。
 本企画は、病院レストランも広い意味で、待合におけるアメニティのひとつという意味で有効活用すべき対象と考えられることから、「待合室から医療を変えようプロジェクト」にもご後援頂いております。また、本企画を通じて、待合空間から医療を変えるひとつの実践例が提供できることを意図しております。

 当日は、プロジェクトの概要、病院レストランの現況などについて発起人からの講演後、「病院にこんなレストランがあったらいいな」というテーマで、ワールドカフェ方式のワークショップを行います。

 対象は病院利用者、一般市民、医療者などで、先着40名。参加費は無料。
 受付は5月12日9時から、専用ウェブサイト(http://kokucheese.com/event/index/85090/)から申込を行うことができます。何卒よろしくお願いいたします。


・日時: 2013629日(土) 午前9001130 

・会場: 川崎市立井田病院 新棟2階 会議室 

・目的: 

①病院レストランとは何か?をもう一度考え直し、病院利用者にとって望ましいレストランの姿を検討する。

②「待合室から医療を変えようプロジェクト」の理念を、病院レストランをテーマに具体化させる。

 
・主催: レストランサポートプロジェクト (発起人: 川崎市立井田病院かわさき総合ケアセンター 西智弘)

・後援: 待合室から医療を変えようプロジェクト

※待合室から医療を変えようプロジェクト:待合室をひとつの重要な医療資源と考え、それを有効利用することで医療の改革につなげようという活動。2013年3月に公開シンポジウムが開かれ、今後「待合室学会」として活動していくことが計画されている。主催は、東京大学公共政策大学院 医療政策教育・研究ユニットにおける自主的社会活動である医療政策実践コミュニティ(Health Policy Action Community;略称 H-PAC)。

2013年3月24日日曜日

「待合室から医療を変えようシンポジウム」

本日、東大で行われた「待合室から医療を変えようシンポジウム」に参加してきた。

これは、全国の医療機関にある「待合室」30万カ所を、数が多いだけでなく社会的に信頼できる空間であるところの「有効な医療資源」と考え、しかも待合室ではある一定の時間を強制的に過ごさないとならないわけであるから、その「待たされる」マイナス面ばかりを強調するのではなく、発想の転換によりプラス面を引き出すことがミッションとされている。

全部で4時間のシンポジウムだったので、全内容をここに書くことはできず、印象的だったことのみを抜き出して記録する。

最初の演者は、東大病院も設計された建築家の岡本和彦先生である。
岡本先生の講演では、建築設計がもつ可能性に触れつつ、しかし待合室については建築学の教科書でも半ページ~1ページくらいしか割かれていない事実に触れ、そういった中でどのような研究がされてきたか、ということについて話して頂いた。建築でも、医療でのEBMと同様EBD(Evidence Based Design)という用語があり、研究に基づいた設計がされているのだという。
待ち時間や患者さんの動線、診察に行き着くまでの手間などを省くことが、ムダの排除につながるが、医療機関ではこれらを排除しようとすると経営そのものに関わる問題にもなり、中々難しいのだという(例えば、動線を短くする=廊下を短くする=病院の規模縮小、待ち時間を減らす=診察ブースを増やす=医師確保の困難、人件費増)。
中待合はまったく日本独自の仕組みで、徐々に診察室に近づいていく心理的配慮や、中待合で次の診察の準備をしてもらうことでの時間短縮の効果などがある。
最近のデザインでは、病院の敷地内を住民が通り抜けられるようにして、その周囲にパン屋や保育所を設置する例や、フードコートやスーパーマーケットを設置する例、病院の回廊自体をギャラリーにするなど、病院内に患者さん以外の方を取り込むような仕組みも多いのだという
窓から見える景色がレンガの壁か緑の木々か、で病後の回復が異なる可能性を示唆する論文から、少なくともナイチンゲールが示したように「病院が害をなさないように」デザインするのが大切と言っていたのが印象的であった。

病院図書室司書の石井さんの講演も、印象的であった。
町の本屋さんから、病気に関する本を買ってきて、ただ同じように陳列するだけでは、リテラシーは上がらない。それでは患者図書室とは言えない!」
とのお言葉に、自分もその業務に一部関わっている関係上、ちょっと耳が痛かった。
患者さんに役立つ本棚にするためには、専門的な医学書だけでも、家庭の医学の本だけが置いてあるだけでもダメ。それらはあくまでも、生物学的な断片的な情報であり、自分の生活の行く末を示してくれるものではないからである。患者さんは、初めてかかる病気について、「先行きが見えない」不安を抱いているわけであり、病気と生活に対応する情報源にアクセスできるよう、工夫が必要である。
そのひとつが闘病記であるが、闘病記も、タイトルによっては何の病気の本なのかわからないものが多く、きちんとそのような情報にアクセスできるように、こちら側が整理する必要がある。

カフェを中心に病院を、と訴えた鈴木さん(みのりCafe店主、患医ねっと代表)の講演も耳が痛かった。
病院には各種チェーン店のカフェが入っていることが最近多くなってきたが、カフェの店員はあくまでもそのカフェのことしか知らず、また、「患者のための病院」であるはずなのに、注文は全て横文字、そしてセルフサービス式で「自分で飲み物を席まで運べ」というのはありえない!と声を上げていた。
言われてみるとその通りで、病院を利用している方の多くは高齢者であることを考えると、もっとサービス面で独自性を出してもいいだろうになあ、と思ったのである。せめて、病院内のコンシェルジュ的な役割を果たしてもらうことくらいは期待してもいいのかもしれない。
鈴木さんの考える「カフェを中心とした病院」のコンセプトも、とても心躍るデザインであり、何か一緒にできることはないかなあ、とワクワクさせられるものであった。

他にも、医師の花木先生、電通の増田さん、日経メディカルの山崎さん、栄養士の前田さん、メディキャストの大西さんからも非常に興味深い、「待合室の可能性」についての講演があり、あっという間に4時間が経過した、という印象であった。

私の中で、今回得られた気づきをまとめると
・待合室は決して「順番を待つだけの」場所ではないと考えた方が良い
というのを大前提として、
・待合室をどのようにデザインしても、全員にとって100%満足なコンテンツは提供できないと考えた方が良く、多様なコンテンツ・個別性(自由度)の高いコンテンツをどれだけ提供できるかがカギである。
・待合室にいるのは患者さんだけではなく、ボランティアさんやサービスの方々、地域住民もいて良いし、医療者もまたその中に積極的に出て行くべきである(双方向性のコミュニケーション)。
・待合室はまだまだ未開発の部分が多く、ビジネスの芽が隠れている可能性が高い。

今後も、今回の活動は「待合室学会」として発展していく可能性を検討しているとのことである。
是非、全国での活動の発表の場として整えて頂き、待合室もそうであるが病院内の売店やカフェも含めたアメニティ機能を高めていく活動を広げて頂くことを期待する。

2013年3月17日日曜日

医療者の傲慢~医療者と住民が対話するために?

 昨日、みんくるプロデュース・empublic主催の公開シンポジウム「住民と医療者が、ともに地域の医療を育てるために何ができるか?~対話へのアクション・プランを考える」に参加してきた。

 内容は、千葉県東金市のNPO「地域医療を育てる会」の取り組みの発表、パネルディスカッションを経て、では「住民が地域医療に求めることは?実現に必要なことは?」というテーマで、参加者ごとにカフェ型トークをしよう、ということになった。
 カフェ型トークとは、テーブルごとに数名で決められたテーマについてフリートークを一定時間した後、ファシリテーターを除く参加者が、他のテーマのテーブルに移り、そのテーブルで行われたトークを振り返った後に、再度新たなトークを付け加えていく、といった形式(それを繰り返す)。

 最初に座ったテーブルで面白かったのは、ある医療職の方だが、いきなり「そもそも私、『地域医療』って言葉、嫌いなんだよね!」から始まり、そもそも地域医療って何だ、なぜ「地域医療」という言葉が嫌いなのか、といったところで盛り上がったことである。
 そこで得られたものは大きかった。なぜなら、自分もこのテーマに違和感を感じていたからである。地域医療に多くの住民を巻き込む必要がある、というのはこちらのニーズだが、それはそのままでは地域住民のニーズにはなり得ないのではないか、そもそもそれを「ニーズとして認識させよう」といった考えそのものが「医療者がいかにも考えそうなこと」ではないのか、という違和感である。

 最近、「医療職と一般の方が、診察室を出て、カフェのようなリラックスした雰囲気で同じテーブルにつき、トークをする」といった取り組みが全国的に注目されており、メディアでも取り上げられている。
 もちろん、こういった取り組みは大切なことだし、面白いと思う。特定の目的にとっては有用である面も多いだろう。
 しかし、「対話の場」として、それはふさわしいのだろうか?という違和感はぬぐえない。
 そこに参加している一般住民の方は、やはり元々何らかの疾患を持っていたり、家族や知り合いに病気の方がいたり、といった「元々関心の高い参加者層」が多いのではないか。そうなると、それは一般市民、というくくりというよりかなり偏りのある集団でフローしているに過ぎず、それだけをもって一般市民との対話がなされている、と考えるのだとしたら違うのでは、と思うのだ。

 そもそも、医療者が主催すると必ず健康や福祉、といった類の話になるが、それでいいのか、という思いもある。「地域医療集会」とか「市民公開講座」、などを企画しただけで(もちろん情報提供などの目的では重要な意味もあるが)、地域住民と交流を図ったつもりになっているのだとしたら大きな間違い。そもそも「医療職と市民が」というテーマ自体が違和感だ。それこそ、医療者が自分たちの仕事を特別だと思っている証拠じゃないのか、と。「八百屋と市民が」なんてテーマの集会なんて聞いたことがないだろう。
 医療職なんて、別に特別な仕事ではない。こちらに意識下にでもそういう気持ちがあるから、これまで壁が作られてきたのではないか。市民を本当に巻き込んで色々と活動していきたいのであれば、そもそも自分も市民の一人なのだから、医療職という立場を離れて、もっと地域に入っていけばいいのではないか。警察官の●●さん、八百屋の○○さん、主婦の××さん、と医師である自分、何も違いはない。従事している仕事が違うだけだ。まず、地域の方々が何をしているのか?というところに興味をもって、入っていくこと。自分たちがやっていることよりももっと面白いことをみんなは考えているよ。

 そもそも、典型的な「医療者」の考える企画は説教くさい。テーマが必ず「健康と○○」「○○の予防」「死と○○」とか、そんなのばかりじゃ元々関心が高い人しか来ないのではないか?真面目くさくて、オシャレじゃない。そのようなテーマを設定したがるところにこそ、医療者の傲慢があるのではないか?住民は健康について興味を持つべきだ、私達が予防について導いてあげないと、とどこかで思っていないか。普通の市民が、そんなに「健康」に関心をもってくれるとは思えないのだけど。

 私達の求めるアウトカムは何か?それを達成しながら楽しめる企画はできないのか?
 例えば、地域の方々にもっと歩いてもらうことで健康度を上げてもらいたい、と医療者側が思っていたとする。その場合、典型的な医療者が考えることは「まちを歩いて健康に!目指せ1万歩ツアー!」を企画することだったりする。しかし、それをちょっと変えて「まちに隠れる○○を探しましょう!写真を撮って景品ゲット!」とかに変えるだけで、参加者はより増えるだろうし、楽しげで説教くさくない。それでいて、どちらも町を歩くことには変わりないのだから、私達の求めるアウトカムも得られている。あくまで健康を意識してもらわないとならない、と考えているのなら、それこそが傲慢だろう。気がついたら、地域が健康になっていた、というのは理想に過ぎるだろうか?

 医療者は、もっと謙虚にならないとならない。
 医療者であるという前提を捨てよ。市民であるという意識を取り戻せ。私達は、求められたときだけ、医療者としてプロであればいい。
 話を聞いてもらうにしても、「井田病院の西先生」よりは「何丁目に住んでる西さん」の方が聞いてもらいやすいんじゃないか?ついでに酒でもあればサイコーだね!

 
 逆転の発想だが、みんながともに地域の医療を育てるには、それが一番の近道なのではないかという考えを再認識した(少なくとも自分の住む地域においては)。それに気づかせてくれた昨日のシンポジウムは、自分にとってとても有意義なものであったと思う。本当に感謝したい。
 
 
 
 
 
 
 

2013年3月7日木曜日

患者から、逃げない

最近、自分が講演をするときに必ず入れる言葉。

「患者から、逃げない」

緩和ケアでは、まずこの心構えを持つことが、とても大切なことだと思っている。

医師が、患者から逃げる?
そんなこと、あるわけない、と皆さんは思うかもしれない。
それは一部の、いわゆるモンスターペイシェントとかいうのの話しだろう、と思われるかもしれない。

医師の側も「私は患者から逃げたことなど一度も無い」と言われるかもしれない。
ええ、そうでしょう。
確かに、いつも皆さんは真摯に、患者さんに向き合っているでしょうね。

でも、真摯に向き合うからこそ、患者さんから逃げている、少なくとも逃げたくなる経験はだれだってあるはず。
予後数日、昏睡状態の患者、心配して付き添う家族。そんな病室に、足が遠のいた経験が、きっとあるはずなんです。
行っても、何もできない。家族には「先生、どうなんでしょうか」と真剣に問われる。でも、何もできない。
患者さんの胸に聴診器を当て、点滴の滴下を見、尿カテーテルから尿が出ていることを確認し、
「血液検査の結果は変わりありませんでした」とか「尿はしっかりでていますよ」とか言う。

ほら、逃げている。

予後数日の方に対して、医者ができることは血液検査や尿量のチェックだけなのだろうか。
真摯に、患者さんを「治そう」と思ってやっているからこそ「治せない」患者さんに直面したときに、無力感、罪悪感にさいなまれ、足はベッドサイドから、病室から、遠のいていく。
元気なときは、病状説明や検査説明を30分もベッドサイドでしていたのに、死にゆく患者さんの傍には5分もいることができない。
苦しい、と患者さんが言っていても、それに対して患者に寄り添う、ケアをする、というのではなく「とりあえず」「その場しのぎの」治療や検査をする。それも、ある意味一種の逃げだと思う。

老いに対しても、逃げる。
認知症は、薬で良くできる「病気」とは言えない。なのに、みな判で押したように、認知症の薬を出す。それよりも大切なことがあるのに。
老い、からも逃げている。患者さんもだが、医師も「老い」に正面から向き合うことができない。
老いに向き合うことは、お互いに大変に苦痛を伴うものだからだ。
病院は、老いそのものを治療することはできない。その事実をまずは医療者が認め、では何をするべきかも考えないとならない。

患者から、逃げない。
これは、大変なことだ。誰だって、逃げたくなる。それをまず認めることだ。
私だって、ちょっと気を抜けば、患者さんから逃げようとしているときはある。本当につらいからだ。
でも、それを自覚した上で、でも自分は逃げることはしない、と腹をくくることが大切だ。
腹を据えて、覚悟を決めて、ようやく患者さんと向き合い、支えることができる。

そしてもうひとつ。
支えようとする自分たちにこそ、支える人が必要である。
これは小澤竹俊先生の受け売りだが、支援しようとする我々は、ひとりでは支えることはできない。
大勢の仲間、理解者、支援者が必要である。
それがあってこそ、我々は患者さんと、ずっと向き合っていける、と思う。

自分も弱い存在だ。逃げたくもなるし、一人では何もできない。
でも決して恥じることはない。
それを、自覚することこそが大切なのである。

2013年3月4日月曜日

生きる希望を考え、死を想う

(昨日の大蔵先生の講演に触発されて書く。一部内容拝借)

希望、とは何か考える。
ここでいう「希望」とは「生きる希望」である。

人間誰しも70~80歳にもなれば、体は衰えてくる。
これは「病気」ではない。
この「衰え」も病院で治せる、入院したら良くなる、と思われている節もあるが、実際には良くなるどころか悪化する例だってある。

がん、認知症、心不全、脳血管疾患など誰しもが加齢に伴う病となり、皆が等しく死を迎える。
もちろん、様々な技術の進歩により、死までの時間を延ばすことは可能になったし、これからもそうなっていく可能性はある。
平均寿命が150歳、なんて世の中ももしかしたらいずれはあるかもしれない。
そういう意味では「夢の新薬」や「夢のような技術」は生きることの「希望」だろう。

しかし、現在80歳前後の寿命が、150歳に延びることは、本当に希望ある世の中なのか。
もしそうなっても、130歳くらいになれば「ああ、あと20年くらいしか生きられない」と思うのではないだろうか。
仮に、がんの特効薬ができて、がんが撲滅されても、他の病気で私達は死んでいく。
私達が人間である限り。

もちろん、現在がんで苦しんでいる方には、がんの特効薬ができることは「希望」だろうが、「治る」ことだけが希望なのだとしたら、その先にはやっぱり絶望しかないんじゃないだろうか。

これは残酷なことかもしれないけど、大切なことだ。
私だっていずれは何かの、死に至る病になる。
一時は、手術や薬で命が延びるかもしれない。でもまた数年後には死に至る病になるだろう。それをまた治しても、また同じことの繰り返しだ。
だとしたら、人間が生きることの希望はどこにあるのだろう。

それに一定の答えを出しているのが、種々の宗教であるのだろうが、私は死後の世界というものは、ある、とか、ない、とかはあまり興味が無く、あってもいいけど、とりあえずこの世の中のことは、この世の中でケリをつけたいと思っている。
そう考えれば、自分に残された時間は、あと長くても50年ちょっとくらいだろう。
もう既に1/3は過ぎている。
だから、時間が足りないかもしれないと思っている。
何のための時間か。
自分の中で言うと「ああびっくりした」と世の中に思わせるための時間と、「ああ安心した」と世の中に思ってもらうための時間である。
「ああびっくりした」は、端的に言えば世の中を楽しませるあらゆること。それをたくさん生み出すことが自分の喜びであり、生きる希望である。
「ああ安心した」は、自分が安心して死ねるためのあらゆること。死ぬまでにそれを準備することが、生きる希望である。
死ぬことは仕方がない。じゃあ、死ぬまでにたくさん楽しいことをやって、世の中を楽しませて、そして安心して、(できれば上手に)死にたい。それが希望、かな。

一般的な希望、そんなものはきっと無いんだと想う。
でも、死から逆算して考えたとき、それぞれが、その中に見えてくるものがあるかもしれない。
それを生み出す手助けをするのも、これからの自分たちの仕事かと思っている。

今の社会は、死から隔絶されすぎている。
昔は、自分の祖父母、父母だけでなく、多くの親類縁者の死を、その過程も含めて経験することができた。今はそれがない。
「死を想え」と、有名な言葉があっても、死が想像できない。遠い彼方のものか、恐くて忌避するもの。何か高尚なものにしたがる傾向も世の中にあるが、それは誰の身にも起こる、現実である。
死や老いを、もっと近しいものに取り戻す必要があるのかもしれない。
そしてこれから、超高齢社会を経験していく中で、希望とは何か(自分だけではなくそれぞれにとっての)、常に考え続けることが必要になってくると思う。


追記
この文章は、自分の内面を掘り下げたもので、他の方々に同じように考えるように、と促すものではないことを付記しておく。
また、「だから治療を受けるべきではない」と意図するものでもない。
例えば抗がん剤。こんな文章を書くと、医師は自分が癌になったときに抗がん剤を受けない、という論の裏付けになりそうだが、ばかげたことだ。
抗がん剤をする目的、それが自分の生きる希望と合致していれば、当然それを受けるし、ムダだと思えば受けない。例えば、いま、全身転移のがん、と診断されたら、抗がん剤を受けたいと思う。でも、20年後、30年後にどう思うかは、その時にならないとわからない。
この点については「治療をすることそのものが医療の主たる目的となりがちな」現在の状況に疑問を持っており「患者にとってもっとも利益があると思われることを、医療で支える」のが自分の中での医療のあり方と思っていることから、そう思うのである。

2013年2月11日月曜日

病院と共に地域に住むということ

 私は、医師になってからこの方、勤務先と離れた場所に住んだことはない。
 今は、井田病院のある井田地域。
 地方在住の場合は当然かもしれないが、東京近郊では住んでいる地域と勤めている病院が異なる方は大勢いる。地方でも、単身赴任、という場合もあるだろう。
 特に、東京近郊は、駅を2つも離れれば生活圏がかなりことなってくる場合があり、とても同じ地域に住んでいるとは言えない。

 今年からコミュニティに出て行くことをテーマに活動しているが、その過程で、「病院と共に地域に住むこと」のメリットを実感しているので記しておくこととする。
 ただし、以下の記載はコミュニティでの活動を行いたいと考えていない方や勤務先を数年単位で変わっていこうと思っている先生には意味のないエントリーと思われることをお断りしておく。

 自分の病院を背景にして、その地域に市民として住むということは、実際に多くのメリットがある。

 まず、コミュニティの問題を、生活面でも仕事面でも実感できる。平日は、患者さんや家族の状況から地域の実情を量ることができるし、休日に街を散歩すれば、どのような家や店がどの辺りにあるのか、それらがどれくらいのスピードで変化しているのか実感としてわかる。
 家族がコミュニティに出ていけば、そこからの子育て事情や地域経済などの情報も得られ、重要である。それらの背景を元に、では病院では何をすれば良いか、自分が医師としてできる仕事は何か、ということを、自分が市民としてできることは何か、というテーマと同時に考えることができる。
 これが、別の地域に住んでいれば、仕事から得た情報は居住地の情報とは当然リンクしないので、いくら余暇に住まい周囲でフィールドワークをしても(直接は)仕事にはつながらない。
 全ての活動が、仕事に生かすための資料となり、ほとんど無駄がないという魅力は、捨てがたい。
 

 それと関連して、仕事で得た人脈を地域のコミュニティに生かすことができる(またその逆)のも魅力である。医師は他の地域から来ている場合が多い病院でも、スタッフの多くは近隣に居住している場合がとても多いからだ。そうすると、それらスタッフからも地域の情報を得ることが可能になるし、スタッフと地域の人脈をつないでいく作業も容易である。また逆に、コミュニティに出れば、その中の活動でも人脈は広がっていく。例えば、地域の居酒屋で隣のカウンターに座った方と話しをしていたら、地域のコミュニティのキーパーソンだった、ということもあるかもしれない。また、自分の家族や隣近所の人付き合いを通じてだって、つながりは広がっていける。仕事面でも地域面でも、日常生活でも多様に、何重にも地域の人脈が広がっていくことは、将来の大きな財産になりえる。

 コミュニティに入って行く時も「井田病院の・・・」と言えば「ああ、あの山の上の・・・」と、話が通りやすい。行政に近い、大きな組織に属していることの信頼性の高さを実感できる機会が多いが、これが、そのコミュニティに関係ない地域の病院であれば、やはり色々な面で、効果は薄いような気がする。

 また、自分の住んでいる地域を自分の仕事で良くしていくことは、未来の自分や家族を守ることでもある。自分だって、いずれは年老いる。その時に、自分や家族をゆだねられる信頼できる地域の病院とコミュニティを、自分の手で作っておくことほど安心なことはないではないか。

 これからの医療・福祉の問題は、「日本全体の」という枕詞で議論を始めてはいけないと思う。都心部と地方はその抱える事情が異なるし、都心部だって高齢化が進行している地域とそうでもない地域が隣接していたりと、ひとくくりに論じることなどできない。そもそも「日本が」なんてことを、日本中から医師が集まって論じていても、全体に共通する解なんて出せっこないと思う。問題を取り扱う範囲が大きすぎ、問題意識も薄まるからだ。それを「自分の住んでいる地域では」というところに細分化していけば、密度の濃い議論も可能だし、何より議論の内容が自分たち自身に降りかかることだから問題意識も高まる。「日本全国を動かす」よりは「武蔵小杉のごくごく一部を動かす」ほうが扱う対象も小さくなるから、これならできるんじゃないか、という気持ちをコミュニティの中に起こしやすい。とはいえ、コミュニティを本気で作ってそれを動かそうと考えるのであれば、やはりその中にどっぷり入って、地域を知り、地域を愛し、命をかけてやらないと、何もできないのではないかと思う。

 自分にとっては、栄誉や報酬を求めて、病院を転々としていくという生き方は全く魅力的に映らない。
 例えば、極端な話、どこか他の地域で「教授や院長として来てくれないか」とか「年棒3000万用意する」とかいう依頼があったとしても、その申し出を受けることはないと思う。まあ、あり得ない話だが。
 それよりも、地域でコミュニティを育て、それと共に病院を育て、誰しもが住みたいと思う町、住んでて良かったと思える町、人生を全うできる町を、一生かけて作ることに少しでも貢献できたら至上の喜びである。そして、自分が年老いて死んだあとも、それがずっと続いていったなら、それが自分の生きた証と思える。名前は残らなくても。

2013年2月5日火曜日

緩和若手ネットワーク「PCREG」に参加しませんか!

 将来緩和専門医を目指したい、もしくは将来専門としないまでも緩和ケア領域に携わりたい、興味があるという医師・医学生は増えてきていると思います。

 しかし一方で、緩和ケアを専門にしている大学医局は全国でもまだ少なく、学生時代や初期研修時代に学ぶ機会には乏しいのが現状です。
 教育は各施設で独自に行われているが、どのような研修をすれば緩和ケア医になれるのか、緩和医に必要なスキルは何か、緩和医のアイデンティティとは何か、といった議論が行われる機会にも乏しく、若手にとってイメージを形成しにくい点がありました。

結果、若手は自ら考えながらキャリアを重ねているものの、特に小規模施設で研修を受けている医師にとっては、他施設の若手がどのような研修を受けているのか知る機会にも乏しく、迷いを抱えながら研修を続けている場合もあったと思います

また、本邦でも緩和ケアに対するEBM形成が急務とされている中、研究を企画し多施設共同で実施できる施設は数えるほどしかなく、「緩和ケアの研究とはどういうものかわからない」という若手は多数います。
国内の多施設共同試験やグローバル試験が行われる気運が高まってきている中、研究の素養を身につけた医師やコメディカルの養成も重要であり、研究のノウハウを相互学習する機会が必要です

これらの問題を解決するため、まずはネットワークを作ることが大切と考え、20116月、若手医師・コメディカルを中心とした、情報交換および相互教育を目的とした「P-CREG(ぴー・くれっぐ):Palliative Care Research & Education Group」が結成されました。

当初は医師、看護師12名で結成され、メーリングリストでのネットワーキングと、「顔の見える関係」のための夏季セミナーの実現、を柱として活動し、途中からは緩和医療学会の協力も得ながら活動してきました。昨年6月には緩和学会総会にて「若手医師フォーラム」を開催し、その成果を論文として投稿中です。そういった活動の中で、徐々に数を増やし、現在50名弱の医師、看護師の方にご参加頂いています。
そして今年度、ついに悲願であった「夏季セミナー」が、8/24・25に1泊2日形式で開催されることが決定されたことを機に、今後、より広くネットワークを広げていきたいと思っています。若手医師、コメディカルの皆様、これを機に、是非ご登録下さい!

【本グループの役割/使命】

・若手医師、医学生を対象とした「夏季セミナー」を、緩和医療学会と協力して実施し、自分たちのキャリアパスを後輩に示すと共に、相互教育とネットワーキングを行う。

・メーリングリスト(ML)を中心に、緩和ケアに興味を持つ医師・医学生、および看護師・薬剤師などが相互に情報交換および教育を行い、それぞれのスキルアップおよびキャリアパス形成を行うことができるよう支持する(緩和ケアは医師のみでできる仕事ではなく、看護師・薬剤師など多職種の連携が必要となる。また看護研究の手法などから学ぶ部分も多いため、本グループには多職種の参加を促す)。

・多施設横断的なネットワークを維持強化し、施設間で切磋琢磨することによる全体のレベルアップを図ると同時に、将来の多施設共同試験につながる関係作りを維持する。

・未来の緩和医療を担う人材を育成するため、若手の自立を支持する。

・今後の多施設共同試験・グローバル試験の実施に備え、研究手法についての相互教育を行い、緩和ケアの研究を実施できる土壌を整える。

【参加要件】
 
・緩和ケアに興味のある医学生および医師(専門は問わない)
・緩和ケアを専門とする看護師、薬剤師
※卒後20年目までが参加要件
 
※現在の参加者は医師(緩和医、腫瘍内科医、外科医、精神科医、家庭医、初期研修医など)および看護師です。
 

【メーリングリストおよび本グループに参加するために】
 
登録方法は 


まで、「氏名」「所属」「大学卒業年数(西暦)」「メールアドレス」「facebook IDの有無」を記入の上、メールで連絡下さい。

その際、題名を必ず「若手グループ参加申し込み」といった、わかりやすい題名にして下さい(上記アドレスは登録専用アドレスなので、無題のメールやSpamのような題名などは受理されない場合があります)。

受理されましたら、PCREGメーリングリストから「自己紹介をお願いします」のメールが届きますので、できるだけ早い時期に自己紹介をお願いします(簡単で結構です)。また、上記の情報は名簿に登録され、メールアドレス以外の情報はグループ内で公開されます。

また、本グループは卒後20年目までが参加条件ですので、卒後20年目を超えた方については自動退会となることをご了承下さい。
 
グループの活動の詳しい内容につきましては、登録時に「行動計画書」をメールでお送りしますので、そちらをご参照頂ければ幸いです。
皆様のご参加をお待ちしております!