病院と共に地域に住むということ

 私は、医師になってからこの方、勤務先と離れた場所に住んだことはない。
 今は、井田病院のある井田地域。
 地方在住の場合は当然かもしれないが、東京近郊では住んでいる地域と勤めている病院が異なる方は大勢いる。地方でも、単身赴任、という場合もあるだろう。
 特に、東京近郊は、駅を2つも離れれば生活圏がかなりことなってくる場合があり、とても同じ地域に住んでいるとは言えない。

 今年からコミュニティに出て行くことをテーマに活動しているが、その過程で、「病院と共に地域に住むこと」のメリットを実感しているので記しておくこととする。
 ただし、以下の記載はコミュニティでの活動を行いたいと考えていない方や勤務先を数年単位で変わっていこうと思っている先生には意味のないエントリーと思われることをお断りしておく。

 自分の病院を背景にして、その地域に市民として住むということは、実際に多くのメリットがある。

 まず、コミュニティの問題を、生活面でも仕事面でも実感できる。平日は、患者さんや家族の状況から地域の実情を量ることができるし、休日に街を散歩すれば、どのような家や店がどの辺りにあるのか、それらがどれくらいのスピードで変化しているのか実感としてわかる。
 家族がコミュニティに出ていけば、そこからの子育て事情や地域経済などの情報も得られ、重要である。それらの背景を元に、では病院では何をすれば良いか、自分が医師としてできる仕事は何か、ということを、自分が市民としてできることは何か、というテーマと同時に考えることができる。
 これが、別の地域に住んでいれば、仕事から得た情報は居住地の情報とは当然リンクしないので、いくら余暇に住まい周囲でフィールドワークをしても(直接は)仕事にはつながらない。
 全ての活動が、仕事に生かすための資料となり、ほとんど無駄がないという魅力は、捨てがたい。
 

 それと関連して、仕事で得た人脈を地域のコミュニティに生かすことができる(またその逆)のも魅力である。医師は他の地域から来ている場合が多い病院でも、スタッフの多くは近隣に居住している場合がとても多いからだ。そうすると、それらスタッフからも地域の情報を得ることが可能になるし、スタッフと地域の人脈をつないでいく作業も容易である。また逆に、コミュニティに出れば、その中の活動でも人脈は広がっていく。例えば、地域の居酒屋で隣のカウンターに座った方と話しをしていたら、地域のコミュニティのキーパーソンだった、ということもあるかもしれない。また、自分の家族や隣近所の人付き合いを通じてだって、つながりは広がっていける。仕事面でも地域面でも、日常生活でも多様に、何重にも地域の人脈が広がっていくことは、将来の大きな財産になりえる。

 コミュニティに入って行く時も「井田病院の・・・」と言えば「ああ、あの山の上の・・・」と、話が通りやすい。行政に近い、大きな組織に属していることの信頼性の高さを実感できる機会が多いが、これが、そのコミュニティに関係ない地域の病院であれば、やはり色々な面で、効果は薄いような気がする。

 また、自分の住んでいる地域を自分の仕事で良くしていくことは、未来の自分や家族を守ることでもある。自分だって、いずれは年老いる。その時に、自分や家族をゆだねられる信頼できる地域の病院とコミュニティを、自分の手で作っておくことほど安心なことはないではないか。

 これからの医療・福祉の問題は、「日本全体の」という枕詞で議論を始めてはいけないと思う。都心部と地方はその抱える事情が異なるし、都心部だって高齢化が進行している地域とそうでもない地域が隣接していたりと、ひとくくりに論じることなどできない。そもそも「日本が」なんてことを、日本中から医師が集まって論じていても、全体に共通する解なんて出せっこないと思う。問題を取り扱う範囲が大きすぎ、問題意識も薄まるからだ。それを「自分の住んでいる地域では」というところに細分化していけば、密度の濃い議論も可能だし、何より議論の内容が自分たち自身に降りかかることだから問題意識も高まる。「日本全国を動かす」よりは「武蔵小杉のごくごく一部を動かす」ほうが扱う対象も小さくなるから、これならできるんじゃないか、という気持ちをコミュニティの中に起こしやすい。とはいえ、コミュニティを本気で作ってそれを動かそうと考えるのであれば、やはりその中にどっぷり入って、地域を知り、地域を愛し、命をかけてやらないと、何もできないのではないかと思う。

 自分にとっては、栄誉や報酬を求めて、病院を転々としていくという生き方は全く魅力的に映らない。
 例えば、極端な話、どこか他の地域で「教授や院長として来てくれないか」とか「年棒3000万用意する」とかいう依頼があったとしても、その申し出を受けることはないと思う。まあ、あり得ない話だが。
 それよりも、地域でコミュニティを育て、それと共に病院を育て、誰しもが住みたいと思う町、住んでて良かったと思える町、人生を全うできる町を、一生かけて作ることに少しでも貢献できたら至上の喜びである。そして、自分が年老いて死んだあとも、それがずっと続いていったなら、それが自分の生きた証と思える。名前は残らなくても。

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