患者から、逃げない

最近、自分が講演をするときに必ず入れる言葉。

「患者から、逃げない」

緩和ケアでは、まずこの心構えを持つことが、とても大切なことだと思っている。

医師が、患者から逃げる?
そんなこと、あるわけない、と皆さんは思うかもしれない。
それは一部の、いわゆるモンスターペイシェントとかいうのの話しだろう、と思われるかもしれない。

医師の側も「私は患者から逃げたことなど一度も無い」と言われるかもしれない。
ええ、そうでしょう。
確かに、いつも皆さんは真摯に、患者さんに向き合っているでしょうね。

でも、真摯に向き合うからこそ、患者さんから逃げている、少なくとも逃げたくなる経験はだれだってあるはず。
予後数日、昏睡状態の患者、心配して付き添う家族。そんな病室に、足が遠のいた経験が、きっとあるはずなんです。
行っても、何もできない。家族には「先生、どうなんでしょうか」と真剣に問われる。でも、何もできない。
患者さんの胸に聴診器を当て、点滴の滴下を見、尿カテーテルから尿が出ていることを確認し、
「血液検査の結果は変わりありませんでした」とか「尿はしっかりでていますよ」とか言う。

ほら、逃げている。

予後数日の方に対して、医者ができることは血液検査や尿量のチェックだけなのだろうか。
真摯に、患者さんを「治そう」と思ってやっているからこそ「治せない」患者さんに直面したときに、無力感、罪悪感にさいなまれ、足はベッドサイドから、病室から、遠のいていく。
元気なときは、病状説明や検査説明を30分もベッドサイドでしていたのに、死にゆく患者さんの傍には5分もいることができない。
苦しい、と患者さんが言っていても、それに対して患者に寄り添う、ケアをする、というのではなく「とりあえず」「その場しのぎの」治療や検査をする。それも、ある意味一種の逃げだと思う。

老いに対しても、逃げる。
認知症は、薬で良くできる「病気」とは言えない。なのに、みな判で押したように、認知症の薬を出す。それよりも大切なことがあるのに。
老い、からも逃げている。患者さんもだが、医師も「老い」に正面から向き合うことができない。
老いに向き合うことは、お互いに大変に苦痛を伴うものだからだ。
病院は、老いそのものを治療することはできない。その事実をまずは医療者が認め、では何をするべきかも考えないとならない。

患者から、逃げない。
これは、大変なことだ。誰だって、逃げたくなる。それをまず認めることだ。
私だって、ちょっと気を抜けば、患者さんから逃げようとしているときはある。本当につらいからだ。
でも、それを自覚した上で、でも自分は逃げることはしない、と腹をくくることが大切だ。
腹を据えて、覚悟を決めて、ようやく患者さんと向き合い、支えることができる。

そしてもうひとつ。
支えようとする自分たちにこそ、支える人が必要である。
これは小澤竹俊先生の受け売りだが、支援しようとする我々は、ひとりでは支えることはできない。
大勢の仲間、理解者、支援者が必要である。
それがあってこそ、我々は患者さんと、ずっと向き合っていける、と思う。

自分も弱い存在だ。逃げたくもなるし、一人では何もできない。
でも決して恥じることはない。
それを、自覚することこそが大切なのである。

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