がんサロンはDrも参加すべき!

「私、病気になってもいいんだ、と思えるようになりました」

先日のがんサロンで患者さんのひとりから言われた言葉。
これは究極の言葉だ、と私は思った。なぜか。

市民にとっては、「病気になりたくない」「病気は予防しないと」と考えるのが普通だろうし、いざ病気になれば「早く治してくれ」「どうしよう」というところだろう。

その患者さんが言うには、
この病院にかかれば優しいスタッフがいる、苦しくてもケアをしてくれるシステムもある。
だから、「病気になってもいいんだ」と。
これはつまり、病気になっても「何とかしてくれる(必ずしも絶対に治してくれる、というニュアンスではない)」という信頼と安心から出る言葉で、それは医療の目指すある意味究極な姿じゃないかな、と。

病気(になった状況)を、意識していないから怖さを感じていないということと、
病気(になった状況)を、意識してもしなくても、特に怖くないと思える、ということ。

どちらも普段は特に何も感じていないという点では一緒だが、実際には大きな違いがあると想像できるだろう。病気になっても、治っても、治らなくても、私はみんなに支えられて精一杯生きられる・・・そう思えるコミュニティって、すごいんじゃないかな、と。
そして、そう思える助けをできたのが自分の病院だと思うと、それは涙が出そうなほど嬉しい言葉だったのである。

こんな言葉が聞けるのも、がんサロンの醍醐味である。
普段、診察室や病室の中でしか患者さん・家族に接することのないDrは、是非こういう場に参加してみると良い。
ないなら、作ったほうがいい。
毎回参加するたびにとても勉強にもなる。医療は患者さんから学ぶ、という大原則を改めて実感できる。
そして、サロンにDrも参加する意義は、サロン側にもある。
自然、Drが司会役をしたり、アドバイザー的な役割を果たすことになるが、サロンの会話が暴走しないようにできることや、医学的知識が必要な場面は、やっぱりある。そんなときに、Drがちょっと一言挟むだけで、場の不安感が和らぐ印象がある。ただし、Drが参加するときの心構えとしては、必ず「一市民として」参加することが必要である。

「俺は、医者なんだぞ!」と言いたいのなら、他へどうぞ。
また来月も、美味しいお茶を頂きながら、患者さん・ご家族の素晴らしい言葉にじっと耳を傾けたいと思う。

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