2012年7月18日水曜日

ムダな会議はやめたまへ

最近、いろいろな会議に出席したり、出席した人の話を聞いている中で感じた違和感を綴る。

ムダな会議っていうもんがある。
私はムダな会議が嫌いだ。
そもそも会議自体が嫌いなのかもしれない。

会議の内容は別にわざわざ集まらなくてもいいような内容では?
メールやSNSで議論すればよかったんでないの?という。

ブレインストーミングやワークショップ形式の会議は、時として有用である。
それはお互い顔をつきあわせて、議論することでできる「熱」のようなものが、議論をさらに促進させていくから。これはさすがにネットでは難しい。
しかし、ブレインストーミングは何かプロダクトを生み出す手法ではない。ブレインストーミングで出た内容を収束させ、結論に近いものを生み出す過程が必要だが、それも正確に言えばプロダクトではない。

会議のプロダクトは、それが単なる連絡事項の会議や勉強会でもない限り、実践につながる戦略である。
時々、実践につながらない結論(のようなもの)を出すことで満足するような集まりや、本当にブレインストーミングのみを行って次回につなげない会議なども見るが、本当に時間の無駄である。
会議の中で話し合われた内容は、参加者の心の中に残るから、それが次につながっていく・・・だから有意義だ・・・と思われる方もいるかもしれないが、得てして、そういう場合、次回の会議でも同じようなところをぐるぐると繰り返し、一向に戦略が進まないことが多いものだ。気がついたら数年前と同じような内容を議論しているようなこともある。「まだそんなテーマで話しているの?」っていう。
我々の時間は有限であるし、時代はめまぐるしく変化し、我々の遅々とした歩みを待ってくれない。
自分の領域で言えば、2025年はすぐに来る、ということだ。
も少し言えば、会議が1時間行われればそれ相応のコストが発生しているわけだから、それを回収できるプロダクトを生産できないならそれはリストラの対象である(それぞれが別の仕事をしていた方が利益率が高いかもしれないし、会議にかける時間を削減することで残業費が減るかもしれない)。例えば時給1000円のスタッフが10名集まって1時間会議をすれば1万円、その結果得られた結論はきちんとした「商品」となっているか、ということなのである(もちろん1万円かけてつくったプロダクトは1万円以上の価値が無いとならない)。1回ではプロダクトが得られない場合は1年間かけて、ということも多いとおもうが、その場合はコストはさらに膨らむ、ということも考慮すべきだ。

とても細かい点に拘泥して、本質的な議論・進むべき方向性が忘れ去られたり、歩みが遅くなるような会議も嫌いだ。幕末の薩長同盟が結ばれるまでの各藩の対応と、坂本龍馬の考えの相違が良い例かもしれない。あくまで何のために会議をしているか忘れてはならない。そういう意味ではブレインストーミング的なディスカッションはよほど上手に司会し、次に進めるための方向性や何のために意見を出し合っているのか、を参加者に意識させ続けないと、議論は絶対に収束していかないし枝葉の(ある意味どうでもいい)意見が増えていく要因になる(ブレインストーミングのみならそれで成功、とも言えるかもしれないが)

何度も言うが、ブレインストーミング系の会議は「何かを生み出したような気になる」から、本当に注意して欲しい。自らがそういうのに参加していると、それが素晴らしいことだ、これからも何度もやるべきだ、と思えてくるから不思議だ。
まあ、人間は話したい動物だ。話して自分を理解して欲しいという欲求がある。その意味ではブレインストーミングはその欲求を満たす美酒のようなものなのかもしれない。珠玉の言葉の中で酔っていてもそれは内輪の自己満足かもしれないと自省すべきだ。珠玉の言葉たちだって醒めてしまえば夢のごとし、である。プロダクトとして残さなければ(もしくは何かにつなげなければ)それぞれの記憶の中で消えてしまうし、社会には届かない。ブレインストーミングをして、その後に何につなげていくかを(各々ではなく会議の中で)考えない限り、会議としての意味は無いし、組織も地域も社会も、何も変えることはできない。

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