2012年の抱負

半年近くブログを更新していませんでしたが、2012年、転機の年に際して、今年の抱負をまとめてみます。

まず、2012年は職場も住居も変わります。
これは、3年前に栃木に来たときから決めていたことで、3年間で腫瘍内科医としての修行には一区切りをつけ、緩和医療を中心とした仕事に戻るつもりでいました。

ただ、3年が経とうとしている今年、その思いは微妙に変化しています。

そもそも、腫瘍内科を勉強しようと思ったきっかけは、緩和医療で研修をしていて、自分が診ている患者層がいかに限定されたものかを痛感していたためです。
実際、緩和医が扱う患者さんは、全てのがん患者さんのうち、わずか数%と言われています。それ以外は、緩和専門施設などに紹介されて来る前に亡くなったり、PCUの空き待ちをしている間に容態が急変したりしているわけです。
「こんな狭い領域でずっと勉強していては、がん診療の全体を診ることなど到底できない」
と考え、緩和に紹介されて来る前の診療を知らなければ、と考えて腫瘍内科の研修を始めたのです。

【日本における緩和医療のあり方を考える】
腫瘍内科医として、他科ローテート研修の期間を除いた1年半ほどの間で、私が当初抱いていた思いは微妙に変化しました。
それは、自分が化学療法を行った後、抗がん剤治療を行わなくなっても、結局自分が主治医として診る患者さんがいかに多いかと実感したことが一番大きな要因かも知れません。
私は、自身が緩和医療の研修医であったこともあり、できる限り自分で最後の看取りまで診療する、ということを栃木に来てからも実践していましたが、PCU登録をしたとしても転棟するまでに間に合わず、一般病棟でお看取りをする方が大半でした。
また、抗がん剤治療中止後は全て緩和ケア科の先生にお任せする、というスタンスの先生もいましたが、それでも結局はその先生が最後まで看取る、ということも多々ありました。
これは、人的資源・PCUの病床数などがニーズに追いついていないことを意味します。

また、実際診ている患者さんで「抗がん剤治療が終わったら先生とお別れかい」とおっしゃる方がとても多かったことも事実です。
私の上司の先生は、緩和ケアに移行する患者さんにとって越えなければならない3つの壁、ひとつは「療養場所が変わる(一般病床からPCU、がん専門施設から地元の病院、など)」、ふたつめは「抗がん剤治療が終了になる、という事実」、そして最後が「主治医が交代になること」を挙げられていました。そして、「私がそのまま診療することも可能ですし、緩和ケア科の先生に代わって診てもらうこともできますよ」と選択肢を与えることで、その壁をひとつでも取り去ることができるのでは、と述べられていました。

そう考えていくと、日本において理想的な緩和医療の提供体制は何なのか、という命題にぶつかりました。
つまり、栃木に来た当初、3年後にはまた緩和医療の世界に元通り戻ろうと考えていたのが、「本当にそれでいいのか」と考えるようになったということです。
緩和医療を中心にやっていくことは変わりありませんが、その提供体制は、既存のスタイルでは無いものの方が、患者さん中心の、ニーズに沿った医療なのかも知れないと考えています。
では、どのようなスタイルがニーズに沿い、理想的な緩和医療のあり方なのか。
「緩和医の数をとにかく増やし、ニーズに応じられるだけの人数を確保し今以上にきめ細やかな対応をする」というのが一番の解決策ですが、医療界全体が医師不足である現状において、これは非現実的であり、医療資源の有効活用という観点からも、緩和にだけ重点的に医師を配置させるのは不可能です。
腫瘍内科医が主体となって緩和医療をシームレスに提供、必要に応じて麻酔科や精神科など、専門家へ紹介をして、戦略をコーディネートしていく、というのはひとつの策ですが、デメリットもあり最善かどうかはわかりません。
研究や思索、議論などによってそれを検討していくのが今年の一番の命題と位置づけています。

【緩和医療におけるプロジェクトおよび研究の遂行】
上記に関連して、緩和医療に関わる現場の声はどうなっているのか、緩和医療の将来をどのように考えているのか、という意見を集約するプロジェクトを2~3つほど検討しています。
詳細についてはまだ明らかにできませんが、それらを成功させることが今年前半の大きな仕事になります。
また、そのプロジェクトにともなう研究も計画しており、色々な先生方から協力を頂き、私自身も勉強になっています。
研究については、本当にひとりの力では何もできないことを痛感しており、人とのつながりの大切さを感じています。
時間(とお金)があれば、日本全国の緩和医療の施設を色々と見学したり、多くの先生方に会って見識と人脈を広めることも計画しています。

【転居先における足場固め】
このブログを書いている時点で、4月以降の異動先は実は決まっていません。
ただ、川崎に家を買ってしまったので、川崎に移ることだけは決まっています。
次に移った場所では、地元に密着した活動(それは医療だけではなく、地域に関わる全てのことにおいて)をしていくことが夢だったし、武蔵小杉周辺ですが、ずっと住みたいと思っていた憧れの場所なので、かなりワクワクしています。
特に、武蔵小杉周辺はこれからの数年間で劇的な発展を遂げる可能性があり、人口も若い世代を中心に数千人単位で増加することが予測されます。医療の面から言っても、その方々の健康を支えるリソースを整備していかないとならないわけです。
ただ、ここでもいきなり自分のしたいことをやる、というよりはまず地元のことをよく知り、ニーズを把握していかなければならないので、2年程度は地元の情報を足で集め、人を知っていく必要があります。
転居したら、勤務後および週末の地域散策がとりあえずの日課です。
たくさんの人とも会わないとならないでしょう。自分は決して社交的とは言えないのですが、地域の方々は、お互いの夢を共有できうる身近な仲間ですので、積極的に交流していく機会を持ちたいものです。
そして、勤務先が決定した場合は、その病院の地域における役割や住民ニーズの把握をしていくことも必要になります。

【まとめ】
2012年は転勤や大プロジェクトなど、自分にとっては大きな転機となる年です。
それは、逆に言えば新たな生まれ変わりを意味する年でもあり、5年ほど前から温めてきた数々のアイディアを実行に移すべく、準備をしていく時期が来たと、心が躍るのを感じています。
いずれ、世界をちょっとでも良くすることに自分が貢献できるよう、今年その一歩を踏み出そうと思います。

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