落合陽一さん・下河原忠道さんの対談から見える「Hackableな未来」とは


先日、筑波大の落合陽一さんと、株式会社シルバーウッドの下河原忠道さんの対談企画「シンギュラリティ時代の介護と多様性」に伺った。

落合陽一さんとは

下河原忠道さんとは

対談の内容については、たぶん誰かがアップしてくれるんだろうとして。
私が個人的に興味をもったのは、落合さんの「Hackable」という言葉だ。

この言葉を落合さんは
「自分の身体をHackできる。例えば、耳が遠い人とかが『今日はチューニングが悪い』とか言ってカチャカチャ自分でいじったら『治った』ってできるみたいな」
という文脈で用いた。
つまり、これまで超専門性の高い技術や職人技を用いてしかできなかった身体機能の拡張を、未来には自分の手の中でチョコチョコいじるだけで簡単かつ自由にその機能を拡張できるようになるということ。
この話を聞いていて私が考えていたのが「自転車」。昔は自転車って買って乗る、壊れたら自転車屋に任せる、だったのが、乗り手がカスタマイズするのが普通になった。そういったことが、補聴器とか義足とか車椅子でも起こる。


これはすごく面白い方向性で、技術研究者が行っている研究や開発って、専門外の目から見たらとてもユーザーフレンドリーではなく、現実世界では受け入れられないのでは?と見える。
結果的に、テクノロジーと人間は水と油みたいに語られるけど、本当はそれはデザインの問題であって、素直にテクノロジーを受け入れられるデザインはある。
実際にはその「ユーザーフレンドリーではない技術」が中に詰まっているのにね。ユーザーインターフェースデザインの問題。

そして、その方向性が目指す未来は、身体機能の拡張を民主化できる社会
テクノロジーを誰しもが自分の手の中で使えるようになり、個人が個人の身体をチューニングでき、身体の多様性を保ちながら社会全体が調和しながら生きていけるようになる。
「限りなく強い個人」
を目指すような未来。

●では、「限りなく強い個人」の周囲で人はどうなる?


そのような個人の能力が最大化されうる世界において、介護士や看護師はどんな役割を担えばいいのか?
この質問に対して、下河原さんは
「人同士をつなげるような仕事。コミュニティデザインとかそういった方向性を担っていくのではないか」
そして落合さんは
「危機管理。そういった多様な方々の生活をみていて『転びそうだな』とか『あ、ちょっと危ないな』というように感覚的に気づくことができるのは人間の方が優れている」
と答えられた。

私は、その両方に賛同するが、それに「人が個人をエンパワメントする役割を担う」という回答を加えたい。
落合さんの目指すテクノロジーの民主化、という方向性がそれによる個人の最大化を目指しているのなら、人が人を最大化する方向性もあるはずだ。
それは既に過去の哲学者や心理学者などが多くのものを発明してきた領域ではあるものの、その技術を医療福祉従事者はより磨いていき、身体だけではなく精神の多様性もHackしていくことが必要であると予測する(自己啓発・スピリチュアル系が流行るとかそういった浅い意味ではなく)。
人は、どのような環境に置かれたとき、精神の自由が制限されるのか?そして逆にどのような対話がなされたとき、最も生きる力を発揮できるのか?
コミュニティデザインも、もちろんそのためのスキルのひとつであるし、危機管理のスキルも、広い意味で言えばそれに通じていく。
精神世界の拡張は、ちょっと間違うと本当に変な方向に行ってしまうんだけど、今日ここで言いたいのは、精神の自由を涵養する方法は私たちプロが人として追求すべき領域であり、そのスキルをもって人をエンパワメントすることは未来においても大きな可能性がある、ということ。

私は今回の対談から、
「私たちが目指す未来は、テクノロジーと人の力で個人を最大化すること」
であると感じた。
仮に、足腰が弱っても、耳が聞こえなくなっても、喪失体験におそわれたとしても、それらをテクノロジーと人の力でHackできれば、私たちはいつまでも自由に生きられる。
40年後、それが当たり前の時代になるようにしていかないとならない。

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