医者になるには、という話(前編)

こんな話に興味があるのかと思うわけだが、興味がある人がいるというのだから面白い。

そうはいっても、自分は「よくありがちな」医者のなり方はしていないから、受験生のお母さんなんかが読んでも参考にはならないだろうことはお断りしておく。

そもそも、医者になろうと思った動機が、
「仲の良かった友達が医者になりたいと言っていたから」
という、
「みんなそのおもちゃ持っているから僕も欲しい」
的な、小学生感丸出しのノリ。
この話をするたびに周囲の方からがっかりした顔をされるので、もっと「人のために役立ちたい」とか「子供のころ助けてもらった先生にあこがれて」とか、そんな感動エピソードでも捏造したいくらいだ。
そうはいっても、高校生になるころには一応医学部を目指して勉強に励んでいた。

ここで、「どれくらいの時間を勉強したんですか?」とよく聞かれるが、あまり聞かない方がいい。
まず、朝7時に起きて登校まで勉強。
登校してから、基本的には授業は聞かずに自習、そのまま休み時間も自習、昼ご飯を食べながらも自習、放課後も自習。
で、家に帰ってからも勉強机に向かい、夜は塾。そして眠るのが11時くらい。
もちろん、日によってこんなに勉強しない日もあるが、長い時だと1日12時間くらいは勉強していたと思う。
高校3年の時には付き合っていた彼女もいたのだが、デートは下校時に彼女の家までの30分くらい、そして土日は「図書館で勉強しながら一緒に過ごす」という、今から思えばちょっと異常なお付き合いだった。

これだけ勉強していたのだから、さぞ成績も良かったのだろうと思われるかもしれない。
でも現実はそんなに甘くはない。
地元では成績はトップだったものの、全国模試ではランキングにも載らないほどの「中の上くらいの成績」だった。志望する医学部の合格判定は常に「D判定(下から2番目)」で、「志望先の再考を検討してください」と書かれる始末だ。
「人間、努力すれば何でもできる」と言うかもしれないけど、そこまで現実はマンガみたいにはできていなくて、生まれつきのスペックというものは確実にある。
その中で、努力することはもちろん必要だけど(努力しないと自分の限界もわからんから)、努力すれば結果が100%ついてくるわけではない。

じゃあ、私はどうしたか?
はい、全国模試合格判定のご指導に従い、志望校のレベルを下げさせて頂きましたよ。
はじめに目指していた大学ではなく、偏差値的には範囲内の他の医学部へ。
実際、その大学の過去問を解いてみたら、70~80%くらいは正答を出せたし、当時のセンター試験を受けた段階では、志望者中2位という点数をとって二次試験へ進んだので、まあ落ちるはずがなかった。
そう、落ちるはずがなかったのである。

で、試験当日。
その1問目。
「1気圧は何ヘクトパスカルですか?」
は?
ヘクトパスカル?
そんな数字覚えてないって!
っていうか、そんなのを暗記していることと医者になることに何の関係があるんですか、教授…。
しかも、その後の問題はすべて
「その数値を用いて以下の問題を計算しなさい」
で、完全に終了。
その後、英語や数学なども試験も続いたのだが、もうそのショックが大きすぎて全部ボロボロ。

そして合格発表。
普通は郵送で合否が送られてくるんじゃないの、と思うんだけど、その大学はなぜか直接電話して合否を確認するというもの。
で、電話しましたよ。
ひとりで、自分の部屋にこもって。

私「合否確認でお電話したんですが…」
受付「そうですか。受験番号をお願いします」
私「○○○○です」
受付「少々お待ちください」
私「・・・・」
受付「あー…。ざ・ん・ねんながらー…」
私「はい、よくわかりました。さようなら」
受付「あー・・・・」
ガチャ

なんという酷なシステム。
受付の女性だって、打ちひしがれた18歳にかける言葉もないではないか。
っていうか何なんだこのシステム。

このまま、ヘクトパスカルのせいで医学部へのチャレンジは終わってしまうのだろうか?
次回へ続く。

ちなみに1気圧=1013.25ヘクトパスカルです。受験生のみんな!数値は暗記しておこうね!

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口座番号 6061945
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