「希望」とは何か

みなさんこんにちは。

今日は「希望」について少し考えてみたいと思います。
 「希望」といっても、昨今ニュースを騒がせている「希望」の話ではないです。

 今回取り上げるのは
  ●効果未確認の免疫療法 12の拠点病院が実施
というNHKのニュースについて。
要は、国ががんの標準治療を日本全国どこでも受けられるように整備してきた「がん拠点病院」で、科学的に効果も安全性も確認されていない免疫細胞療法が、患者さんの自費診療として行われていたのが問題ではないか、という内容です。
結論から申し上げますと、こういった治療法を「臨床試験以外の方法」で行うことは倫理的に問題があり、行うべきではないということは明白です。ただ、今日私が取り上げたい点はこの点ではなく。

このニュースの中で、免疫細胞療法を擁護する側の言葉として、
「この治療を受けていることが心の支えとなる」(患者さん)
「患者が希望しているから」(医師)
というものがあります。

こういった論点は、免疫細胞療法だけではなく代替療法や、また明らかに適応外の抗がん剤治療を行う時などに必ず出てくるものです。
要は
「患者が治療を希望し、医師がその希望に応える」
そのどこが悪いのか?いうことです。


●「希望」とは何か?

そもそも「希望」って何なんでしょうか?
これはこの数年くらいずーっと考えているのですが、言葉にするのはなかなか難しいです。
でも、ひとつ言えることとしては、患者さんにとって「治療そのものだけ」が希望、ということが大多数に当てはまることなんだろうか?ということ。
その治療を通じて、家族と変わらずに暮らしたいとか仕事を今まで通り続けたいとか、色々な希望があるはずで、本来こちらの方が「真の希望」と言えるものなんじゃないかな、と。そうであれば、抗がん治療を続けることだけが、その方の希望を支えることに本当になるんだろうか?ということになります。
ほとんど効果のない(場合によっては有害な)抗がん治療を続けるのと、それらを止めて緩和ケアに専念をするのと、結果的に生活が何もかわらない(もしくは緩和ケアを受けたほうが良くなる)のだとしたら?
それでもとにかく抗がん治療を受けることに固執される方がそこまでたくさんいるかどうか…。
そういった話し合いを、本当にとことん現場でやっているのだろうか?という点が疑問です。

もちろん、中には「抗がん治療=生きる支え」という方がいらっしゃるのは事実です。実際にそういった方にもしばしばお会いします。「死んでもいいから抗がん剤を続けてほしい」という方もいますし「家族と生活を続けるという『(真の)希望』を支えるために、とにかく抗がん治療を続けることが希望」という方もいます。
私は、よくよく話し合ったうえで、それでもこういった考えを持っている方を否定はしません。その結果として免疫細胞療法のクリニックに行くことになったとしてもです。
患者さんの生き方そのものを、医師が否定するべきではありません。


●医師は希望を施す存在か?

しかし一方で、医師が「患者が希望するから免疫細胞療法をする」というのはどうでしょう。
それはそこに「免疫細胞療法という手段があるから」ではないでしょうか。
私は自ら「どうしても何か治療をとおっしゃるなら、免疫細胞療法なんていかがですか」とか「少量で抗がん剤治療をやってみましょうか」などとは決して言いませんし、行いません。
標準的な抗がん治療が無くなった時、提供されるべき標準治療は「緩和ケアに専念する」ことです。それは、科学的根拠をもって、最もQOLを上げ、少なくとも寿命を縮めることはありません。
一方で、免疫細胞療法やその他代替療法、少量抗がん剤などは、まず確実に患者さんの生活の時間を奪います。本来は、家族と過ごしたり仕事に注力したいという希望があったとして、それに費やすための体力と時間を奪うのです。場合によっては、副作用などでQOLを下げ、寿命自体を縮めるということもあるかもしれません。
標準的な抗がん治療は、そういった「患者の時間を奪い」「お金を奪い」「生活を奪い」ということがあっても、それを上回るメリット(寿命を延ばす)ということが科学的に明らかであるから許容されているのです。
「患者が治療の継続を望んでいるから、何かをしてあげたい」と思うのは医師として当然のことですが、その結果として「偽りの希望」を処方することを期待されていません。もっと言えば、「医師が患者に希望を施す」といった考えこそおこがましいものではないでしょうか。


●患者は自ら希望を生み出す力を持っている

緩和ケアに専念した先には絶望しかないのでしょうか。
治療を施すことしか見ていない医師には、そのように思えるのかもしれません。
しかし、患者さんは医師からそのような施しを受けなくても、自ら希望を見つけ出すことができます。
ひとりで見つけ出すことができる方もいれば、家族や友人、または医師や看護師などの専門職の助けをもって見つけ出すという方もいます。
そしてそれは、人生の灯が消えるその時まで、新しい希望を生み出すことは可能です(全員がそうあることが望ましいという意味ではありません)。
むしろ、医師が医療という「希望」を施し続けることが、患者の希望を生み出す力を弱めたり奪ってしまっている場合もあると思います。

(追記)
免疫細胞療法について、「患者の希望を支える」などという変な言い訳をせずに、医師は科学者としてその効果を検証して報告すべきです。「私は効果があると思っている」と明言しているのだから。
「私は効果があると思っている」だけで何百万円の治療が許容されるなら、私が明日から「がんに効く水」を売って「私は効果があると思っている」と言っても、何ら違いはないでしょう。
臨床試験として比較試験を行うことが理想ですが、資金などの関係からそれがどうしてもできない、ということであれば症例報告からでも良いのです。GISTという腫瘍に対するグリベックという薬も、最初は1例の症例報告から始まりました。そこから画期的な治療につながる例は多々あります。
ただそれを自院のWebサイトなどに載せるのではなく、きちんとデータをクリーンにした状態で、誰しもが文句のつけようのない報告を全国学会での報告および査読のある学術誌(商業誌ではなく)へしてほしいと思います。

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