2013年1月15日火曜日

免疫療法を宗教的な観点から考え直す

私は腫瘍内科医として、免疫療法は否定する立場です。
もちろん、きちんとした治験のルールなどに則って研究中のがんワクチンなどは除きます。
ここでいう免疫療法とは、患者さんから自費診療でお金を取ってなおかつ効果の不明な治療法を行っている、各種のクリニックなどです(もちろん、上記のがんワクチンについても、「研究中」なので効果は不明ですが)。
免疫療法はもちろん、将来は希望の持てる治療法のひとつだと思いますし、現在研究中の各治験については、応援したいと思っています。しかし、それらはまだ研究中で、今のところ確実に効果がある(生存を延ばす)と確認された治療はありませんし、自費診療で受けられる免疫療法は、上記のような研究中の治療とは全く別のものです。

私もこれまで多くの患者さんを診てきて、何十名もの方に「いい治療法があるって聞いたんですけど・・・」と言われてきました。
私はその都度、それらの治療法の科学的根拠のなさ、言うなれば人体実験を自らお金を払って受けているようなもの、がんビジネス(金儲けだけ)という場合もある、など、丁寧に説明してきました。
もちろん、それで思いとどまってくれる方もいるのですが、「それでもやっぱり受けてみたいから」と治療を受けられる方も大勢いました。

私は、専門家としてこれだけ熱心に科学的に、そして感情にも訴えるように説明してきたつもりでしたが、それでも免疫療法を受けたいという方が多いということに悩みました。

そうしているときに「患者さんは万にひとつでも効く可能性があるかも、と思える治療なら試してみたいと思うんじゃないかな」という意見を伺い、まあ私は「万に一つも」効かないと思っていますし、残りの9999名はどうするんだろうか、とも思うのですが、そう考えているうちに

「これは、宗教じみているんじゃないか」

と思うようになってきました。
まさに「信じるものは救われる」の世界で、私がいくら「やめなさい」と言っても「信じた私たちは幸福だから」と言われると、本当の意味では何とも言えないのではないか、だとしたら私が反対している、このこころの動きは何なのだ?ということに思い至ったわけです。
前ふりが長くなりましたが、今回は、この「免疫療法の宗教的側面」という部分から、自分も問い直してみたいと思います(もちろん私は宗教学者でも何でもないから、ここで私の書いていることは素人の個人的意見だが)。

【①免疫療法を否定する、というこころについて】
腫瘍内科医という立場から、否定する、と冒頭には書きました。
では、その立場を離れ、「患者さんの幸福を追求する」という医師の本分に立ち返ったときの自分としてはどうでしょうか(以下、自己との対話なのでちょっと文体変えます)。

まず、誰が、患者さんが免疫療法を受けることで不幸になっているのか、と考える。
が、誰もいないのではないか?
では、自分の「免疫療法を否定したい」というこころの動きは何だ。
正義感か?
法律的には問題があるとは言えない。
患者さんが正統な治療を受けられていない、騙されている、それを生み出している悪は許すわけにはいかない・・・が、それはあくまで自分の「こころ」である。
患者さんが信仰しているものを、「自分は」間違っていると思っていても奪う権利があるのだろうか。それを宗教と考えたとき、ある宗教が他を「邪教」と呼び、正統以外を迫害した歴史と大差あるのだろうか、と思えてくるのである。
もちろん、社会的に絶対に「悪」と考えられる宗教も、これまでの歴史の中で全世界にあったと思うが、それは社会に対し破壊的であったり退廃を促すものであったから悪だったわけで、免疫療法をその範疇にまで入れられるか、と考えると、あくまで個人的な損失は伴うかもしれないが社会的にはそこまでとは言えない。
免疫療法をやっている先生方も、本当に「患者さんのためを思って」治療に取り組んでいる方もいるのだろう。それが科学的ではないにしても、その思いは否定できない。
だとしたら、自分が正義感から考える「否定」は、あくまで自分自身の価値観でしか無く、それを患者さんの価値観にまで押しつけることはできない(金銭的な損失の可能性を苦と考えないならなおさらだ)。

【②何らかの形で規制をかけることは可能か】
先日、ある会合で「免疫療法に対して何らかの法律的規制を設けるべきだ」という意見があった。
それをどの法律で、とかの議論はここでは取り扱わないが、どのような規制にしたとしても、恐らくは免疫療法全てを規制することはできないと思う。
なぜなら、日本全国にそれを希望する方がいて、その願いをゼロにする規制を国ができるとは思えないからだ。
仮に法律ができたとしても、必ず抜け穴はできて、違った形で似たような治療法はまた広がると思われる。それをまた規制して・・・とやっているといたちごっこになり、本当は規制されるべきでもないところにまで影響が及び・・・と、規制を強化していくことで(例外は作れないから)、社会的にマイナスとなる事態も生まれるかもしれない。
それでもいいから規制すべきだ、というなら、もう一度①のところに戻って、そこまで言う自分のこころに問いかけてみるべきである。
「私は、本当は何をしたいのか」
と。

【③規制をかけることの意義はどこにあるか】
免疫療法を撲滅させることを目指したとして、それで代わりに患者さんを幸せにする道がどこにあるのか、ということを考えなければならない。
標準治療(緩和ケアを含め)は正統であるが、踏み絵をして、改宗させたとしても、そこに幸福があるかどうかは歴史が語っている。
「正統を知れば、邪教がいかに間違ったものかわかる」と言い切ってしまうのは、正統(と私たちが思っている方)にいる側のエゴではないかと思うわけである。

【結局、何を言いたいか】
決して、免疫療法を擁護するわけではない。
免疫療法を否定するこころの動きは、整理して考えるべきということだ。
少なくとも、多くの感情的なものは自分の中のもの、と割り切るべきである。
科学者として、免疫療法は否定するが、それ以上でもそれ以下でもない。そこに感情を介在させるべきではない。
また、宗教的な意味合いを持っているこれら治療法を、何らかの圧力により完全に無くしたり、規制したりするのは困難である。
自らの中の固定観念と向き合い、自分なりの常識から一度脱しないと、これら問題と対峙することはできない。

だとしたら、私たちにできることは何か。
まずは、これら治療を受けている患者さんを、こちらできちんと診ていくこと。免疫療法クリニックの困る点として、入院や救急施設がないから何かあればその時の対応は前医で、という点がある。
こちらにしてみれば「その人の人生に責任をもって診る気がないのか」とも思うわけであるが、それも自分の感情。医師としては粛々と、その患者さんの幸福のために治療を行う以外のことはない。
なので、どんな治療法を受けるにしても、私たちとの縁を絶対に切らないように、患者さん達に言っておく必要がある。
その上で患者さんにとっての幸福はどこにあるか、不幸にならないよう先手を打つには、と常に考えること。その中に自分の感情を入れようとしていないか、気を配ること。

もうひとつは、科学者として、信頼性の高いデータが免疫療法の側から出てこない限り、科学としては認めない、という姿勢は貫くことである。
その上で、付き合い方を考える。
宗教の衰退は何から始まるか。
少なくとも国家や力あるものからの圧力ではない。
感情的に苛烈になるのではなく、大局から俯瞰して冷静に、周到に、理論的に考えて、どのように対応していくのが良いか、医師だけではなく他の皆も含めて、地域的に考えるべきである。
地域ごとには、おそらくできることはある。

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